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【連載版】おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。  作者: 石河 翠


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ただいま。お待たせ。これからよろしく。(前)

 神託が成就すれば、もう何も考えなく済むと思っていた。

 その先があるなんて、考えもしなかった。

 自分勝手な振る舞いばかりしていたから、罰が当たったのだろうか。



 ***



 あの日竜として騎士さまに討たれた時、これですべてが終わるのだと思った。悔しさはなく、寂しさより諦めが勝り、ようやく楽になれるとほっとしたのを覚えている。子どものために踏ん張ってきたつもりだったけれど、思った以上に私は疲れていた。


 父親がいなくても、私一人で大切に育て上げなければならなかったのに。愛するひとに裏切られても、私は子どもを愛し続けなければいけなかったのに。ひとりでは、騎士さま抜きでは、もうあれ以上はどうしても頑張れなかった。母親失格だ。


 もしも騎士さまが育ててくださったならば。甘い妄想が心をよぎらなかったと言えば嘘になる。でも、そこまで迷惑はかけられない。私とのことが一時の気の迷いであり、聖女さまと本当の家庭を作るのなら、あの子はきっと邪魔になるだろう。家族になれると期待させておいて、土壇場になってやっぱりいらないと疎まれるくらいなら、最初から他人だと思って暮らしておいた方が傷つかずに済む。


 居場所を手に入れなければ、温もりを知らなければ、恋しく思わずに生きていける。生まれた時から雨に打たれていれば、その環境が当たり前になる。過酷ささえ普通となって、辛いだとか、寂しいだとか、そんな感情は生まれ出ることもないのだ。けれど一度傘を差しだしてもらったら、傘がなくなったときに寒さを感じてしまう。再び、雨に打たれた時には身体の芯まで凍えて死んでしまうだろう。


 だから、子どもから離れる時に(まじな)いをかけた。騎士さまを父と、私を母と呼べなくなるように。最後に唯一残してあげられる、我が子を守る鎧。それが、普通の家族を知らない私からの精一杯の愛情だったから。


 剣で斬られ地面に倒れ伏したものの、結局天の国へは行くことができなかった。かといって、地獄へ堕ちたわけでもなかったのだが。何かの不具合でも起きたのか、私の意識はそのままに、魂を入れておく器……つまりは身体だけがなくなってしまっていた。


 予想外だったが、幽霊もどきとして過ごす現世での生活はそう悪い物ではなかった。身体のない私は、さまざまなものに溶け込み、気ままに過ごすことさえできたのだ。私の意識は不規則に明滅する光のように、制御もできないまま唐突に覚醒と昏睡を繰り返した。


 ある時、私は雨だった。

 ある時、私は炎だった。

 ある時、私は風だった。

 ある時、私は大地だった。


 この国のあちこちに交じって、いろんなことを知った。国外に出ることもできたけれど、結局出ていくことがなかったのは、今にして思えばおそらく未練のようなものがあったのだと思う。あるいは、帰る場所を見失ってしまうのが恐ろしかったのかもしれない。何かの要素に溶け込んだまま、自分であることを忘れる可能性だってあることを、誰に言われるまでもなくぼんやりと認識していたから。


 それからは、とても静かで居心地のいい日々だった。新しい毎日からは、一切の音が消え失せてしまっていたのだ。じかに触って手触りを確かめてみなければ、世界が実在していることさえあやふやになるような、不思議な感覚。けれどそれは私にとっては都合がよいものだった。


 だって、音がなければ傷つかずに済む。周囲の雑音に煩わされることもない。言いたいことを言えずにもどかしさを感じることもない。ひとりきりなら、何も考えなくていい。強烈な刺激にさらされ続けていた私は、誰の声も必要としていなかったのだ。



