冬、銀と白に染まり、人口の灯りが燈る。
あの日に戻れたら、僕は君になんと言えたか。多分、何も言えない。
でも、もしもあの時、好きだと言えたら。その後に出会った彼女を助けられたのかな。夢を散らせたあの子に。
思い返しても、もう遅い。その日は、綺麗な雪が降っていた。
「あの、桐ケ谷凛久さんですか?」
クリスマスイブの夜、君は僕の名を呼んだ。
「そうだけど」
大抵、そう確認されてからいい方向に話が転がった覚えがない。
「あの、私、えと、……ファンです!」
「は?」
白いマフラーに濡れは色の髪を入れて、薄茶色のコートを着込んで、キラキラとガラスのように輝く水色の瞳が綺麗だと思った。もし、つけられるなら僕が作った髪飾りをつけてほしいと思う程度には。
「あの、私空風寧々といいます! ええと、クラス、隣です!」
「は?」
なんだこいつ。以外の感想がなかった。親にも友達にも笑われて、髪飾りの良さを分からない馬鹿どもめ、くらいには思っていた。反抗期か、単にその時期の僕の性格が悪すぎただけか。
「前に、来栖君に頼んで髪飾りの写真見て、一瞬で好きになりました」
中学生男子に一瞬で好きになりました。を言えるこの子の度胸が凄い。少しドキッてした。
来栖は僕のクラスメイト。前に送れって脅されたから送ったのかな。
「なので! 髪飾りを作ってください! お金はもちろん払います!」
「いや……」
まず、と僕は思った。
「なんで今? 普通、学校でいいだろ」
わざわざ冬休み始まった今日、たまたまあった時に伝えられる意味が分からない。
「それは……。その、少し事情がありまして……」
す。と視線を逸らされた。周りからは奇異の目で見られている気がするし、とりあえず、
「別のとこ行こう。こんなところでそんなところ聞きたくない」
「あ、は、はい」
頷いた彼女と共に、近くのファミレスによった。クリスマスイブに何やってんだろ……。
「それで」
メニュー表をはしゃぎながら見ている彼女に声をかけた。
「どういうこと」
「そのまんまの意味です。貴方の髪飾りが欲しい。オーダーメイド、みたいな感じです!」
「……えーっと」
珍しく言い淀んでる。
その声にうるさいと心の中で反論して、頭の中で言いたいことをまとめる。
「別に、いいけど……。具体的にどんなのが欲しいの?」
「私に似合って……桐ケ谷君が作りたいと思ったものでいいですよ!」
いつのまにか名前呼びされている。いや、それ以外に固有名詞がないから仕方ないんだけど。なんとなく、嫌だと思った。
「分かった。期間はいつまでとか」
「ありません」
「……分かった」
そういえば、僕はいつの間にかため口になってた。……別に、タメだから構わないはずなんだけど。
「連絡先、交換しといたほうがいいですよね。……これ、メモです」
そう言って小さいハート型の付箋を取り出した。
「ありがとう……」
正直引いていたことは認めよう。だって距離の詰め方が完全になれた人間のそれだったから。
それでも、それから、と付け足せるほどには冷静でいるつもりだった。優位に立っているつもりだった。
「敬語、外していいから。そうやって離されるの苦手」
「……! あ、ありがとうございます!」
感激したように瞳を輝かせて、お礼を言った。……敬語を外してもらうの、諦めた方がいいかもしれない。
「じゃあね」
髪飾りを好きだと言ってくれて、純粋に嬉しかった。
だから、少しだけ微笑んでいたかもしれない。それで、彼女が嬉しそうに笑って手を振るのを見て、僕も振り返したような気がする。僕は何も注文せずにファミレスを出た。
それから、僕は家に帰って、冷静に、落ち着いて、今日のことを思い出してみた。
まず、髪飾りが欲しいと言ってくれたこと。これは普通に嬉しかった。次に、僕の連絡先に母親、父親、それから来栖。そこに別の人の名前が増えたこと。知り合いが増えたのも嬉しかった。
凄く可愛いかったなあと思う。髪飾りをつけてもらえたら、凄くうれしいだろうな、とも。
明日、来栖に聞いてみよう。怪しかったし。まあ、僕と同年齢みたいだったから、嘘はついていなさそうだけど。隣のクラスについてなんて、あんまり知らないし、もしものこともある。
……もし、もしヤバいやつだったとしても、髪飾りだけは作って、あげようと思う。僕の髪飾りが好きだという言葉に、恐らく嘘はない。
楽しみだな。頑張ろう。
布団に潜り込んで、そんなことばかり考えていた。
君は、どう思うだろうな。
朝、学校に行って来栖に確認する。
「え? ああ……まあ、多分見せたの俺だ……。桐ケ谷、気をつけろよ。そいつ確か悪い噂聞いたんだ。なんて噂だったか……ちょ、おい待て!」
それだけ聞けたら満足だ。悪い噂。一応警戒しておこう。人気の多いところでしか会わないようにしよう。
放課後、部活に入っていない僕は速攻家に帰る。
「ただいまー」
「おかいりー。あ、靴きちんとそろえて」
「……めんどくさ」
「いいから」
いうとおりに靴をそろえておいた。我ながら偉いと思う。僕の夢を否定する人の言うことを聞くなんて。
部屋に戻って、紙と鉛筆を持った。
そのまま、一時間が経った。
彼女……空風寧々? について考えてみても、まるでインスピレーションがわかない。
スマホが鳴った。……言った傍から空風さんからか?
