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野望の終焉

 いよいよ最終決戦!

 王妃殿下の御座所(ござしょ)を後にして、バイバルスは配下の兵たちとマンスーラの男衆に命じ、十字軍を迎え撃つ準備を進めた。

 部下のバフリーヤ達を家々の屋根の上に配置して、敵が町に侵入してくるのを待ち構える。


 バイバルスとて、必ず敵が食い付いてきてくれるという絶対の自信があるわけではない。汗ばむ手で、懐にしまっていた神聖ローマ皇帝からの手紙を握りしめる。

 無限とも思える時間はしかし終わりを告げ、伝令が報せをもたらした。


「敵部隊、マンスーラに突入してきます!」



 アイユーブ朝軍本隊を奇襲により敗走させたロベール。その彼の元に、共に奇襲に参加したテンプル騎士団長ギヨーム、ソールズベリー伯ウィリアム二世らが集まってきた。

 ギヨームが口を開く。


「上手くいきましたな、王弟殿下。陛下も間もなく渡河を果たされることでしょう。我らも合流いたしましょう」


 その言葉に、ロベールは首を振る。


「いや、我らはこのまま敵兵を追撃し、マンスーラを一気に陥落せしめる」


「は? いやいや、何を仰います。深追いはすべからずとの陛下の(おお)せをお忘れか!」


「敵を一気に討ち滅ぼす好機を(のが)して何とする。怖いのなら付いて来ずともよいぞ!」


 そう言われては、テンプル騎士団長もソールズベリー伯も、引き下がるわけにはいかなかった。


 マンスーラへの突入は危険だという兄王の考えも理解はできる。しかし、ロベールにとってみれば、夫の死後も士気の崩壊を食い止め続けた曲者(くせもの)の王妃、それにまだまだ数は多い敵兵の生き残り、いずれも今後の彼のエジプト統治において、重大な障害となりかねないものだ。


(いくさ)が終われば本国(フランス)に引き揚げる兄者(あにじゃ)は気楽なものだ、などと言うつもりはないがな……)


 邪魔者は好機を逃さず叩き潰す。その決意を握りしめて、ロベールはマンスーラへと馬を駆けさせるのだった。



 総大将を討ち取られて壊走するアイユーブ朝軍本隊の敗残兵が、城門が開かれたマンスーラに逃げ込んで行く。そしてそれを追い、殺到するロベールの部隊。マンスーラ市街の狭い路地は大混乱に陥った。しかし――。


「意外に、町の住民の姿が少ないような……」


 ソールズベリー伯が呟く。傍らの部下も、そういえば、と周囲を見回して、言った。


「敗戦の報せを聞いて、早々(そうそう)に逃げ出したのではございませんかな? あるいは、家の中に隠れて息を(ひそ)めている、とか」


 それにしても、といささか気にはなったが、こうしている間にもロベール達は市街の中央、スルタンの御座所と(おぼ)しき邸宅に向かって疾駆していく。

 フランス人主体の今回の十字軍の中にあって、数少ない外国人――イングランド人参加者である彼としては、王弟殿下に後れを取って祖国の名を辱めるわけにはいかなかった。

 迷いを振り払い、部下達を鼓舞する。


「者ども、王弟殿下に手柄を独り占めさせるな! イングランドの誇りを示そうぞ!」


 イングランド部隊はロベールの部隊に遅れじと、狭い路地を縫って市街中央部へと向かうのだった。



「スルタンの王妃がいるのはあそこか!」


 市街の中でもひときわ豪壮な邸宅の前に、ロベールの部隊が殺到する。と、その時――。


ひゅるるるる~、ぱぁん!!


 邸宅の上空に、白い煙の尾を()きながら打ち上げられたものが、爆発音とともに(はじ)け、赤っぽい色の付いた煙が広がっていく。


「……何だ、あれは?」


 呆然として空を見上げるロベール達。


「花火、というものではありませんでしょうか。ヴェネツィアで見たことがあります」


 はるか東方、中国で発明された原始的な花火であるが、イスラム圏を経てヨーロッパ、中でも特に交易が盛んなイタリア諸都市に伝わったのはちょうどこの頃。この当時の花火はまだ煙に色を付ける程度のもので、ヨーロッパにおける観賞用の花火は、もう百年ほど後のフィレンツェが嚆矢(こうし)となる。


 珍しい光景に思わず呆気(あっけ)にとられていたロベールであったが、ふと我に返る。これが祝祭用の花火などであるはずがない!


