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おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。(前)

 ――お前の声が、世界を滅ぼす――


 それが私に下された神託だった。



 ***



 この世界では、子どもが生まれて三月ほどが過ぎると神からの神託を授けられる。どの国であろうと、それは変わらないやり方らしい。各国にそれぞれ置かれている神殿は、貴族の子どもから貧しい平民の子どもまで分け隔てなく歓迎しているのだとか。神官さまいわく、どんな才能を持っているのか、どんな大人になる可能性があるのかを知ることで、世界の宝である子どもたちがより良い人生を進むことができるからだそうだ。


 今日もまた幸せそうな一組の夫婦が神殿にやってくるのが見えた。生まれたばかりの小さな赤子を抱え、ふたりはくすくすと笑いあっている。腕の中の小さな命におっかなびっくり手を伸ばす男性と、少し疲れは見えるけれど喜びに満ちた輝く笑顔の女性。そして彼らの視線を一身に受けている無垢なる存在。目に入る光景がどうにも眩しくて、そっと目をすがめた。


 神殿奥深くにあるというのに、私の部屋は風の吹き溜まりになっているせいか、外を歩くひとの声がよく聞こえる。まるで何も持たないこちらへあてつけるように。


「もしもこの子に、特別な才能が授けられていたらどうする?」

「どんな祝福だったとしても、この子はわたしたちの可愛い娘だろう?」

「ええ、そうね。わたしとしては、お針子の才能やお料理の才能なんかがお勧めなのだけれど。お嫁に行くときに困らずに済むわ」

「お嫁になんかやるもんか。婿として来てくれる男とじゃなきゃ結婚させてやれん」

「もう、あなたったら。生まれたばかりだっていうのに、もうお嫁に行く心配をしているの?」


 そんな風に笑いさざめく家族たちの後姿を、指をくわえて見守ることしかできない。彼らのような家族の形は、私からあまりにも遠すぎるものだったから。幸福を約束するはずの聖なる神託。けれど私にあるのは、残酷な現実だけ。


 ――お前の声が、世界を滅ぼす――


 恐ろしい神託が下されたとき、私の家族はどんな反応をしたのだろう。気味が悪いと家族で私を捨てたのか。あるいは何の後ろ盾もない平民の手には余るだろう、まだ幼い命が消えるのは忍びないと神殿が救いの手を差し伸べたのか。細かい事情はよくわからない。ただひとつ確かなことは、私は神殿の中でも隠されるように育てられてきた厄介者だということ。


 私の存在は「穢れ」らしい。関われば自身が穢れるのだとか。おかげさまで私は物心ついてこの方、ただの一度も誰かに触れた記憶がない。


 手を繋ぐこともなく、頭を撫でられることもなく。抱きしめられること、言葉をかけられることもなく。少しでも接触したのなら身体が腐り落ちるのだと言わんばかりに、徹底して存在を無視される。時々、私は本当にこの世に存在している存在なのかわからなくなる。


 そもそも、光の射し込まない神殿の奥で最低限の世話をされることは生きていると言えるのだろうか。それでも私にとっては、罪人のような暮らしが生まれた時からの当たり前で、それ以上を望むべくもなかった。あの方――私の騎士さま――に出会うまでは。



 ***



「初めまして。こんにちは」


 私を監視するという名目でやってきた騎士さまは、他のひととはずいぶん毛色が異なるひとだった。初対面のはずの彼の視線は、まっすぐに私を射抜いている。私に下された神託を知らないはずがないのに。


 私は、騎士さまがどんな相手かもわからぬまま黙って頭を下げた。どのような経緯でここに来ているのだとしても、不本意な務めであるに違いない。うっかり相手を怒らせて、ぶたれたり、殴られたりしてはたまらない。けれど、私の予想は良い方向に裏切られた。


「これは……ひどい。今までずっと痛かっただろう? どうしてこんなになるまで。神殿は一体何を考えているんだ」

「っ!」


 不意に騎士さまの大きな手が私の肌に触れてくる。かさぶたになることのない、ぐじゅぐじゅとした傷跡が痛み、声にならない悲鳴とともに勢いよく飛びのいた。重たい金属でできた魔道具は、肌に食い込み、こすれ、ずっと血がにじんでいたけれど、騎士さまはそのことを一目で見抜いたらしい。