『どうかな? もし、私にできることがあればいってね』
……。
『桐ケ谷、気をつけろよ。そいつ確か悪い噂聞いたんだ』
ほんの少し、会うくらいなら……。
油断していた。相手は中学生だし、しかも女子だ。成長期が早かった僕は、当時中二で身長170あった気がする。
だから、あって158㎝の君くらいなら大丈夫だと思った。
そう思った僕は、メールの返事をこうした。
『もう少し、希望を聞いたり、空風さんのことを知らないと、どういうふうに作ればいい分からないから、出来れば会えると嬉しいんだけど』
……苦虫を嚙み潰したような顔をしている気がする。大丈夫だろうかという気持ちと、自分の不器用さとが混じった感じの。
すぐに返事が来て、自分で勝手に、おお、なんて声が出た。
『分かった。明日、学校終わった時くらいの時間に昨日入ったファミレスとかどうかな』
『それでいいよ。じゃあ明日』
なるほど。学校が同じだから、下校時間も同じなのか。
ひとり感心していると、またメールが来た。
『そういえば、お金はどうすればいい?』
『僕はそこまでうまいわけじゃないから、無料でいいよ。でも、売らないでね』
わざわざ僕のものを売る理由がないけど、一応言っておく。じゃないと売られた時、確かややこしいことになるんじゃなかったっけ。もちろん、悲しいという感情もあるのだけど。
『そんなことしないよ!』
『そっか。じゃあ今度こそ明日ね』
もうそろそろご飯の時間だから、切り上げたいんだけど。
『うん。ありがとうね。また明日』
ああ、終わった。
ちょうどその時、お母さんが僕を呼ぶ声が聞こえた。……凄いな、空風さん。
時間が意外と早く過ぎた。例のファミレスで待っていると、待って一分もしないうちに来た。
「ごめんなさい。待たせた?」
「数十秒だけ」
「へえ! 偶然」
へへへと白い頬を掻いていた。冬が似合う子だなあとぼんやり思った。そしてすぐ、スマホのメモ帳にメモした。
「ん? 何メモしてるの?」
またメニュー表を楽しそうに眺めながら、疑問に思ったようにスマホを見る。
「少し」
貴方のことを書いてました。なんていうのは、恥ずいからやめといた。
別に、最初にあった時に少し作ってる時だったらそれくらいは言えるけど。今、素で接しているとなんとなく言いづらい。
「それより」
話を逸らすのは、わりといろいろなものに興味があるタイプに効く。空風さんも、多分そういうタイプ。
「具体的にどんなものがいいかとか、ある?」
「……オールシーズン、つけられる感じのもの、とかです……かな?」
なるほど。オールシーズンか。それだと、冬っぽさに全振りはあれなのか。
「好きな色は?」
「……白、かな」
「好きな季節は?」
「冬が好き!」
「よく何色のイメージって言われる?」
「好きな色と同じく白かな」
「好きな図形は?」
「え? ……ん~、トランプのダイヤのような形、かな」
「ガラスみたいに透明さがある色と、原色みたいな濃い色だとどっちが好き?」
「前者!」
「……分かった」
明るいのに、真っ白で透明感があって、どこか消え入りそうな感じがした。
「よし。じゃあ、作るから。バイバイ」
「へ? 食べないんですか!」
敬語が戻ってる。
「うん」
そのまま、普通に帰った。時間にしてみたら、十分にも満たない時間。でも、多分大丈夫。もう作れる。
……のに。
結局。僕は髪飾りが出来るまで(具体的には、三学期が始まったというところまで)、そこそこのペースで会い、くだらない話をした。
寒さがいろいろ厳しくなってくる二月の上旬。
僕は、彼女と決定的に仲が深まってしまった。
その日は、いつも明るい君が珍しく静かで、イブの日にしていたように散歩をした。少し、心配になったから。
「……桐ケ谷君は、好きですか?」
「なにが?」
「……やっぱり、なんでもない」
