第1話「永遠に死ぬ君へ」
朝。
じりじりと焼けるような夏の光が、薄いカーテンを透過して目蓋を刺す。遠くから響く蝉の鳴き声は、まるで世界の始まりを告げる合図のようだ。
目を覚ました俺は、天井を見つめたまま、全身から力が抜けていくのを感じた。心臓が鉛のように重い。
「……嘘だろ」
乾いた喉から絞り出すように呟いたその一言で、すべてを悟る。
ここは、あの日の朝だ。
死んだはずの、七月三十一日。
ベッドから跳ね起きる。身体は慣れた動作で動くが、心臓だけがけたたましい警鐘を鳴らし続けている。サイドテーブルに置かれたスマホを掴み、液晶を見る。
【7月31日(火) 6:32】
液晶の文字列が、容赦なく現実を突きつけてくる。
──まただ。俺は、またこの日を繰り返している。
胃の奥からこみ上げてくる吐き気に耐えながら、制服に着替え、階段を駆け下りる。朝食をとる気力なんて、とっくに失せている。玄関のドアを開けると、生ぬるい風が頬を撫でた。アスファルトの匂い、焼き付くような日差し。何度繰り返しても、この五感が覚えている日常が、俺の心を深く抉る。
街路樹の並ぶ通学路。その少し先に──彼女はいた。
柔らかな黒髪を揺らし、麦わら帽子を深くかぶった少女。
俺の恋人、綾瀬ほのか。
この世界で、俺だけが知っている真実。
──彼女は今日、死ぬ。
それも、もう何十回も目にしてきた、異なる死に方で。
「おはよう、拓海くん」
屈託のない笑顔で、彼女は手を振った。その眩しすぎる笑顔を見るたびに、俺の胸に突き刺さる痛みが、少しずつ鈍くなっていく。それが何より恐ろしい。
「お、おはよう……」
かろうじて返した声は、震えていた。どうしても慣れない。
この地獄のカウントダウンの中で、天真爛漫に笑う君を、俺はただ見つめることしかできない。
「今日はね、帰り道にちょっと寄り道したいなって思って」
楽しそうに話す彼女の言葉が、ただのBGMに聞こえる。
「……いいよ。どこでも」
俺は彼女の手を握る。この感触だけが、唯一の現実だ。
これで今日の死因が“交通事故”になる確率は下がった。だが、そんな小手先は何の意味もない。
だって、今日の死に方は──“世界崩壊”だったからだ。
午後五時十三分。すべては、突然訪れた。
夕焼けに染まり始めた空に、まるでガラスにヒビが入るように亀裂が走る。赤い閃光が雲を貫き、空間そのものが砂のように崩れ落ちていく。音はなかった。ただ、世界の終わりを示す静謐な光景が、目の前に広がっていた。
重力が反転し、人々が悲鳴をあげる暇もなく、空へと落ちていく。
その崩壊の中心にいたのが、ほのかだった。
彼女はただ、空を見上げていた。恐怖も、絶望もない。その瞳が、まるで“この世界のすべてを許したように”、穏やかに閉じられる。
──世界が、終わった。
目を閉じ、次の一秒で──
【7月31日(火) 6:32】
再び、その朝に戻っていた。
心臓が早鐘のように鳴り、全身の血が逆流するような感覚。
「……どうすれば、君を救えるんだよ……っ!」
叫んでも、誰も答えない。
この世界は、ただ彼女の死によって始まり、終わる。
君自身ですら、何も覚えていないのに。
永遠のループの中で、俺だけが、君の死を記録し続ける。
──これが、“愛”でなくて、何なんだよ。
だが、それが、永遠に死に続ける君を、俺が愛し続ける理由だった。
そして──俺は、また君を失う朝を迎える。