三週目と一日③
手をつないだまま向かった花火大会の会場は、想像以上の混雑だった。
全く動かない長蛇の列は、もはやどこに向かって歩いているのかすらも分からない。
川沿いのため照明も少なく、数歩先が見えないくらいに暗い。
「先に場所取りしておくべきだったかもね」
「そうだね……どうしよっか、どこか適当な場所に避難する?」
「どこかって言っても、そんな場所なんてあるのかな?」
「ほら、待ち合わせに使った神社、あそこなら人少なかったし」
境内までの階段を登れば、それなりに花火も見えるかもしれない。
ここまで歩いてきて、もしかしたらこの先にイイ場所があるかもだけど。
……多分ないな、だからこんなに混んでるんだろうし。
「なんか、スムーズに歩けるだけで幸せ感じちゃうかも」
進行方向を分けていた安全ロープをくぐって、来た道を戻る。
ウソみたいに混んでる道も、逆を行けばスイスイだ。
「もっと事前に調べておけば良かったかな、高橋さん足とか平気?」
「平気だよ。浴衣だけど、下はサンダルだから」
むしろ、ダメなのは僕の方かも。
甚兵衛に合わせて雪駄なんか履いてきたから、なんか足が痛い。
でも、これぐらいは我慢だ、楽しい雰囲気に水を差すわけにはいかない。
「うわ、結構見晴らしいいね!」
神社の石段を登りきり境内の裏側へと向かう。
すると、そこには花火大会を一望できる空間が広がっていた。
一望は言い過ぎかな、木が沢山あるけど、その隙間から見える感じ。
僕達以外にも人はいたけど、会場のそれとは比べるまでもない。
「空渡君、こっちこっち」
「あ、いい場所空いてたね」
「寄りかかれるし、ここからなら多分花火も見えるよ」
寄りかかれる程の高さの柵に手を掛けると、遠くの方からカウントダウンが聞こえてくる。
一発目の打ち上げがまもなく始まろうとしているんだ。
年末年始のカウントダウンにも似たワクワクが、僕達を包み込む。
――3!
――2!
――1!
ぼしゅ……という音と共に打ち上げられた火の玉が、どこまでも天高く昇っていく。
皆が見守る中、それは地鳴りを伴う爆音と共に、夏の夜空に大輪の華を咲かせた。
「たーまやー!」
高橋さん、花火が上がるなり大声で叫び始める。
「ほらほら、空渡君も!」
「え……あ、うん、かーぎやー」
「声が小さいぞ! もっとお腹から声を出さないと!」
別に、声出ししてまで花火を見に来たんじゃないんだけど。
なんて野暮なことは無しだな、全力で行くか。
何発目かの大玉が上がったのを見て、手をメガホンに。
「かーぎやー!」
「あはは、いいね! たーまやー!」
「かーぎあー!」
「あははは! なにそれ、悲鳴みたい!」
僕達だけだよ、こんな叫んでるの。
羞恥心を吹き飛ばすためにも、大声を出さないと。
「かーぎゃーッ!!」
「あはははっ!」
もはや何を叫んでいるのかも分からない。
高橋さんもお腹抱えて笑ってるし。
周囲の人たちの冷たい視線がものすごく痛いから、そろそろ仕舞いにしておこうかな。
「はははっはは……ひー、お腹痛い」
「もう、叫ばないから」
「うん、今年一年分は叫んでたかもね」
めっちゃいい笑顔しちゃって。
まぁ、高橋さんには色々とお世話になってるし、これぐらい別にいいけど。
「そうだ、高橋さん」
「ん?」
沢山の花火が上がっている中、僕はバッグに忍ばせていたプレゼントへと手を伸ばす。
「これ、僕からの気持ち」
「え、なにこれ、どうしたの急に」
「高橋さんには数えきれないぐらいにお世話になってるから、ちょっとだけでもお返しが出来たらなって思って。これ、良かったら貰って下さい」
袋に入れたままのプレゼントを、高橋さんは無言のまま受け取る。
でも、その顔はすぐさま笑顔になり、なんなら涙まで溢れてきた。
「え、ちょ、ごめん」
「あ、あは、いいの、嬉し泣きだから」
「嬉し泣きって、そんな」
「だって、嬉しいもん。プレゼントなんて貰った事ないし、空渡君からのプレゼントとか、貰えると思ってなかったし。……っ、ごめんね、私、ちょっと涙脆いかも」
――愛おしい、涙を浴衣の袖で拭う彼女を見て、心の底からそう思った。
ドクン、ドクンって、自分の鼓動が高鳴るのが分かる。
「開けても、いい?」