空風さんはたまに、敬語が出てしまうことがある。
別にいいけど、こっちがため口なのに相手に敬語使われると、なんか、こっちが礼儀知らずみたいだと感じて嫌だなと思う。そんなくだらない理由。
「空風さん?」
何か変だと思って、俯いていた空風さんに声をかけた。
「……桐ケ谷君は、ヤンデレは好きですか?」
ぱったつんの前髪から、水色の瞳を向けていた。なんとなく、そう答えなければならない気がして、質問の意味不明さにも言及せず、こう言っていた。
「……好きだけど」
実際は嫌い。束縛するっていうし、相手中心に、愛してるとか言いつつ、結局相手を振り回して、恐怖しかないだろうと思う。
でも、正直に言ったら、それこそ刺されそうで言わなかった。
「……そっか」
そして、出会った時のような笑顔を浮かべた。
少しずつ、君に恐怖を感じていた。それに気づく第一歩。それに気づかず、僕は言った。
「元気になって、良かった。空風さんは、笑顔が似合うから」
もうすぐで髪飾りも完成だ。これで、彼女との縁は恐らく切れるだろう。
「……ありがとう。……あれ。なんでだろ。涙が……」
「…………大丈夫?」
迷いに迷って、目を逸らしながら聞いた。
泣いてる姿も、可愛いと思った。顔っていうのは、それほどまでに大きい要素らしい。
その、君の危うさと魅力に、僕は好きになったように思う。明るくて、純粋で、天然で優しい、隣のクラスの空風寧々という人間ではなく。もっと君の心の奥のようなところを。
そこで、少しドキリとして、ぼんやりと恋心を自覚したとき。
泣き止んでくれるように言葉を尽くした時、確実に引き返しのつかないところまで来たのかもしれない。
「ありがとう。もう大丈夫」
すっかり元気になった空風さんを見て、ほっとした。
そして、自分の気持ちに気づいてしまった。これは、間違いなく恋である、と。
まだ少し、頬が赤い気がする。熱い。
まあいい。自覚したところで、もうすぐでお別れなんだ。僕は冬と自分と髪飾りの為に生きていく。
「……髪飾り、もうすぐって言ってたよね」
「え、ああ」
「あのさ、私、もう少し桐ケ谷君と仲良くなりたいな」
花が咲くような笑顔を向けていた。だから僕は思わず、
「じゃあ、名前呼びにする?」
といってしまった。そう言う意味じゃないだろと言いたいし、そんなことで仲が良くなったっていえるのかよとも言いたい。けど、空風さん的には満足らしい。
「ええと、じゃあ、凛久君?」
「そうだね。寧々さん」
「……待って! さんつけるの?」
「いやなの?」
呆れつつ聞いてみると、なんといえばいいのかと固まった寧々さんが居た。
「ちょっと距離感じる。感じるから、ちゃんか呼び捨てがいい!」
「じゃあ、寧々?」
「……やったー! 凛久君に呼び捨てされたー!」
何事にも、寧々ははしゃぐのだと思った。
実際には、君はどう思っていたのだろう。
まあ、そんなことがあったせいで、余計に寧々と離れづらくなった。
日が過ぎるにつれ髪飾りは完成に近づいている。名残惜しさが邪魔をし、作業がなかなか進まない。
メールは、いつの間にか一時間ごとに連絡することが当たり前になっていた。中学の校則で、スマホはゲームをしないならありになっていた。
今考えてみると、大分緩かったなと思う。
とにもかくにも、そのせいで? おかげで? 一時間ごとに連絡が出来ていた。
そのせいで、いちいち関係性を自覚する。
あくまで、依頼者と請負人でしかないのだと。
『髪飾りが完成した』
そう打ち、悲しみと不安が心の底から湧いてくる。もう会う理由を失うし、果たして作ったものを気に入ってもらえるのかということもある。
『じゃあ、いつものファミレス、学校終わった後で』
『待って。待ち合わせはそこでいいんだけど、その後行きたい公園があるんだ。それで、言いたいことがあるんだ』
