第4話「空腹の女騎士と、初めての恵方巻作り」
蹄の音が止まり、静寂が訪れた。
私は小屋の入り口から、様子をうかがう。月明かりの下、一頭の馬と、その傍らに立つ人影が見えた。
銀色の鎧が月光を反射して輝いている。腰には剣を帯びているようだ。騎士か。
だが、様子がおかしい。騎士は馬に寄りかかるようにして、ふらふらと立ち尽くしている。
「……誰か、いるのか」
風に乗って聞こえてきたのは、凛とした、しかし消え入りそうな女性の声だった。
敵意は感じられない。むしろ、助けを求めているようだ。
私はマメゾウを小屋に残し(彼は「カクレル!」と言って土に潜った)、両手を挙げてゆっくりと近づいた。
「ここに住んでいる者だ。どうした」
騎士がゆっくりと顔を上げる。
長い銀髪がさらりと流れ、整った顔立ちが露わになった。意志の強そうな碧眼。しかし、その顔色は幽霊のように青白い。
「私は……セシリア。王国騎士団の……今は、この地の領主代行として」
彼女はそこまで言うと、ガクンと膝をついた。
ぐぅぅぅぅぅぅ……。
盛大な音が、静かな荒野に響き渡る。
セシリアと呼ばれた騎士は、真っ赤になってうつむいた。
「……すまない。三日間、何も食べていなくて」
「三日!?」
私は呆れた。三日も食べていない状態で、よく馬に乗っていられたものだ。
「わかった。とりあえず小屋に入ってくれ。粗末なものしかないが、食事を用意する」
私は彼女の肩を貸し、小屋へと案内した。鎧越しでもわかるほど、彼女の体は冷え切っていた。
小屋の中で火を焚き、彼女を座らせる。
さて、何を出そうか。
手元にあるのは、大量の枝豆と、昼間に収穫実験で得たいくつかの野菜だ。
実は、米の成長を待つ間に、【五穀豊穣】スキルを使って色々な種を試し引きしていたのだ。運良く、キュウリや椎茸、干瓢の原料になる夕顔などが手に入っていた。
そして何より、先ほど収穫したばかりの「早生の神米」がある。
米、海苔(これは川海苔を乾燥させたもの)、具材。
条件は揃っている。
「よし、あれを作るか」
私は土鍋もどきの土器で米を炊き始めた。
グツグツと湯気が立ち上り、甘い香りが小屋に満ちる。
セシリアの目が、猛獣のように輝き出した。
「こ、これは……なんという豊かな香り」
「米だよ。この辺りじゃ珍しいか?」
「コメ……? 東方の国にあるという幻の穀物か? まさかこんな辺境で」
彼女はゴクリと喉を鳴らす。
米が炊きあがる。艶やかな白飯。
ここに、果実から絞った酸味のある汁と、少量の塩、そしてこれまた貴重な砂糖(テンサイから抽出した)を混ぜて酢飯を作る。
具材は、甘辛く煮たキノコ、茹でた青菜、卵はないので代わりのカボチャペースト、そしてキュウリ。
巻き簀はないので、清潔な布を使って巻くことにする。
海苔の上に酢飯を広げ、七色の具材を乗せる。
この具材のバランスが重要だ。味の濃いものと薄いもの、食感の柔らかいものと硬いもの。それが口の中で調和するように配置する。
「えいっ」
私は気合を入れて、一気に巻き上げた。
ぎゅっと締める。強すぎず、弱すぎず。中の空気を適度に残すことで、口に入れたときにホロリと崩れる食感が生まれる。
完成した。
黒々とした海苔に包まれた、太くて立派な一本。
異世界初の「恵方巻」だ。
「待たせたな。これを食べてくれ」
私はセシリアに恵方巻を差し出した。
彼女は目を丸くする。
「なんだ、この黒い棒は……? 武器か?」
「食べ物だ。そのままかぶりつくんだ」
「か、かぶりつく? はしたない……騎士としてそのような」
「いいから食え。死にたいのか?」
私の強い口調に、彼女はビクッとして、恐る恐る恵方巻を受け取った。
温かい。そして、海苔の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
彼女は意を決して、大きな口を開け、恵方巻の端にかぶりついた。
パリッ。
海苔が小気味よい音を立てて破れる。
その瞬間、彼女の表情が凍りついた。
いや、正確には時が止まったかのようだった。
酢飯のさっぱりとした酸味、米の甘み。そこに絡み合う具材のシンフォニー。煮付けたキノコの旨味がジュワッと広がり、キュウリのポリポリとした食感がリズムを刻む。
噛むたびに、味が変化し、融合していく。
「んんっ……!」
セシリアの喉が動いた。
そして、彼女は勢いよく食べ始めた。
もぐもぐ、むしゃむしゃ。
騎士の礼儀も何もかも忘れて、ただひたすらに、目の前の黒い棒を貪る。頬をリスのように膨らませ、目尻には涙さえ浮かべている。
私は黙ってそれを見ていた。作り手として、これ以上の称賛はない。
やがて、最後の一口をの飲み込んだセシリアは、大きなため息をついた。
「はぁぁぁ……生き返った」
その顔は、先ほどの幽霊のような表情とは打って変わり、血色が良く、満たされた多幸感に溢れていた。
「美味かったか?」
「美味いなどという言葉では足りない」
彼女は私の手をガシッと掴んだ。その力は強く、私は少し痛かった。
「なんだあの料理は! 口の中で味が爆発したぞ! それに、食べた瞬間、体の中から力が湧いてくるような……魔力が回復していくのがわかった!」
「ああ、それは【七福神の加護】みたいなもんだ」
「シチフクジン? 古代の神か? 貴殿はもしや、伝説の料理人なのか」
キラキラした目で迫られ、私はタジタジになる。
「い、いや、ただの農夫だよ。趣味で料理もするけど」
「農夫? この魔境で?」
セシリアは周囲を見回し、ようやく小屋の外の風景の変化に気づいたようだった。
窓の外には、月明かりに照らされた青々とした畑が広がっている。昨日は荒野だった場所に。
「馬鹿な……ここは呪われた土地のはずだ。どうして作物が」
彼女は私を見た。値踏みするような、それでいて恐れを含む視線。
「ハルト殿、と言ったか。貴殿は一体、何者なんだ」
私は肩をすくめた。
「だから言ったろ。ただの、豆好きの農夫だって」
彼女の腹が、再びぐぅと鳴った。
「……もう一本、あるか?」
真面目な顔で尋ねる女騎士に、私は吹き出してしまった。




