唯(ただ)、一人
ちょっと前まで、それが日常だった―――。
日曜日、俺が幼馴染で親友の木田 護と歩いてると、女に「遊輝」と呼ばれた。
いきなり腕を絡ませ、上目遣いと甘えた口調で擦り寄ってきた彼女は、俺に聞いた。
「ねぇ、最近全然連絡くれないじゃない。もしかして、彼女でもできたの?」
「彼女……。つーか、お前誰だっけ?」
次に飛んできたのは、予想通りというか―――清々しいほどの平手だった。
ありきたりな捨て台詞を残して去ったと同時に、それが逆ナンしてきた自分の彼女だったことに、ようやく気付いたのだった。
喫茶店に入ってから、痛々しく赤くはれた片頬を見て、一緒に居た護が感心して言う。
「自業自得って、いい言葉だよな」
「こんなザマの、親友に向かっていう言葉がそれかよ」
俺は口元を引くつかせて、護にそう文句をこぼした。
「だって、今までのお前の悪行見てきたし」
「悪行って……」
「うわっ、自覚ねぇのかよ。おそろしー奴」
俺がいつ悪行したんだ!と突っ込みたくなったが、身に覚えがなくもない。なので、ここは保身をはかることにした。
「それにしても、平手なんて久しぶりだな」
「ああ―――あれ以来だ」
忘れもしない、あの入学式。俺の人生で、あんなに衝撃的なことはなかった。
花びら舞い散る桜並木、女の悲鳴、射るような鋭い瞳、まっすぐな気性。
彼女に出会ったあの日から、俺の中のすべてが変わったんだ―――。
数ヶ月前――――。
その日、入学式だというのに俺達は、思いっきり遅刻していた。受付時間は、もう過ぎている。どうせ、今から行っても意味がないので、俺は走るのを完全にやめた。
「おい、本気で遅刻するぞ!早く行くぞ、遊輝」
「えー……いいじゃん。遅れたって」
「馬鹿、入学式だぞ!?初っ端から目を付けられるなんて、もうゴメンだからな!いいか?高校生活こそ真っ当に過ごしたいんだ。でもって、可愛い彼女を作りたい!」
握り拳を作って、どこかに向かって勝手に力説している護を横目に、俺はポツリと呟く。
「それって、後者が本音だろ」
「うるさい、とにかくいくぞ!」
―――――キャアアアッ――――
その時、どこからか辺りを裂くような女の悲鳴が聞こえてきた。
「あ、悲鳴」
俺は何事もなかったかのように、冷静にそう言った。だが、隣にいる護はそうもいかない。彼は、何事も首を突っ込む癖があって、意外と紳士な面がある。そして、とてもお節介。だから彼にとって、こういう状況は見過ごせないはず。現に、護は複雑な表情で沈黙しているのだから。
「……」
「ほら、学校行かないのか?高校では真っ当に過ごしたいんだろ?」
ニヤニヤと口元をゆがませ、学校の方向を指差して聞いた。護の答えは、もう決まってる。
護は顔を赤くしながら、悔しそうにこう言った。
「く、くそぅ。そういうお前は、サボれればどうでもいいんだろ!?」
「当然」
俺は、そう言ってニヤッと笑うと、護とともに声のした方へと走った。
俺達が辿り着いたのは、小さな公園だった。そこは、噴水とベンチや遊具、砂場などがあるごく普通の公園。その公園の端に女子生徒二人と、柄の悪そうな男が立っていた。明らかに、彼女達はその男に追い詰められていた。遠目からはそう見えた、が、予想とは大きく外れるものだ。
「女一人に何ができるんだ」
男は馬鹿にした表情で、一人の女にそう言った。すると、気の強そうな彼女は、その男を前にして嘲笑って言った。
「これだから嫌よ。女=「かよわい」の方程式が成り立ってるんだから。どーせ、女なんて力でねじ伏せれば、なんとかなると思ってるんでしょ」
「ふん、だからなんだ?」
「……そーいうのが気に食わないのよっ。この馬鹿!」
「なんだと!?」
殴りかかろうとする男を止めるために、俺達はすぐさま前に出た。次の瞬間、それは徒労に終わった。彼女は、男の急所を蹴り飛ばし、痛がっているその男の腕を持ち上げて、一本背負いを繰り出した。男は再起不能になり、マグロのごとく横たわっている。容赦ない仕打ちに、俺達は憐憫の情を抱かずにはおれなかった。
「すげぇ」
俺が感嘆の声を漏らすと、護は唖然としながら、呟いた。
「うわぁ、遊輝の上をいく奴、まだいたんだ。あ、おい。あの怪我してる子、可愛くないか?」
彼が指で差した方向には、さっきの彼女とは百八十度、性格の違う女子生徒が腰を抜かして怯えていた。譲、ああいう子が好きだよなー。俺は全く興味がないけど。そんな風に思いながらその子を見て言った。
「並、じゃね?並でも上手いけどな」
「寿司かよ!」
予想通りの突っ込みが返ってきた時、気の強そうな彼女は、振り向いていきなり睨んできた。俺は、あまり動じなかったが、内心少しだけ怯んでいた。
「しっかりと聞こえてるわよ、根性無し」