『分かった』
そんなメールをした次の日、来栖から信じられないことを聞いた
「そうだ。前言ってた空風いるじゃん? 悪い噂思い出したわ」
「……なに?」
「まあまあ。そんなむっとした顔すんなって。悪い噂っていうのはな」
――不登校の、かなりマジのヤンデレ? メンヘラ? らしいぜ。
「不登校?」
「そうそう。んで、こいつに関わった男は大体恐怖で引きこもりになってるとか。面白くね? ああ後、そんな奴に髪飾り見せてごめんなー」
違和感は感じていた。
でも、それじゃあ。
『学校終わった時くらいの時間に昨日入ったファミレスとかどうかな』
――って。
思い出せば、不自然なことがたくさんある。毎回、ちょうどいいタイミングで来るメールに、ファミレスに来る時間があまりに近すぎること。初対面の時、顔で分かったこと。学校では会えないと言っていたこと。
『珍しく言い淀んでる』
あの時は気にしていなかったけど、あの発言は、いつもの僕を見ているということ。
もちろん、授業に集中できなかった。来栖はどうしてあんなに気にするものをよりにもよって今日にいうんだ。そして、なんで朝に言ったんだ。
盗聴器でもつけられていたら、今日の会話聞かれてることになるけど、大丈夫か?
いや、そうと決まったわけじゃない。たまたまかもしれない。だって、そんなことをするとは思えない子だ。
『……桐ケ谷君は、ヤンデレは好きですか?』
……駄目だ確定かもしれない。
でも、危害は加えてこないタイプのヤンデレかもしれない。
それに、僕が寧々を好きなことには変わりない。
そして、運命の放課後。
待ち合わせ場所に、きちんといた。
「……凛久君。公園、行くから、ついて来て」
「うん」
言いたいことがある。聞きたいことがある。でもとりあえず、と話を胸に置いておいた。
緊張感が、いつもとは全く違う意味であった。いつ刺されるか分からない危険な同級生といる。
どんどん人気のないところにまで来るし。怖い怖い。でも、寧々に殺されるならまあ、最低限納得してやってもいいかもしれない。
そこは、薄暗い電灯がまばらに設置されているだけの、まるで人の気配がしない公園だった。
ベンチとブランコだけのシンプルな公園。ベンチに二人で座った。
「……私、好きな人の全てを把握しておきたいの」
ぽつりと呟いた。何の感情も表していない口元、何も写していない水色の瞳。
この時、僕は何をするのが正しかったのか。
分からないなりに、ただ君の話をじっと聞いていた。
「…………学校なんて行ってたら、二十四時間とか無理だから」
「……」
「でも、凛久君は私以上に大切なものがある。どれだけ手を伸ばしたって、傷つけるだけ。付き合っているわけでもない。勝手に私が知ってただけ。前に、ほんの少し助けてもらって、トラウマを簡単にかくしてくれただけ。だから、だからね」
目をパチパチさせて、精一杯の笑顔で君は言った。
「私のことを考えてくれて作った髪飾りは、貴方が持っていてほしくて。私、両親の事情で引っ越しすることになったから。だからこれで、さようなら」
君はベンチから立ち上がって、長い黒髪を背中に沿わせ、両手を強く強く握りしめ、踵を返した。
君に、好きだよ。とも言えず、大っ嫌いだとも言えず、さようならも言えず、追いかけもせず、ただ、ベンチに座って眺めていることしかしなかった。恐怖を感じた。怖かったってこと。
一ノ瀬さんも、同じように傷つけただけだった。
それでも、僕は変わらず冬が好きだし、自分が大切だし、髪飾りが人生の核だから。
だから、いつも笑みを作って生きてる。できる限り相手に嫌な思いはさせたくないから。
でも、最後に一言だけ。
ありがとう。僕の髪飾りを好きになってくれて。さようなら。もう二度と会うことも言葉を交わすことがないだろうから。