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はじめまして。こんにちは。ごめんなさい。(中)

 わたしは「災厄」と呼ばれた少女のことを知らなかった。故郷に大切な相手が自分を待っていると言うこと以外、彼は口を割らなかったのだ。理解されないと身にしみていたのかもしれないし、自分だけが彼女のことを理解していればそれで十分だったのかもしれない。もしも彼女の存在を知っていたら、あの日の出来事は止められただろうか。結局、同じ結末を迎えたような気がする。偽物のわたしは、どうせ目の前の真実を見抜くことなどできないだろうから。


 彼が黒い竜を討ち取り、絶望に沈んだ後、ひとりの子どもを連れ帰ってきた。彼の実子らしいが、子どもは彼のことを父とは呼ばなかった。年齢的に父親に会ったこともなかったのだろう。だが彼は、母の敵を父とは呼ばないだろうと言い切った。損な性分だと思う。


 実は王子さまだったという彼がもともと住んでいたお城は竜によって壊されていたが、彼と彼女が暮らしていた小さな屋敷は無事だった。屋敷を守るように結界が施されていたからだ。安易に触れたわたしは火傷を負うことになったが、彼が手を触れると結界はするりと解けていった。彼女は、彼の帰りを心から待ち望んでいたのだろう。


 子どもを引き取ったとはいえ、突然知らない人間に懐くはずもない。彼はどう言いくるめたのか、子どもの世話係として生前彼女が親しくしていたという婦人を雇い始めた。婦人はわたしに対しても辛辣だった。


「聖女さま。あんたはすごいおひとだよ。でもね、あんたはあの子がどれだけ頑張り屋だったのか。それをちっともわかっちゃいないね」


 わたしだって、誰より努力してきた。そう言いたかったけれど、言えなかった。彼女の献身が、すさまじいものだったから。


 大雨で川の水が氾濫すれば、体当たりで水の流れを変えた。

 山が崩れて道が塞がれれば、身体をねじこみ道を切り開いた。

 畑で食物の実りが悪ければ、自ら血を流し土地を肥えさせた。

 暴漢や盗賊らが街を襲えば、炎を吐いて撃退し人々を守った。


 城を破壊したときは黒々と光り輝いていた竜が、しばらくするうちにどこか疲れているようにも見えたという。剥げかけた鱗も数多くあったが、それはどうにもならないときに限り金策のために自ら鱗を引きはがし、住人に与えていたからだそうだ。


 どうして彼女が竜であることを近所のひとたちはみんな知っていたのだろうかと思ったけれど、少し考えればわかることだった。竜が出現するたびに、子どもを預けて消えてしまうのだ。正直に言って怪しすぎる。竜が消えてすぐに姿を現せば、疑ってくれと言っているようなもの。それでもみんなが黙って受け入れていたのは、彼女の働きを周囲が認めていたからなのだろう。


 あの時も、そうだったのだという。

 わたしたちがこの国に来た時、竜である彼女が火を吐いていたのは、この辺りの人々を悪漢から守るためだった。


 正義というものは、どの立場で語るかによって大きく形を変える。この国にたどり着くまでの間、多くの人々が竜のことを恐ろしい魔獣だと罵っていたけれど、真実はわたしの想像とはまったく異なるものだった。


 恐ろしい、最悪の魔獣だと悪態をついていたのは、よその国のひとたちばかりだった。あるいは、竜に痛い目をみせられて這う這うの体で逃げ出したこの国の元貴族たちか。それならば、竜を毛嫌いした理由もわかるというもの。神さまは人間の理解を超えている。強く、激しく、いっそ暴力的で、人間の機微など意に介さない。


 何が災厄を呼ぶ竜だ。災厄どころか、幸いを約束する竜ではないか。


 竜を葬ったわたしは、「聖女」ですらなかったのだと思い知らされた。「本物」になるなんておこがましい。「仮の聖女」どころか、これでは国を破滅に導く「悪女」だ。「災厄」の竜は、人々に愛されていた。偽物のわたしなんかとは違って。


 積み重ねてきた死体の山の上で「聖女」を気取ってはみたけれど、わたしは勘違いのお山の大将でしかなかったということか。結局旅が終わってもわたしの額に聖女の印である花は咲かなかった。


