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タクトは海を見つめていた。
スケッチブックを膝に置き、鉛筆を走らせる。今は夏休み。高校二年の夏を、彼はこうして時々海に来ては、風景を描いて過ごしていた。
その日は特に暑く、照り返しで肌がじりじりと焼ける。そろそろ帰ろうか――そう迷い始めた、その時だった。
少し離れた場所に、水色のワンピースを着た女の子がしゃがみ込んだのが目に入った。彼女は海をじっと見つめ、ときおり視線を落としては、手元の小さな手帳に何かを書きつけている。
……何をしているんだろう。
タクトは、無意識のうちに鉛筆を止めていた。
やがて彼女は手帳を鞄にしまい、静かに立ち上がった。裾の長いワンピースにサンダル姿。潮風にあおられて、スカートがふわりと揺れる。
彼女はおもむろにスカートの裾を持ち上げると、ためらいもなく、そのまま海へと足を踏み入れていった。
……見ない子だけど。
スカート、濡れそうだな。
そんなことを、タクトは素直に思いながら、その後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
彼女は海の中へ足を踏み入れたものの、ふいに動きを止めた。
足元を見下ろし、片足をそっと持ち上げて、何かを確かめるように見つめている。
やがて彼女は、どこかぎこちない動きで踵を返し、海から離れるようにして、ゆっくりとタクトの方へ歩いてきた。ワンピースの裾はまだ乾いたままだった。
……どうしたのかな?
タクトはそう思いながら、近づいてくる彼女から目を離せずにいた。
風に揺れる黒い髪と、夏の光を受けて際立つ白い肌。その姿が、不思議と強く印象に残っていた。
彼女はしばらくの間、何かを探すように周囲を見回していたが、ふいにタクトの方を向いて声をかけてきた。
「すいません。この近くに、水が使える所ってありますか?」
透明で、少し高い声だった。一度聞いたら、耳に残るような声。
タクトは一瞬戸惑いながらも答えた。
「……水? 近くには無いけど。どうしたの?」
彼女は、さきほどから気にしていた足をそっと差し出した。白いに、赤い線が三本、細く走っている。
「貝で、切ったの?」
この海は、油断すると危ない。マリンシューズを履いていないと、貝殻で足を切ることがよくある。
「……そうかも」
彼女はしょんぼりと視線を落とした。
タクトはリュックを下ろし、予備に入れていたペットボトルの水を取り出す。
「これで洗えるかな。まだ、開けてないから」
「……いいの?」
「予備だから、いいよ。足、出して」
彼女は少し迷ったあと、そろりと白い足をタクトの前に差し出した。
タクトはペットボトルの蓋を開け、静かに水を注いで、彼女の足の傷口を洗った。
「ありがとうございます」
彼女はそう言って、タクトに向かって丁寧に頭を下げた。
「ところで、何をしていたんですか?」
不思議そうに、けれど柔らかな声で彼女は尋ねる。
「スケッチしてたんだ」
タクトが答えると、彼女の表情がぱっと明るくなった。
「すごいですね。見ても、いいですか?」
タクトは一瞬、言葉に詰まった。
あまり人に見せるのは好きじゃない。線の荒さも、未完成な感じも、自分では気になってしまう。
けれど、彼女の期待に輝く瞳を見てしまい、
「……少しだけ」
そう言って、スケッチブックを差し出した。
彼女は身を乗り出すようにして、真剣な表情でページをめくっていく。
その横顔を見ながら、タクトはふと、――この人の横顔も、描けたらいいのにな、なんて、ぼんやり考えていた。
「とっても、上手ですね」
彼女は顔を上げ、タクトを見て言った。
「特に、これが好きです」
輝く瞳に、少し赤くなった頬。
彼女が指さしているのは、タクト自身が一番気に入っていた一枚だった。
「なんて言うのかな……こう……」
彼女は言葉を探すように、少し首をかしげる。けれど、合う表現がなかったのか、うまく言葉にならない様子だった。
「……さっき、何をしてたの?」
タクトは、話題を変えるように尋ねた。
「詩を書いてたんです」
そう言って、彼女は鞄から、先ほどまで書き込んでいた小さな手帳を取り出した。