「うん、いいよ」
夜空の花火が周囲を照らしてくれるから、プレゼントを開けるのには困らない。
色とりどりの花火が彼女の表情を照らし上げ、そして僕の気持ちを高揚させていく。
髪を耳にかける仕草、朱に染まった頬、すべてが可愛らしく、そして美しい。
「わぁ、化粧水だ。しかもこれブランドの……高いのに、いいの? こんなの貰っちゃって」
「うん、いいよ、使ってくれたら本当に嬉しい」
「そっか……えへへ、なんか嬉しい。ごめんね、私、貰ってばっかりだ」
この瞬間、僕の中でエナが完全に消え去ろうとしていた。
彼女には渡せなかった、何も言えないままに終わってしまった。
でも、高橋さんになら、渡せるし、伝えられる。
大輪の花火の中での告白なんか、シチュエーションとしても最高じゃないか。
高鳴る心臓と共に、想いを打ち明ける。
そうすることで、僕の中で何かが決着するはずだから。
「高橋さん」
「……うん」
花火に照らされた彼女は、この世の者とは思えない程に、ゾッとするほどに綺麗だ。
夏の暑さが垂れた髪を張り付かせ、汗という名の香水が僕を誘う。
だけど、口の中が、なんかざらつく。
告白なんかしたことないし、された事もない。
心臓がうるさいぐらいにドクンドクン言うばかりで、言葉に出てこない。
彼女と知り合ってから、色々な場所に行き、そのたびに違う彼女を知ることが出来た。
どこにいても楽しそうに笑って、時には大会で負けて悔し涙を流して。
プレゼントを貰ったら嬉しくて泣いてしまう……そんな彼女を、僕は。
ぎゅっと胸の辺りを握り締める。
花火の打ち上げが止まり、暗闇と静寂が訪れた。
今しかない、今なら、全部ハッキリと伝える事が出来る。
うるさいぞ心臓、ちょっと黙れ。
この思いを、絶対に伝えないといけないんだ。
「高橋さ「あれー!? そこにいるのみえぽんじゃない!?」」
被さるように誰かの声が高橋さんを呼んだ。
咄嗟のことに驚いて、なぜか僕の右目からコンタクトがズレる。
え、見えない、レンズ、どこだ。
「きゃー! みえぽんも来てたんだね! ウチのクラスの男子も下に沢山いたんだよ!? 男だけで楽しんでるんだって言っててさ! 良かったらみえぽんも一緒に下に来ない!?」
「えっと、私はいま」
「あれ? 誰かと一緒だった? だとしたらごめんね! 暗くて見えなくてさ!」
にぎやかだな、ウチのクラスにこんな大声で叫ぶ子なんかいたんだ。
それよりも、目が痛い、ズレたレンズ直さないと……って、え、落ちた!?
「やほやほ、みえぽん」
「あ、愛野ちゃんも来てたんだ」
「うん、みえぽんは一人?」
「一人じゃないんだけど……あれ? どうしたのかな」
「そか、じゃあまた今度、一緒に遊ぼうね」
「うん、またね」
嵐のように現れて、嵐のように去っていく。
コンタクトレンズを落とした僕が地べたに這いつくばってたから、気付かなかったのか?
もし僕が顔を上げてたら、こんなボロは出さなかったはずだ。
「あれ? 空渡君どうしたの? なにか落としちゃった?」
「高橋さん」
「うん」
「いま、最後に会話したの、誰」
「え? 国見さんだけど、どうしたの?」
国見さん? そんな馬鹿な。
彼女はもっとたどたどしく話をするはずだ。
演技だった? 僕と美容室で会ってからずっと?
「高橋さん」
「……うん」
「ごめん、僕、足が痛くて」
「え? あ、うそ、血が出てるじゃない!」
「それにコンタクトレンズもどこかに行っちゃったみたいで、右目が何にも見えないんだ」
「え、なんか、いつの間にか大惨事だね」
ポーチから取り出した絆創膏を貼りながら、呆気にとられた顔の高橋さん。
どれもこれも嘘じゃないから、説得力としては強い。
「うん……さすがにこの状況だと、何にも出来ない」
「あ、ううん、いいよ。お家に帰れる? 一緒に行こうか?」
「大丈夫、むしろ高橋さんは?」
「私は両親が近くで花火見てると思うから……本当に大丈夫? バス停まで一緒に行こうか?」
「そうして貰えると助かるかも、予備を持ってきておけば良かったよ」
頭の中がエナ一色になってしまった今の僕は、高橋さんに告白する資格なんかない。
まだ確定した訳じゃない、でも、調べる価値はあるはずだから。