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アンティリア王国のおはなし

魔女の予言

作者: 永井 華子

 男がその子どもを拾ったのは、ちょっとした気まぐれだった。

 その日は熊の毛皮と魔獣の角が、まあまあの値で売れて機嫌がよかった。そうでなければ、行き倒れて死にかけの子どもなど、気にとめることはなかったかもしれない。


「おい、生きてんのか?」

 男が泥まみれの革のブーツの先で脇腹を軽くつつくと、「うぅ」とかすかにうめき声が聞こえた。


 男はボサボサの短い髪を手でかき回すと、うめき声の()()を肩に担ぎ上げた。


 森の奥の寝ぐらに帰り、ところどころゆがんだ床板の上に寝かせると、その子どもはうっすらと目を開けた。細く開いたまぶたの間に、淡い青緑色の瞳が見える。


「お前!」

 男は思わず大声を出したが、子どもはそのまま目を閉じて再び意識を失った。男は床に座り込むと、ふぅーっと大きく息を吐いた。


「妙な気を起こすもんじゃねえな。とんでもねえ拾い物をしちまったな」


 その大陸には、精霊の加護の力が漂っており、全ての人が、その力を受け止める器を持って生まれてくる。器にはそれぞれに加護が与えられ、加護によって魔力と瞳の色が定まっている。

『大地』『水』『森』『風』『火』『氷』の精霊の加護の力は、人びとの器に注がれ、その力によって魔法を使うことができるが、民が使える魔力はそれほど多くはない。


 しかし、王侯貴族は大きな器を持ち、その身の内に大きな力を宿す。その魔力を「(から)の石」と呼ばれる特殊な鉱物に込めると、精霊石となる。精霊石があれば、器が小さい者でも己の器以上の魔力を使うことができる。


 各国の貴族は精霊石によって、民の暮らしを守る義務を課されている。


 大陸の中央に座すアンティリア王国の西の端には、樹海が広がっている。その深い森を抜けた先には、落ちたら戻れぬ断崖絶壁、下は白い波しぶきを上げる荒海である。


 森の中では強い精霊の力によって、ときに獣が狂い魔獣と化すことがある。森を囲むように作られた街道を通れば、北西と南西の隣国へはたどり着ける。用のない者は森へは入らない、それが近隣に暮らす民の常識であった。


 男はその樹海を寝ぐらとする変わり者であった。人びとが避ける危険な森に住み、ときおり大型の獣や魔獣を仕留めて売りにくる。近隣の村人たちは、男を遠巻きにしながらも、畏怖の念を抱いていた。


 男は森の最奥に『森の精霊』の泉があることを、同じくこの森で暮らした父親から教わっていた。それを知る者はほかになく、この泉を守ることが父親の遺言であった。


 なぜ守らなければならないのか、男は知らない。だが、『森の精霊』の加護を持つ男にとって、森は居心地のよい場所であり、この仕事も()()()()()()だと理解していた。


 男は痩せこけた子どもをもう一度担ぐと、『森の精霊』の泉へ向かった。子どもが死にかけているのは、体についた傷のせいでも栄養不足でもない。魔力切れであることに気づいたからだ。