長い黒髪を一つに束ねて、昔の女剣客のように気高く、獣を射るような鋭い瞳を軽く細めて言った。
「……それは俺達のことか?」
「アンタ達以外に誰がいんのよ。普通、女子が危険な目に合っていたら、助けるものでしょう?」
「助けなんて―――」
いらなかったじゃないか、俺がそう言いかけると、彼女はまた睨んで、ぴしゃりとそれ遮った。それから、腰の抜かした彼女の友人の声を掛けた。
「言い訳無用。いっちゃん、立てる?」
「う、うん」
いっちゃんと呼ばれた女子生徒は、こちらを気にしながらも、何とか立ち上がった。それを見届けた彼女は「いっちゃん、行くわよ」と言って、公園の出口に向かった。
「おい」
「……何よ」
もう俺達と喋るのすら不愉快だと言わんばかりの表情を、露骨に出して振り向く。
「お前、面白れぇな。俺の彼女にしてやってもいいぜ」
この一言が、彼女の地雷を踏んだらしい。後に、俺の方が彼女に惹かれていくなんて、この時はまだ思いもしなかったのだけれど……。すると彼女は、花が咲いたように、にこりと笑った。それが最初で最後の笑顔。次の瞬間、人一人軽く殺せそうな鋭い瞳で睨んで、大声で俺を罵った。
「ふざけんな。この世で唯一嫌いなのが、一に軽い男で、二にロクでもない男、三四がなくて、五に馬鹿な男なのよ!全部に当てはまるアンタなんて、問題外よ!外見よくても、中身は最低最悪ね。大っ嫌い!」
「……」
女から、面と向かって強く罵られたのは初めてだった。いつも俺の傍にいた女達は、甘い言葉で俺を落とそうと躍起になっている奴らばかり。自分で言うのもなんだが、昔から女に不自由したことがなかった。だから、こんなにもはっきりと「嫌い」と言われたことがなかったんだ。
「ふん」
言いたいことが全部言えてすっきりしたのか、彼女は鼻で笑った。
「……まえ」
「まだ何か?」
「桜高だろ?名前、教えろよ」
彼女の全てが知りたくなった。同じ学校みたいだから、ここで別れることはないと思うが、彼女との繋がりが欲しかった。嫌われてても、別にいい。とにかく、知りたかったんだ。
俺は真剣な面持ちでそう問うと、それを汲んでくれたのか、彼女は少し考えて言う。
「……名乗るのが礼儀じゃなくて?まぁ、いいけど。唯、神野 唯よ」
「唯、ね。りょーかい」
「えっ、ちょっ」
有無を言わさず、唯の腕をぐいっとひっぱって、彼女の唇に自分の唇を重ねた。彼女は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で驚いていた。でも、それはほんの数秒間だけ。次の瞬間、片頬に燃えるような衝撃をくらった。俺が彼女を見ると、友人に抑えられながら怒って暴れている。
「ふざけんな、コイツ殺す!」
「唯ってば、落ち着いて!」
「これが落ち着いてられるか!?」
平手で叩かれたらしく、彼女の手の平も赤く染まっている。痛々しいなぁ、などと暢気な事を考えながら、舌を出して悪戯っぽく言ってみる。
「ご馳走さん、唯ちゃん」
「貴様!」
ますます激昂する彼女を尻目に、今、思い出したかように言ってみる。
「そうそう、名乗らないなんて礼儀に反するよな。俺の名前は霧山 遊輝。以後よろしくな」
それが俺と彼女の出会い。そして―――始まりだった。
あの時、唯が欲しいと思った。彼女の心を手に入れたい、本気でそう思ったんだ。
だからこそ、こうして今に至る―――。
店員が運んできたアイスコーヒーを飲んで、俺達は数ヶ月前を思い返し、話した。
「まぁ、過去の清算は大方、済ませたんだろ?」
「もちろん」
問題なさそうに、しれっと言ったが、かなり時間はかかった。それまで、彼女を本気で口説かないで、と彼女の友人から釘を刺されていたのだ。今じゃ、護の彼女なんだけどな。
「あーあ、唯ちゃん可哀相だなぁ」
「何で」
「いや、何か……これから大変だなって」
「確かに、これからだからな」
さぁ、どうやって口説こうかな。考えているだけでも、楽しくなってくる。彼女は一筋も二筋縄でも落ちる女ではない。だからこそ、手に入れるのが楽しみだった。
「そっちのことじゃないんだけど……って聞いちゃいねぇ」
そうぼやく護は、深く溜め息を付いて思った。数ヶ月前の遊輝を知っている者は、みんな彼の変わり様に驚いている。人って、出会い一つで、こんなにも変われるもんなのか。護は目の前にいる親友を、ちらりと見た。
唯ちゃんに振り回される、遊輝。
遊輝に振り回される、唯ちゃん。
相反する強烈な二人、そうそうお目にかかれるもんじゃない。
世界広しといえど、この世に唯二人だけ。
この先、どうなるのか楽しみだなぁ。
そんなことを思いながら譲は、遊輝の様子を見て、ふっと笑みを零した。
END




