第6話「完璧な結末」
朝。
七月三十一日。俺は、もう何も驚かなかった。
世界の始まりの記録。
虚無の中で、俺を失ったほのかの魂が、俺と出会った日を再現したという事実。そして、俺自身が、その「本物」の真野拓海の記録であること。
そのすべてを知った俺は、ただ静かにベッドから起き上がった。
心臓は、いつもと同じように警鐘を鳴らしていた。だが、その音の意味は、もう変わっていた。
これは、絶望の音ではない。
これは、俺がこの世界を終わらせるための、始まりの合図だ。
俺がこれまで、何度も何度も彼女の死を避けようとしたのは、無意味だった。
なぜなら、彼女の魂は「俺を失うという結末」を、まだ受け入れられていない。
だから、世界はリセットされる。
俺がするべきことは、彼女を助けることではない。
彼女に、俺を失ったという事実を、心から納得させること。
それが、俺がこの世界にいる、たった一つの理由だ。
制服に着替え、玄関を出る。
いつもの通学路。いつものように手を振る、いつもの彼女。
「おはよう、拓海くん」
柔らかな笑顔。その笑顔の奥に、虚無に一人、絶望していた彼女の姿が重なる。
「おはよう、ほのか」
俺は、今までにないほど穏やかな声で、そう返した。
俺はもう、君を助けようとはしない。
俺は、君に「完璧な結末」を贈る。
俺は、彼女の手を握る。その温かさが、俺の心臓を締め付ける。
「今日はね、帰り道にちょっと寄り道したいなって思って」
彼女は、嬉しそうに話す。
「分かった。今日は、どこでも行こう」
俺の言葉に、彼女は少しだけ目を見開く。いつもなら、俺は彼女の死因を回避するために、行き先を無理に変えようとしていたからだ。
「本当に? 嬉しい!」
太陽のような笑顔が、俺の心を深く、深く突き刺した。
俺たちは、学校を終えると、二人で歩き始めた。
向かったのは、通学路の途中にある、小さな公園だった。
ここは、俺とほのかが初めて言葉を交わした、始まりの場所。
ベンチに二人で座り、ただ、夕焼けを眺めていた。
言葉はなかった。
だが、それが何よりも、幸せな時間だった。
時計の針が、午後五時十三分を指そうとしていた。
今日、俺は、彼女を失う。
だが、今度は、俺の意志で。
「ねえ、ほのか」
「ん?」
俺は、震える声で、最後の言葉を口にする。
「君に、言いたいことがあったんだ」
ほのかは、不思議そうに俺の顔を見る。
その瞳に、俺は自分の姿を映し出した。
本当は、君を一人にしたのは、俺の方だった。
この世界を創ったのは、君の愛だ。
俺は、その愛に応えなければならない。
俺は、君の創った世界から、君を解放しなければならない。
「……ごめんね、ほのか」
俺は、彼女の目をまっすぐに見つめ、最後の言葉を告げる。
「俺が、君を一人にした」
その言葉は、虚無の中で、君が初めて聞いた言葉。
そして、この世界を終わらせるための、唯一の言葉。
俺は、君の手に、そっと自分の手を重ねた。
──さあ、終わりを始めよう。