 月明かりの中、崖に登る獣道を脇にそれて荊の茂みをナイフで切り裂いた。ぽっかりと空いた暗い洞穴の中を進んでいくと、緑色に光る霧が足にまとわりつく。


 進むほどに濃くなる霧に、男はひるまず足を進める。少し開けた場所に出ると、その中央にある積み上げられた岩の隙間から、濃い緑色のぼんやりと光る霧が湧き出していた。


 男は大きめの岩の上に子どもを寝かせると、腰の皮袋の水で麻布を濡らして額にのせてやった。そのまま座り込むと、めんどくせえなあ、とつぶやいて目を閉じた。


 子どもが目を覚まし、見たこともない場所に茫然していると、男も起き出した。

「おう、目え覚めたか。具合はどうだ?」


 男の声に驚いた子どもは、怒った猫が毛を逆立てるように身構えた。大きく見開いた目にはさっきよりも、濃く強い輝きを放つ青緑の瞳がくっきりと見えている。


「ああ、おい。これでも一応お前を助けてやったんだ。礼もなしに魔力をぶつけてくるってのはなしだ。……名前はなんてえんだ」


 男の顔を見ると、子どもは急速に緊張を解いて口を開いた。

「……グローア」

「よし、グローア、俺はマグニだ。魔力はもう足りてるな。腹は?」


 グローアがうなずくと同時に、盛大に腹の虫が鳴いた。マグニと名のった男は、笑いながら油紙に包まれた干し肉を投げてよこした。

「少しずつよく噛んでから飲み込めよ」


 マグニの予想以上にグローアは慎重だった。干し肉を細く裂いて口に入れると、ゆっくりゆっくり噛み砕く。

「これも少しずつだ」

 マグニは水の入った皮袋も投げてやった。グローアは一口目の肉をようやく飲み込むと、皮袋に口をつけた。


「お前いくつだ?」

「十二」

「……体は十二に育ってねえな。まあ、その目でその(なり)で魔力切れ。なにがあったのかはなんとなくわかるが」

「人買いから逃げてきた」


「ああ、まったく予想の通りだな。お前の瞳の色だと『森』と『水』か、器もでかいんだろう」

「みんなは『森』だけだと思ってたんだ」


 精霊の加護の種類は瞳の色に現れる。グローアの青緑色の瞳は少し珍しいが、くすんだ緑だろうと思われていた。


 大きな器を持つ精霊術士や魔術士など誰も見たこともない田舎にまで、充分に精霊石が届くことはない。

 自らに与えられたわずかな加護の力だけで、日々なんとか暮らしていく。そんな貧しい村に、ふたつの加護を持つグローアが生まれても、誰ひとりとして気づく者はいなかった。


 ある日、王都の精霊殿に仕えていた、という巡礼者が村を訪れた。巡礼者自身は精霊術士になる程の器もなく、精霊に祈りを捧げる修行の旅の途中だという。

 精霊殿に仕えていたという話は本当であったらしく、その巡礼者はグローアの瞳を見ると稀有な器だと大袈裟に言い放った。


「この子は『森の精霊』と『水の精霊』、ふたつの加護を持っています。貴族にもめったにいない、精霊術士でも珍しい。精霊殿へ預けて研鑽を積めば、立派な精霊術士になることでしょう」


 ぜひ王都へ連れて行ってくれ、と言う母にその巡礼者は、まだ修行の旅の途中だからと言って、小さな精霊石をひとつくれただけで去っていった。


 すっかりその気になった母は、なんとかしてグローアを王都へやろうとした。だが、村全体が貧しいのに、旅費が集まるはずもなく、王都の精霊殿へ連絡する(すべ)もなかった。


「母さんは父さんに、借金して旅費を作ってくれと頼んだはずだったんだ。だけど、父さんが連れてきた奴が」

「金貸しだと思ったら、人買いだったってわけか」


 グローアはうなだれた。母親に頼み込まれて渋々承知したはずだった父親が、金貸しを連れて帰ってきたときにはご機嫌になっていた。

 金貸しの男は王都に仕事があるから一緒に連れて行ってくれる、父親に言われてそのまま連れ出された。


 人買いの男は村を出ると、辻馬車を乗り継いで南へ向かった。村をはじめて出るグローアは、王都が北にあることは知らなかったが、男が王都へ向かっていないことには気づいていた。


 たどり着いた街で、ほかから買われて来た子どもたちと一緒に、大きな籠のような檻に入れられた。夜、固いパンを投げ込まれると子どもたちは群がり、人買いの気がそちらにとられた。その隙にグローアは男に体当たりをして、檻の外に出た。

 走って走って、後のことはよく覚えていないと言う。


「人買いは器のことは知らなかったのか? 知ってたら逃がさねえだろう。追っ手はかかってねえのか?」

「巡礼の奴の言うことを信じたのは母さんだけだ。父さんは母さんにバレないように金を受け取って、ついでに食いぶちが減るからちょうどいいって思ってるよ」


「さっさと逃げちまえばよかったんだ。お前ならできただろう。精霊殿、行くか?」

 連れて行ってやってもいいぜ、と言うマグニにグローアはふるふると首を横に振った。


「精霊殿に行きたかったわけじゃない。どっちにしろ、そろそろ売られるか、追い出されるかだったんだ。母さんが嬉し泣きで見送ってくれるだけ、少しはましかなと思っただけだよ。村の近くで逃げればあいつは家に行くだろうし、どの子どもが逃げたかわからなくなるまで待ってたんだ。ただ、ここがどこかはわからない」