 それから王子として名乗り出た彼は、王として国を治めるために尽力した。わたしもまたこの国にとどまったが、それは彼の手助けをするためではない。むしろ、彼の足を引っ張らないために消極的な意味での残留だった。


 本当は彼も、わたしのことなど放り出したかったのだと思う。けれど他の国にいけば、この国を憎む人間の旗頭にされる可能性がある。竜を倒した聖女などと、わけのわからぬ宣伝をされるかもしれない。だからわたしは、ここへ留まるしかなかったのだ。



 ***



 竜がいなくなって、自分を取り巻く環境が変わったのはわたしだけではなかった。彼女と彼の子どももまた、今までと全く異なる生活を送ることになったのだ。


 ふたりの子どもは、不思議な男の子だった。小汚いぬいぐるみを抱えている上に、首元に何かぐるぐると呪いをかけられている。黒光りする鎖のようなその呪いは異様な代物だ。


 正式な手順を踏んだ魔術ではなく、ただ溢れんばかりの魔力と祈りでがちがちに縛られていた。朴訥とした原始の祈り。術式は読めなくても、この子どもを守りたいという愛があることだけは理解できた。


 一度すれ違った際にその鎖に手を伸ばしてみたことがある。けれど男の子の首元に手が近づいた時、ぱちんと弾かれてしまった。想像していたよりもずっと威力が強い。雷のような鋭さ。無理に手を加えればこちらが焼き尽くされそうだった。


 近づくなということだと、ようやく理解した。子どもを守る母の凄味を感じて、わたしは静かに頭を下げる。そしてできるだけ、彼とその子どもに関わらないように気を付けた。そのつもりだったのだけれど。


「せいじょさま!」


 子どものほうから、わたしに近づいてくるようになった。


 たぶん彼は居場所を探していたのだと思う。突然母が消え、周囲にかしずかれるようになった。それらの理由を、幼い男の子が理解できるはずがない。


 わたしの住処は王宮の中でも、奥まった静かな場所にある。それは子どもにとっても好都合だったようだ。そして今回もまた、こっそりと子どもはやってきた。


「こんにちは。今日はどうされましたか?」


 わたしが尋ねれば、男の子はにっこり笑って腕の中のぬいぐるみをこちらに差し出してきた。本当は「殿下」と呼ぶべき相手だけれど、この子がその呼び方を好きではないことをわたしは知っているから、尊称も名前も呼ばないことでお茶を濁している。「殿下」と呼ばれたくない男の子と、ちゃんと「聖女」と呼ばれたいわたし。わたしたちの悩みは、微妙にずれていて、でもやっぱりどこか似ている。


「大事なお友だちなのですね」


 ずいぶんとくたびれ、薄汚れたぬいぐるみ。復興中とはいえ、次代の王となる子どもなのだから、もう少し質の良いおもちゃを手に入れることはできなくはないと思う。それでもこの子が大事にしていて、周囲が取り上げないということは、つまりそういうことなのだろう。


 たぶんこれは、彼女が……かつて「災厄」と呼ばれたひとが作ったもの。可愛らしいと不細工のちょうど中間にある、どこかとぼけた顔のぬいぐるみがわたしをじっと見つめている。決して上手とは言い難いが、ひと針ひと針愛情を込めて縫ったということがよくわかる、そんな縫い目をしていた。


「この子、なおしてくれる?」


 確かにぬいぐるみの腕がとれかけている。ぷらぷらと揺れていて、少し引っ張れば今にも千切れてしまいそうだ。こんなにくたびれるまで大事にされていれば、ぬいぐるみも本望だろう。ぬいぐるみだって、どこか誇らしげな顔をしている。だからこそ、わたしが手を出すべきではないと思った。


「わたしよりも、もっとふさわしい方がいらっしゃるかと存じます。お城にも、お針子さんがいらっしゃるでしょう? 頼みにくいということであれば、わたしのほうからお声をおかけしますよ」


 大切なぬいぐるみに触れれば叱責されると恐れているのかもしれない。つい昔のことを考えて、胸が痛んだ。もうずいぶん昔のことだというのに。けれど、男の子は少し困ったような顔で首を振った。