「何かの合図だ! 敵が仕掛けて来る! 用心せよ!」


 ロベールが叫ぶ。しかし、その時にはすでに、周囲の民家の屋根の上に敵兵たちが一斉に立ち上がり、こちらに向けて弓矢を構えていた。



 ロベールが市街中央で花火を見上げていた頃、部隊の最後尾の騎士もすでに城門をくぐっていたが、そこからも赤い煙はよく見えた。


「何だありゃ?」


 首を傾げる騎士の後方で、ガラガラッと激しい音が聞こえる。驚いて振り返ると、民家の屋根から材木や瓦礫がばら()かれ、道が(ふさ)がれていた。


「わ、罠!?」


 見上げると家々の屋根の上には大勢の男達が立ち上がっていた。

 矢をつがえるバフリーヤの戦士達、さらにはマンスーラの住民の男どもも、手に手に石礫(いしつぶて)を握ってこちらを睨んでいる。

 そして、騎士の頭上に、矢と石礫が降り注いだ。



 狭い路地のあちこちで戦闘が起こる。反撃もままならぬ地上の十字軍騎士や従卒に、頭上から弓矢や投石で一方的に攻撃を仕掛けることを、戦闘と呼ぶのであれば、だが。


「おのれ、卑怯な異教徒どもめ!!」


 テンプル騎士団長ギヨームと彼の部隊も、一方的な攻撃によってみるみるその数を減らしていった。


「団長、ここはもう無理です! お逃げください!」


 騎士団員の生き残りが懸命に叫ぶ。


「馬鹿を言うな! お前たちを残して(わし)だけ逃げることなど出来るものか!」


 だが、騎士の一人がギヨームの元に駆け寄って、無理やり馬首(ばしゅ)を城門の方へ向けさせ、馬の尻を叩く。


「す、すまぬ。お前たちも必ず逃げ延びよ!」


 そう言い残して駈け出すギヨーム。と、突然顔面に激しい衝撃が走った。

 屋根の上から投じられた日干し煉瓦が、兜をへしゃげさせ、右の眼球をも押し潰したのだ。

 そのまま馬上から転げ落ちそうになるのを、懸命に踏み止まり、城門付近を塞ぐ材木も跳び越えて、ギヨームは奇跡的に脱出を果たした。



「くそっ! してやられた!!」


 上から降り注ぐ矢や石を盾で防ぎながら、ロベールが吐き捨てるように叫ぶ。

 愛馬は矢を受けて倒れ、すでに徒歩立(かちだ)ちの状態だ。


 確かに、(ルイ)からはマンスーラへの突入は止められていた。だが、敵の本隊を奇襲で壊滅させてから、その敗残兵を追って市街に突入するまで、さほど時間は経ってはいない。その短時間のうちに、入念な罠を仕掛けて待ち構えていたというのか――。


(敵が一枚上手だったということか。それとも、やはり俺が愚かだったのか……)


 ロベールは首を振って弱気な気持ちを振り払い、叫ぶ。


「まだだ! まだ終わってはおらぬ! 王妃の身柄さえ押さえることができたなら、形勢は逆転できる!」


 その言葉に励まされ、邸宅に踏み込もうとする騎士達。しかし、彼らの前に敵の部隊が立ちはだかる。

 指揮官と(おぼ)しき、赤銅色の髪の偉丈夫が言った。


「悪いが、ここは通さぬよ。王妃様の身にキリスト教徒(フランク)の指一本でも触れさせた日にゃ、俺は亡き陛下に顔向けできなくなるんでね」


「やかましい! まかり通る!!」


 かたやアラビア語、かたやフランス語、お互いの言葉は全くわからないのだが、状況的におそらくこう言っているのだろうという推測で、奇妙に会話が成立する。

 バイバルスの部隊とロベールの部隊が激突し、剣戟(けんげき)の音が(こだま)した。



 馬上用の片手剣や鎚矛(メイス)得物(えもの)とする十字軍に対し、バイバルス率いるバフリーヤ達は槍、それも、馬上の敵を引きずり下ろすためのフックが付いた槍で武装している。