「……西の樹海だ。俺はここで暮らしてるが、この辺りの村も、お前の村と大して変わらないと思うぜ」

「マグニはどうやって暮らしてるの?」

「俺はまあ、ひとり食う分は森の中でなんとかなるし。魔獣や獣の皮やなんかを、少し先の街にときどき売りに行って小銭を稼いでる」


 ひとり気ままに暮らすには悪くない場所だ、とマグニは笑う。だが、その暮らしには力が必要であることをグローアは知っていた。

「ここに居てもいい?」

「お断りだな。ひとりがいいから、ここで暮らしてるんだ」

「でも助けてくれたじゃないか」


「死体に魔獣が寄ってきたら、面倒だと思ったんだよ。そしたら、そんな目してやがるとは。悪いことは言わねえから、精霊殿に行きな。お前ほどの器がある奴はそういないだろう。その巡礼が言った通り、出世できる。少なくとも飢え死にする心配はなくなるぞ」

「そんなのどうでもいい。力があるなら、マグニの邪魔にはならない。楽になる。違う?」


 マグニは大きくため息を吐き出して、投げやりに言った。

「ああ、本当にめんどくせえな。いいか、少しでも俺の邪魔になったら出てくんだ。それまでは好きにしろ。あと、今は男の(なり)をしてんだろう? そのままにしとけよ」


 グローアが少女であり、魔法で男の姿に見せかけていることにマグニは気づいていた。しかも意識を失っても、それは解けていなかった。



 二年ほど経つと、グローアは森の生活にすっかり順応した。深い森のどこになにがあるかを把握し、魔獣を狩ることも、マグニよりも手際よく速くなった。数日寝ぐらに戻ってこないことも増えた。


「お前、もうひとりでやってけるだろう。いい加減出ていったらどうなんだ。別にこの森から出ていけとまでは言わねえから。どっかに自分の寝ぐらもあるんだろ、そっちに移れ。たまに顔を合わせるくらいでいいだろう」

 めんどくせえ、とマグニはため息を吐く。


「邪魔にはなってないだろ」

 むしろ、役に立っている。だからこそひとり立ちしてほしいのだ。このままでは、マグニのほうがグローアをあてにしてしまう。


 マグニはこのままグローアに()()()()()を引き継ぐべきか、迷っていた。それはグローアをこの森に縛りつけることになる。

 グローアの能力はマグニをはるかにしのぐ。マグニの仕事では役不足だろう。この森を出て行ったほうが、グローア自身のためにはいい。


 よく晴れたその日、森の中の緑色の霧がつねになく濃くなった。緑色の霧は水ではなく、『森の精霊』の加護の力である。


 マグニはひとりで『森の精霊』の泉に赴いた。グローアは二日ほど前から帰っていない。

 泉を守る仕事について、グローアには一切話していないが、最初に連れて行ったときになにか勘づいてはいるだろう。

 グローアがわざと黙っているのか、それとも単に興味がないだけなのか、マグニは後者であるようにと願っていた。


 半年に一度、様子を見に行って自然の精霊石ができていれば持って帰る。仕事と言っても今まではそれくらいだった。

 だが、外の人間に知られれば、魔力や精霊石を狙って荒らされることは避けようがない。危険な魔獣が多いとはいえ、排除できる魔術士はいくらでもいる。唯一最大の役目は、隠すことだ。

 だからこそ、精霊の力が濃く漏れ出しているのはまずい。はやく原因をみつけて元に戻さなければならない。


 マグニは急いだ。二か月ほど前に隠した入口の草が、踏み荒らされている。誰かが入り込んだのか、いや、とにかく今はこのあふれる霧を止めなくては。


 加護の力の霧は光る。薄明かりの中を小走りで奥へと進み、『森の精霊』の泉にたどり着いた。いつもと異なり、緑色の霧が湧き出る石積みが崩れている。

 通常なら石積みの隙間から浸み出すようにゆっくり流れる霧が、関を失って垂れ流しとなっている。


「これは……」

 マグニがどうするかを考えはじめたその一瞬、反応が遅れた。

 ――しまった! ――


 はじめての出来事に気をとられて、警戒を怠っていた。なんとか体をひねって、致命傷は避けられたが、左肩を背後からえぐられた。後ろで唸り声をあげている、マグニに重傷を与えたその相手は……。