 ***



 身体を失った私は、音とともに時間の感覚も失っていた。はたと気が付けば、数日、数週間が経過しているなんてことはざらだ。


 ある日のこと。私はこれまた唐突に騎士さまたちのことを思い出していた。そういえば、私が消えてから騎士さまたちはどうしているのだろう。一度気がついてしまえば、どうして彼らのことを忘れて平然と過ごしていたのか理解できないほど動揺した。あるいは、幽霊もどきにこの感情は耐えられないとみなされて、あえて忘れさせられていたのか? そんなことが、まさか。


 思い出したら、会いたくて会いたくて、いてもたってもいられなくなってしまった。じっとしていられない。頭の中で、声にならない言葉がすごい速度で駆け巡り、ないはずの心臓が早鐘を打つ。


 騎士さまは、私がいなくなったことを少しは寂しく思ってくださるだろうか。たとえ他に心を寄せている女性――聖女さま――がいるのだとしても、せめて時折は思い出してくださるだろうか。


 あの子は、私が消えてしまってからも私のことを覚えていてくれるだろうか。たとえ新しいお義母さんができたとしても、産みの母のこともまた心に留めておいてくれるだろうか。


 ちょうど私がふたりの姿を見つけた時、騎士さまは慣れた手つきであの子を抱きかかえていた。よかった、騎士さまはやはり騎士さまだった。ちゃんと、息子を我が子として認めてくれたのだ。ほっと胸を撫でおろす。息子も騎士さまに懐いているようだ。懐かしい、騎士さまとの思い出が詰まったあの家。お城が壊れていたということもあるだろう。そこでふたりは、父子仲良く暮らしていた。私は穏やかな気持ちで、ふたりのことをただ静かに眺めていた。これこそまさに、草葉の陰で見守ると言えただろう。


 けれど、騎士さまとあの子に幸せになってほしい、私のことなど忘れて新しい家庭を築いてほしいと願っていられたのは、ほんのしばらくの間だけだった。私などが心配せずとも、いつの間にかふたりは前を向いて歩き始めていた。時間の止まってしまった私ひとりを置き去りにして。


 あの子は気難しい子どもだった。一緒にいないと眠れないとぐずり、私が夜中に隣からいなくなれば、数秒後には泣きわめくような敏感な子どもだった。素材の些細な食感の違いで食べられないことも多く、私は昼夜奮闘したものだ。


 ところが息子は、騎士さまに引き取られてからあっさりとひとりで寝られるようになっていた。好き嫌いも言わず、失敗を引きずるようなこともない。もしや私の子育て方針が間違っていたのかと落ち込んだ。


 それだけではない。あの子は、私のことを一切恋しがる様子がなかった。毎日にこにこと、天真爛漫に過ごしている。今まで関わりのなかった父親に臆することもなく、聖女さまにもよく懐き、騎士さまの異母兄でもある墓守さまとは友人のような付き合いをしていた。


 そう、聖女さま。あの子は、当たり前のように聖女さまの隣で日々を過ごした。()()()()()()を持つ美しいひと。


 彼女があの子の新しい母親になる日も近いと思われた。それはきっと喜ぶべきことだ。それこそが私が望んだことだ。だから私は、ぬいぐるみの魔力を聖女さまに引き継いでもらうことだって良しとした。あれもこれも全部、自分で選んだこと。それなのに、吐き気がするほど気が滅入った。


 泣きわめいてほしいわけではなかったし、彼らの幸せを願っていたのは嘘偽りのない本心だった。それなのに醜い私は、騎士さまとあの子の幸せそうな姿を手放しで喜ぶことができなかったのだ。


 頼りになる騎士さまと、お優しい聖女さま、そして可愛らしい我が子。それを見守る良き友人である墓守さま。絵画のように美しいとはよく言うが、音のない世界で何を話しているかわからない彼らは、確かに私抜きで完成された家族の肖像画になっている。私と彼らは別の世界に存在しているのだと突きつけられた気がした。


 災厄という役目から解き放たれた私は、一生これを間近で見続けていなければならないのか。子どもを見守ることができるのは、何よりの親の幸せ? こんなもの、幸福でもなんでもない。ただの拷問だ。いっそ正気をなくせたら。愚かな私は、それでも自分のことしか考えていなかったのだ。

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