 間合いが広く、さらには突くだけでなく引っかけて倒す戦法もとれるバフリーヤの方が断然有利で、十字軍騎士は次々と討ち取られていく。

 指揮官であるバイバルスはというと、曲刀(シャムシール)を手に敵の懐へ飛び込んで、甲冑の隙間へと精確に、容赦なく、斬撃を叩き込んで回っていた。


「ちょっ! 隊長! あんまり無茶はなさらんでください!」


「悪い悪い。お前らの分も残しといてやるから」


「いや、そういう話じゃなくてですね……」


 いささか暢気な会話を交わす敵に対し、ロベールが罵声と共に斬りかかる。


「図に乗るなよ異教徒! せめて貴様だけでも討ち取ってくれる!」


「おおっと、あんたが大将かい? なるほど、血の気が多そうな(つら)してやがるな」


「何をっ!」


 やはりお互いの言葉はわからぬまま、剣を交える二人。

 しかし、その周囲では、ロベール側の部下たちが着実に討ち取られていく。さらに、市街各地で戦っていたバフリーヤ達も、敵を片付けて駆けつけて来て、彼我の戦力差はますます開いていった。


「くそっ、くそっ、くそっ! 忌々しい異教徒どもめ!」


 次々と倒れていく部下達に思わず気を取られたロベールに、バイバルスの刀が迫る。

 しかし、ロベールは辛うじて急所への直撃を避け、鎖帷子で保護された左肩で受け止めた。

 とは言え、打撃による衝撃は小さくなく、苦鳴の声が漏れる。


「ぐぅっ!」


「殿下、これ以上はもちません! どうかお逃げくだぐわっ!」


 主君を庇おう立ちはだかった騎士が、バイバルスの斬撃を受けて倒れ伏す。


「すまぬ、すまぬ、すまぬ……」


 屈辱に(まみ)れながら、敵に背を向けて駈け出すロベール。

 バイバルスはそれを追わず、部下たちに任せることにした。もうこれ以上攻めては来るまいが、王妃の身の安全を守る責任があることを思い出したのだ。



 ロベールとわずかに残った部下達は、民家の一つに立て籠もり、最後の抵抗を続けたが、ついに力尽きた。


「俺はエジプト王になる男だ! それがこんな……こんなところで……!」


 エジプトの覇者となるはずだった男は、その望みとは真逆の形で、歴史に名を刻むこととなった。(いわ)く、「第七回十字軍の疫病神(やくびょうがみ)」、と――。



 ロベールを討ち取ったバフリーヤは、立派な身なりのその騎士が身に着けていたものを見て驚いた。これはフランス王の紋章ではないのか。


「ふ、フランス王討ち取ったりィ!!」


 それを聞いて、周囲からも(どよめ)きが起きる。そして、その報せは隊長の元にももたらされた。


(いや、王じゃなくてその弟のはずなんだが……。まあいいか)


 バイバルスは苦笑しつつ、傍らの部下達に命じた。


「ほれ、お前らも叫べ」


「は? あ、はい。フランス王討ち取ったりィ!」


「フランス王討ち取ったりィ!」


 歓呼の声がマンスーラ市街に(こだま)する。

 それを心地よく聞きながら、バイバルスは呟いた。


「さて、後は頼んだぞ、“金貨千枚(アル=アルフィ)”」



 マンスーラ市街の戦いにおいて、フランス王弟ロベールやソールズベリー伯はじめ、多くの騎士達が戦死した。生き残り脱出を果たしたのは、突入したロベール麾下(きか)の290騎のうち、わずかに5騎。テンプル騎士団も、団長であるギヨームは脱出を果たしたものの片目を失明する重傷。騎士団員の戦死者は、これまた280名余りにも及んだ。



 ルイ王は奇襲部隊に続いて渡河(とか)を果たし、マンスーラ側の岸辺に本陣を張って弟の合流を待っていたが、奇襲成功の第一報に続いてもたらされたのは、敵襲の報せだった。