「熊か……」


 ただし、『森の精霊』の魔力を大量に浴びて魔獣と化し、より凶暴になっている。洞穴に迷い込んだ熊が石積みを破壊した結果だろう。

 マグニは愛用のナイフを握り、左肩をかばいながら構える。利き腕をやられなかったとはいえ、分が悪い。さてどうするか。



「ちゃんと強い結界を張っておかないからだよ。野生の獣は基本は避ける場所だけど、『絶対』はないんだからさ」

 聞き慣れた声がした。マグニは驚愕するとともに、冷静に「ああ、やっぱりそうか」と納得していた。


「マグニは危機感が足りないんだよ。小さなことでもなまけちゃだめだよ。これくらい大丈夫、なんてことはこの森にはないんだから」


 グローアが獣に向かって右手を大きく振り下ろすと、弛緩した巨体はゆっくりと倒れ、洞穴に大きな振動が響いた。

 グローアはそのまま掌を上に向けると、小さくなにかつぶやく。青緑の光が掌に集まるとグローアはふっと光の球に息を吹きかけた。


 獣がその光に包まれて見えなくなった瞬間、巨大な体は煙のようにかき消えた。と、同時に崩れた石積みも元通りに全て積み重なる。


「これからは親父さんに教わった通りに、きっちりやることだね。肩見せなよ」

 マグニが背中を向けると、後ろから青緑の光が輝く。

「血止めだけ。しばらくは痛むけど、それくらいは我慢しなよ。この傷がもとで死ぬはずだったんだからね。ほら、つかまりな」


 グローアの細い肩を借りて立ち上がると、鋭い痛みが左肩に走った。

「ま、戒めだと思っときなよ。跡は残るだろうけど、ちゃんと動くようにはなるから」

 よく喋るグローアと対照的にマグニはひとことも話さなかった。ただ、ため息がこぼれる。


 その後は洞穴の外に出るまで、ふたりとも黙ったままだった。外に出るとグローアは入口に青緑の魔力をかざし、封印を施す。

 封印された入口には荊の蔓がするすると伸びて、完全に覆い隠された。


 それを見てマグニがやっと口を開いた。

「そんな封印、俺にはかけられないぞ」

「これは今回だけでいい。一番弱いのだから大丈夫だよ。マグニは一番強いのをかけるんだ。半年毎なら問題ないだろ?」

 マグニは今度は大きく息を吐き出し、グローアはそれを見てからからと笑った。歳相応に見える可愛らしい笑顔だった。


 足もとの霧はもうおさまりはじめている。この分なら森の外へは漏れ出すことなく、いつものように大気に溶けていくだろう。

 木漏れ陽を浴びながら、ふたりは無言で森が途切れる崖へ向かって歩いた。正確にはマグニがグローアについて行っているだけであったが。


 崖の手前まで来ると、グローアが振り返って笑顔を見せた。

「マグニ、じゃあ私行くね。今までありがとう。あんたはこの森の暮らしを続ける限りは、()()()()()()()。跡継ぎも心配ない、あんたの母さんみたいに物好きな嫁さんが、もうすぐやってくる」

 グローアは女の声で言ったが、にたっと笑う顔は少女のそれであった。


 華奢な体が、若駒のように軽やかな足取りで、崖に向かって走り出す。

「待て、グローア。お前いつからわかってたんだ!」

 マグニの声にグローアは足を止めたが、振り返りはしなかった。


「さあね、()()()ことが全てそのまま起こるわけでもないんだよ。ただ、マグニには万が一にでも死なれたら困るんだ。あんたは『森の精霊』の泉の番人だろう? あの泉はまだ必要なんだ」


 恩返しだよ、と言うとグローアは今度こそ崖へと飛び出した。一際まぶしい青緑の光が輝くと、グローアはその光をまとって消えた。


 茫然とするマグニはしばらく動けなかった。


 ――恩返し、ははっ。違うだろう? お前は最初から知ってたんだ。わかってて、俺の前に現れたんだ。全部知ってたんだ。俺を生かすために、いや、俺を生かすことで、ほかの誰かを生かすために――


 陽は高く暖かいが、海風が強く吹いている。マグニの背に流れる冷や汗は止まらなかった。グローアが消えた崖の先には濃く青い海、その上にはどこまでも続く淡い空が浮かんでいた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  いつの間にか入れ替わるふたりの力関係に、それでも頼らずいようとするマグニが潔く。  グローアは私には掴めず…。マグニを助けたのも、彼が想像するような理由だけでなく。本当に『恩返し』の気持…
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