「あのね、みんな、おててがいたいんだって」

「おててが痛い?」


 これは既に、修理をお願いされたお針子が叱責されているということだろうか。確かに貴族の家には、貴族の子女の粗相のお叱りを代わりに代理が引き受ける場合もあるけれど。あの男が、そんな習慣を行っているとは思いがたい。彼は、不器用なほど真面目で、まっすぐな人間だった。


「どうして、おててが痛くなるのかわかりますか?」

「わかんない。みんな、あちちってなるって」

「あちち……まさか」


 触れると熱いほどの痛みを感じる。それはわたしにとって、身に覚えがありすぎるもの。屋敷の結界、そしえこの子の喉の戒めに手を触れたときのことを思い出した。慌ててぬいぐるみをまじまじと見つめてみれば、ぬいぐるみに取り付けられていたのはただのボタンではなかった。


 ぴかぴかと黒光りしていたから黒蝶貝だと思っていたが、考えてみれば当たり前だ。最高級の材料が手元にあるのに、使わない親がどこにいるだろう。自分の代わりに、この子を守ってくれるのだと思えばなおのこと。このぬいぐるみの目に使われているのは、竜の鱗だ。それもおそらくは、竜の逆鱗。


 それならば、このぬいぐるみに手を触れた者はもがき苦しむだろう。害意の有無にかかわらず、このぬいぐるみがふさわしくないと考えれば焼き尽くされる。苛烈なまでの愛情。けれど、その愛情がわたしには少しだけ羨ましい。


「ちなみに、陛下ではどうでしょうか。陛下ならば、このぬいぐるみに触れることができるのではありませんか?」


 引き取られたこの子が知らされているのかは定かではないが、陛下はこの子の実の父親だ。ぬいぐるみの作り手にとっては最愛のひと。彼ならば、このぬいぐるみもその身に触れるのを許してくれるのでは。


 忙しいひとだが、大事なひとり息子、最愛の忘れ形見の願いを聞き入れないはずがない。無骨な武人がちんまりとした針と糸を持っている様子を想像して、少し口元がにやけた。けれど、男の子はますます困ったような顔をする。


「あのね、にげちゃうの」

「え?」

「……がだっこしようとすると、この子、にげちゃうの」


 何を言っているのか、意味が分からない。


「まさか、二足歩行で走り出す……とか?」


 冗談のつもりだった。けれど、男の子は我が意を得たりと言わんばかりにぴょんぴょんと飛び跳ねる。ちょっと待って。あんまり激しい動きをしたら、そのぬいぐるみの手足がもげてしまうのに。慌てて男の子を止める。


「あの、落ち着いてください」

「この子、かくれんぼがとくいなの」

「かくれんぼですか」

「さっきまでいたのに、……がくると、きえちゃうんだよ」


 それは本当に消えているのではないのだろうか。竜の魔力と呪いが込められているのだから、会いたくない人間がそばにいる間くらい、転移したり、存在が認知できないように隠れたりするのは難しくないはずだ。男の子の腕の中で、ぬいぐるみは知らん顔をしている。


 陛下に会いたくないのか。彼女は、どんな思いでこのぬいぐるみを作ったのだろう。しばらく考え込んでいると、きらきらとした眼差しでもう一度お願いされた。


「だからね、せいじょさま。なおしてほしいの。ぱあって、きらきらで、きれいなので」


 彼がどうしてわたしに会いに来たのか、ここでようやく合点がいった。この子は魔術で治療ができると思っていたのか。確かにそれならば、ぬいぐるみに触れずにすむ。けれどいくら竜の祈りと魔力が込められた特別製のぬいぐるみとはいえ、生き物のように治療することはできないだろう。


「申し訳ありません。それはわたしにもできない相談でございます」

「せいじょさまでも?」


 うるうると涙目で心配そうに聞かれて、胸が痛んだ。「仮の聖女」ではなく「本物の聖女」ならあるいは。そんなことを口走りそうになり、ぎゅっと唇を噛む。こんな小さい子どもに八つ当たりをするなんて、恥ずべきことだ。てのひらを握りしめれば、食い込んだ爪が痛い。


 そう、痛いのだ。わたしは、まだ痛みを感じることができる。恥ずかしさも、悔しさも、全部生きているからこそ。ぬいぐるみを本来直してくれるひとをこの子から奪った原因のひとりは、わたしだ。それならば、できる限りのことをするべきではないだろうか。たとえ両手が焼けただれたとしても。

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