 マンスーラに十字軍が突入し、合図の花火が上がるのを見て、“金貨千枚(アル=アルフィ)”ことカラーウーン率いるバフリーヤ部隊が攻撃を仕掛けたのだ。


 ナイル川からさらに枝分かれした水路に隔てられた向こうに、ルイの本陣がある。水路に掛けられた小さな橋を巡って、バフリーヤと十字軍が激突する。


各々方(おのおのがた)、ここを突破されれば陛下の御身(おんみ)が危ない! 何としても死守するのだ!」


 十字軍の若い騎士が叫ぶ。彼はシャンパーニュ伯の家宰(セネシャル)で、伯の代理としてその手勢を率いて十字軍に参加したジャン=ド=ジョワンヴィルという名の若者だ。奮戦する彼らを攻めあぐね、日暮れを前にしてバフリーヤ部隊は引き揚げて行った。



「すまん、隊長。攻めきれなかった」


 カラーウーンがバイバルスに頭を下げる。バイバルスはにこやかに笑って、


「気にすんな。元々、数の上でもこちらがさほど優勢というわけでもないんだからな。マンスーラを包囲されるのを防いだだけでも上出来さ」


 本番は明日以降だ、とバイバルスは(ひと)()ちる。

 マンスーラで、相当な数の騎士――高級指揮官を討ち取ったのだ。戦局の流れはこちらにある。バイバルスはそう確信していた。



 夕暮れが迫り、どうにか敵の攻撃を退けて一息つきながら、周囲を見回しルイ王が問う。


「ロベールは、我が弟はどこにおる?」


 重苦しい沈黙の中、ようやくホスピタル騎士団の副長アンリが進み出て、沈痛な面持ちを伏せたまま言った。


「恐れながら、王弟殿下は天国におわします」


 敵の反撃の激しさから、ルイも薄々察してはいたのだが、今はっきりと告げられて、王は天を仰ぎ、呻くように呟いた。


「そうか……。ロベールが、な……」


 奇襲を成功させ、敵の指揮官も討ち取って、相当な損害を与えはしたが、こちらも、ロベールをはじめ多くの騎士達を失った。流れは完全にイスラム教徒(サラセン)側に傾いたのではないか――。不安を抱えたまま、ルイ達は本陣で一夜を明かした。



 翌日になり、アイユーブ朝軍の猛反撃が始まった。

 バイバルスがバフリーヤのみならず全軍の総指揮を執り、騎兵突撃と歩兵による焼夷弾(ギリシャ火)投擲を組み合わせた攻撃の前に、ルイは撤退を決断。ナイル川タニス分流の南岸に築いた本陣を放棄し、再度渡河して北岸へ。さらにダミエッタへ向けての撤退行を開始する。


 しかし、2月27日にはついに王太子トゥーラーン=シャー率いる部隊がメソポタミアの地から到着。船団でナイル川を封鎖して十字軍の退路を断つ。

 さらに、衛生状態の悪化により十字軍内で疫病が蔓延。敵に降伏する者たちも相次ぎ、苦し紛れに持ち出したダミエッタ返還を条件とする和睦案も蹴られて、ついに4月9日、ダミエッタを目前にしたファーリスクールの地で、ルイは囚われの身となった。

「ときもあ」執筆時に最も疑問に感じたこと。

 疫病神(ロベール)は兄王の命令も同僚たちの制止も振り切ってマンスーラに突入し、バイバルスが張っていた罠にかかったというけれど、ではバイバルスには、必ず敵がマンスーラに突入してくるという確信があったのか? それとも、上手くいけば儲けもの、ぐらいの気持ちだったのが偶々上手くいったのか? という点でした。

 その点について想像(妄想)を巡らしたのが、本作のスタート地点だったのです。

 そしてようやく、ここまでたどり着くことができました。長かった……(しみじみ)。

 いよいよ次回、エピローグ一話をもって、本作品は完結です! 明日の午前中には投稿できる見込み。最後までよろしくお願いします!

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時代背景について詳しくお知りになりたい方はこちらのエッセイをどうぞ。 『捉えられ奴隷にされた俺以下略(略称ときもあ)』
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