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「王に最も近い人間として、国の行く末を見守ることになる」
第一王子として生まれた自分に授けられた神託は、なんとも曖昧なものだった。「未来の王」ではなく、「王に最も近い男」とはどういうことなのか。わからないことが多すぎる。
曖昧だからこそ、周囲の人間はそれぞれに都合の良いように解釈した。たとえば国王が長く在位するから、自分の息子は相当に老いるまで王太子として過ごすのだと判断した実母のように。人間は自分の見たいものを見て、聞きたいものを聞く。その先に何があるのかなんて、考えもせずに。
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自分の父親である国王はとんでもない男だった。英雄色を好むと言うが、それにも限度というものがあるだろう。いつ見ても女にだらしのない男だったという印象しかない。だが父に限って言えば、戦を行う才能と政を行う才能は確かに持っていたようで、「色を好むものが英雄だとは限らない」と言われずに済んだことだけは救いだろうか。身近な肉親にとってはむしろ不幸なことだったのだが。
新しい女を手に入れるために戦を仕掛けているのではないか。そんなことを考えずにはいられないほど、父は年がら年中どこかの国と争っていた。そして戦利品として、気に入った女を宮中に連れ帰る。さらに妃や妾、あるいは侍女や下女として召し上げられた女たちは、女同士でまた醜い争いを始めるのだ。
父の渡りのない女の中には、自分に対して秋波を送ってくる者もいた。何を考えているのだろう。もともとあったとは言い難い大人への信頼がますますなくなり、結婚というものが嫌になった。家族など面倒なだけだと早々に判断するほどには、王宮内の人間関係は血なまぐさかった。
「どうして、陛下はわたくしの元に来てくださらないのかしら?」
ほろほろと涙を流す母も鬱陶しかった。だが相手をしなければ半狂乱になり、暴れまわる。殴りつければ静かにもなるだろうが、女子どもに暴力を振るうほどこちらも落ちぶれてはいない。適当に母をあしらいながら、仕事に没頭した。自分は多少なりとも父に似ているらしい。黙って書類仕事をしていれば、母は父が仕事をしているのだと思い込み、機嫌よく過ごしてくれた。
母は家族から大切に扱われたお姫さまだった。いつまで経ってもお姫さま気分が抜けなかった母は、結婚して子どもを産んでも、今まで通りの待遇を求めた。子どもを庇護するのではなく、自身が一番に庇護される環境を望んだのだ。
大人になった今ならわかる。母は愚かなひとだった。
ただ愛されるだけではなく、自分も愛を返さなければ相手との関係は続かないことを学ばないまま愛を乞い、されど望んだものが手に入らず、常に怒りを露わにしている哀れなひとだった。
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王族は争いごとから逃げられない。父親は嬉々として戦いに明け暮れ、母親たちは王の寵を求めて競いあう。その歪みは子どもにぶつけられても止まらない。父親が同じ子どもたちもまた同腹同士で徒党を組み、弱い者いじめをしてそれぞれの鬱憤を晴らすのだ。
女たちに序列があるように、子どもたちにも序列がある。正妃腹から産まれた年長者は地位が高く、母親の身分が低ければその立場は危ういものになる。自分がある一定の年齢まで、見たいものだけを見てぼんやり生きてくることができたのも正妃を母に持つ、王太子だからだ。下女の子どもとして生まれた異母兄弟たちは、そうはいかなかったに違いない。
それでも母親が生きてさえいればまだいい。お荷物だろうが、足を引っ張ってこようが、少なくとも自分と同じ立場の人間がいることは、自分がひとりぼっちではないことの証明にもなる。守られるべき子どもが立ち上がらなければいけないのもおかしな話だが、母親を守ろうとする気持ちが現状を打破するきっかけになる場合もまたあるだろう。
問題は、母親も母親の実家も味方になってくれない場合だ。幼い子どもが、ひとりぼっちでこの王宮で生き残れるはずがない。遅かれ早かれ、病を得て死ぬことになる。そういう世界だ。そして「英雄」になるという神託を得たはずの末の異母弟は、まさにたったひとりで肩身の狭い暮らしをしていた。
異母弟を見かけたのは偶然だ。訓練と称して、腹違いの兄王子たちに模擬刀でたこ殴りにされているというのに、どこか遠くを見るように静かな目をしていたのを覚えている。こんなに綺麗な子どもを産んだひとはどんな女性なのだろう。下衆な好奇心で周囲に異母弟について尋ね、すぐに後悔した。
自分とあまり年齢の変わらない令嬢が無理矢理召し上げられた挙句、出産で命を落としていたのだ。その理由が例のしょうもない神託だったと知り、胸が苦しくなる。そして自分を含めて、そんな子どもに対して親切にするどころか、無視を決め込んでいたり、鬱憤のはけ口にしていたりすることにぞっとした。
――王に最も近い人間として、国の行く末を見守ることになる――
何が、国の行く末を見守ることになるだ。血の繋がった弟のことすら興味関心を抱かない人間が、目に見えない国民ひとりひとりの人生など気にかけることができるものか。小さな子どもが泣きもせずに、じっと痛みに耐えている姿を目の当たりにするまで、王族の争いをどこか他人事だと考えていた。
そんな自分が恥ずかしくて、初めて自分から変わりたいと思った。まっとうな人間でありたい。そんな当たり前のことを気が付かせてくれたのは、確かにこの異母弟だった。
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異母弟は自分などよりもずっと賢く、武にも秀でた人間だった。「英雄」という神託が出されたことも納得できると思いつつ、異母弟が神託を疎んでいることは知っていたので、口には出さないようにした。神託に振り回される不毛さは自分もよく理解している。こちらは絶妙な中途半端さでもやもやするだけだったが、異母弟の場合は神託によって実母が死に、母方の祖父母とは絶縁状態になっている。自分から話してくるはずがなかった。
表立って庇ってやることはあまりできなかったが、不自由のない生活ができるように気を配ったつもりだ。自分が親にしてもらえなかったこと、してほしかったことを、異母弟にはやってきたはずだった。けれど、「わざわざやってあげている」「せっかくやってあげたのに」という自分の傲慢さを、異母弟は見抜いていたのかもしれない。
いつの頃からか、異母弟は絶対服従を示すようになった。違う、やめてくれ。お前にへりくだってほしくて、声をかけたのではないのだ。こちらを見ずにただ黙って首を垂れる姿に、母親の機嫌をとるために黙ってうなずく自分を見せつけられたような気がした。
どうして。自分は異母弟が少しでも穏やかに暮らせるように心を配っているではないか。なぜ当てつけのように、異母弟は功績を上げてくるのだ。自分の不出来を責められているように感じる。そんなはずはないのに。
相手は自分ではなく、自分は相手ではない。だから相手が自分の思い通りに動かないことは当たり前で、自分が相手のために動いたとしても、それが相手にとって迷惑と感じられるなら改めるべきなのだ。こちらがあれこれ気を回したところで、最終的にどうするのかを決めるのはその人生の持ち主自身なのだから。
そんな当たり前のことにさえ気が付かないほど、いつの間にか自分は心の内に積もった不満や怒りに囚われていた。そしてそんな自分の感情は、自分よりも周囲の人間が敏感に感じ取っていたらしい。