 分別のつく年頃になった私は、かつて赤子のときに殺されることがなかったのは、泣き声が破滅を呼ぶかもしれないと警戒されていたからだということを知った。


 そんな彼らの不安も、近年では解消されてしまったのだけれど。私は自分の首元を静かに確かめる。首を絞め殺すかのようにきつい金属の首輪。声封じの魔道具だ。「特別製だ」と神官さまたちは、嫌な笑みを浮かべていた。それを何重にも私はつけられている。


 柔らかい肌に剥き出しの金属をつけ続けていれば、擦れて炎症を起こすことくらい神官さまたちは知っていたはずだ。それでも決して改善されなかったのは、たぶん意図的だったに違いない。「災厄」を封じつつ、罰することができるなんて一石二鳥だとでも考えたのだろうか。


 どんなに嫌なことをされても、声が出せなければ誰かに訴えることなどできない。文字を知らなければ神殿外に助けを求めることもできない。そもそも味方のいないもの知らずの平民にできることはただじっと我慢することだけ。


「君が口を開けば、世界が滅ぶだなんて。神託が本当かどうかも怪しいのに、こんな小さい子どもになんて酷なことを」


 告げられた言葉に目を丸くする。神官さまたちが耳にしたら激昂してしまいそうな不遜な内容だ。あの方はあくまでわたしを普通の子どもとして扱った。他のひとにしてみればごくごく普通の、けれど私にとっては初めての温かいやりとり。騎士さまに惹かれていくのは、当然のことだったのかもしれない。


 失うとわかっていたなら、始めから愛など求めなかったのに。



 ***



 騎士さまは、私にとって神さまの御使(みつか)いも同然のひとだった。彼は私に私の求めていたすべてを与えてくれた。


 太陽の温かさと地面の柔らかさを感じた。

 出ることの叶わなかった神殿の自室から連れ出され、騎士さまが用意したという小さな屋敷に連れていかれた。なんと騎士さまもここに住んでいるのだという。


「身体が冷え切っているな。あんな北向きの石牢みたいな部屋に閉じ込めているからだ。子どもは日の光をたくさん浴びなくては。大人の都合で縛りつけたところで、良いことなどありはしないさ」


 柔らかな寝台はふわふわと空に浮いているようで、しばらく床で寝ていたのはここだけの話だ。


 誰かとともに食べる食事の美味しさに驚いた。


「なんだ今までの食事は。鳥の餌か? まあ確かに君は小鳥のように可愛らしいが。ほら、もっと肉を食べなさい。子どもはたくさん食べて、大きくなるのが仕事なのだから。毒見は俺がしているから。ちゃんと食事は温かいものでなくては、つまらないだろう?」


 騎士さまの好物だというスープが一番好きだというと、騎士さまは私にその作り方を教えてくれた。料理は苦手だと言いながら、騎士さまの手際はとてもよかった。


 文字を覚え、自分の想いを相手に伝える楽しさを覚えた。


「そうか、気に入ってくれたか。あれは、俺が子ども時代に楽しんだ冒険小説なんだ。周囲には、そんなものより帝王学を学べと叱責されたものだが。こうやって一緒に楽しんでくれる相手が見つかって、俺も嬉しいよ」


 つたない文字で、ただ面白かったことだけを一生懸命伝えれば、騎士さまは嬉しそうに小さくはにかんだ。


 共に外の空気を吸い、花の香りをかいだ。


「花は好きかい? ほらこっちにおいで。この花は君によく似合う。ああ、もしかしたら君はこの花の精だったのかもしれないな」


 やがて騎士さまは、私を花の名前で呼ぶようになった。春が似合う可愛らしい小花。名前さえ与えられず、ただ「それ」とか「あれ」とか「災厄」とさえ呼ばれていた私だったのに。


 騎士さま。騎士さま。私の騎士さま。


 最初の頃は当たり前のように抱きしめてくださったのに、しばらくすると騎士さまは私に不用意に触れなくなった。「穢れ」だと認識されたからではないことはわかっている。騎士さまは、ようやく気が付かれたのだ。私が幼い子どもではないことに。


 ただあまりにも粗雑に扱われていたから。まともな食事ひとつ与えられていなかったから、ひどくやせ衰えていただけ。しっかりと栄養をとれば私は年相応の女になった。それでも私は無邪気を装って、騎士さまに甘えた。何も知らない私は、ただ騎士さまの服越しの体温に触れるだけで満たされたから。


 騎士さまのおかげで、生きる意味を知った。騎士さまがいてくださるなら、一生このままで構わない。そんなことをちらりと願ってしまったかもしれない。私の馬鹿な望みが、騎士さまの運命を歪めてしまったのだ。

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