第5話「始まりの虚無」
朝。
何度繰り返されたか分からない七月三十一日。俺はもう、何も驚かなかった。
世界が崩壊したあの日、俺の頭の中に流れ込んできた記録。
それは、過去のループの記録でも、ほのかの死の記録でもなかった。
──『世界の始まり』の記録。
その記録は、俺にすべてを教えてくれた。
俺とほのかの関係、そして、この世界の真実。
この世界は、もともと虚無だった。
そこに、ほのかの魂が、俺の死をきっかけに、世界を創り出した。
虚無の中でたった一人、俺という存在を失ったほのかは、その悲しみと絶望から、俺と出会った日を再現したのだ。
だが、その再現世界で彼女は、俺と出会った「その日」をやり直すことしかできず、どうしても俺を失うという結末から逃れられなかった。
だから彼女は、死を繰り返す。
俺を失うという「完璧な結末」に、彼女の魂が納得できずにいるからだ。
そして、俺という存在は、彼女の魂によって創られた、幻のような存在だった。
だが、唯一、真実の記録だけは、俺の魂の中に宿っていた。
──俺は、この世界を創るきっかけとなった、本物の「真野拓海」の記録だった。
ベッドから起き上がった俺は、スマホをポケットに入れ、静かに玄関を出た。
今日の死因を記録から消す。
その目的は変わらない。だが、その方法は変える。
俺は、いつもの通学路とは違う、人通りの少ない裏道へと向かう。
もう、ほのかはいない。
彼女は、俺が「世界の裏側」へと向かうことで、再び目が覚めてしまうだろう。
だが、それでいい。
俺は、駅裏の路地裏へと足を踏み入れた。
ここは、彼女が通り魔に襲われるはずだった場所。
その空間は、まるで水たまりのように歪んで見えた。
俺は、再び自分の能力『死の記録者』を意識する。
青白い光が、俺の手から放たれる。
その光は、歪んだ空間へと吸い込まれ、俺の脳裏に記録された過去の死因──【通り魔に襲われる】──の記録を、ゆっくりと消し去っていく。
だが、その瞬間、俺の目の前に、光が弾け飛んだ。
そこに立っていたのは、ほのかだった。
いつもの柔らかな笑顔ではなく、どこか寂しげな表情で、彼女は俺を見ていた。
「どうして、拓海くん」
彼女の声は、まるで遠い場所から聞こえてくるようだった。
「どうして、あなたは、私を一人にしようとするの?」
その言葉は、俺の心に深く突き刺さる。
俺が求めていたのは、彼女のいない世界ではない。
彼女が、悲しみを乗り越え、新しい世界で生きていける未来だ。
「俺は、君に生きてほしい」
俺の言葉に、ほのかは悲しげに首を横に振る。
「──無理だよ。だって、あなたを失った世界で、私は、生きている意味を見つけられない」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中に、最後の記録が流れ込んできた。
それは、ほのかの魂が、虚無の中で初めて発した言葉。
「ごめんね、拓海くん。俺が、君を一人にした」
世界の始まり。
そこには、俺とほのかがいた。
俺は、彼女を一人にしないために、この世界を創った。
そして、彼女は、俺を失った世界を繰り返している。
俺たちは、二人で一つだった。
だが、その記録が消えるとき──俺は、この世界の真実を、すべて忘れてしまう。
そして、世界は、また崩壊した。
俺は、また朝を迎える。