薄明
単純に、気持ち悪いと思っていました。
よくもまあ、飽きもせず、同じ様なことを言えるなと。
飲んでいると言えば居酒屋を貸切って乱交をしているだの、少しばかり配信をすれば、女装しろだの、メスイキ声だの。
彼らと私は、確かに男性同士でしたが……いえ、それは、女性からもだったかな。
男の私が言うのも変に思われるかも知れませんが、セクハラですよね。それも、悪質な。
知人との会話に割り込んでまで、そういった言葉を向けられることもよくあって。勘弁してくれ、と。
他に……ですか。
なんだったかな、確か、その妄言を、彼らは小説のような形に纏めて――
揺らぐ視界の中で、男が叫んでいる。
満足に呼吸も出来なくなる程の快楽に身を委ね、その心地良さに、目を閉じた。
冷たい太陽の光を浴びながら、あの人結局、最後までなんて言ってるか分からなかったなと思った。
言葉に似た何かを発する度に弛んだ頬が揺れ、分厚い唇が震え、唾が飛ぶ。
毛むくじゃらの肥えた腹に付いている大きなホクロを、指で何度も掻き毟っていた。
気が触れたように大声で喘ぎ、呻き、叫び、体毛の濃い脂ぎった身体を密着させて来る。
腕を掴まれ、息をする余裕も無い程に、生ゴミのような臭いのキスを交わし続けた。
汚いタイプの男だったが、ただ、乱暴なところは、嫌いではなかったかも知れない。
別れ際に何かを言っていたような気がする。
またよろしく、だったか。うん、気が向いたらね。
――とっても激しいエッチをありがとう。また誘ってくださいね。
形だけのメッセージを送って、次の時間を思い出す。
あ~あ、もうちょっと早く切り上げたかったんだけど。
お家に帰って、お風呂に入って身体を綺麗に洗って、ゆっくり休んで。
そして、美味しいご飯を食べて、気持ちの良いまま、次に向かうはずだったのに。
せっかくの予定を壊してくれたあの男には、今後気が向くことはなさそうだ。
だが、あの男ですら、きちんとした職に就いている。
どれ程醜い身体をして居ても、言葉を発するのが不自由そうであっても、こちらの事などお構いなしに、暴力にも似た行為で体液を散らすのだとしても。
これ以上堕ちる事の無い自分からすれば、過ぎた相手だった。
帰ろう。昨夜から続く今日は、まだまだ長くなる。
もう何年前になるだろうか。どこかのホテルで、誰かと過ごしたことがある。
初めて会った男――もう名前は忘れてしまった――に誘われるがまま、彼らの過ごすホテルに向かい、そして、ただお互いに乱れ、延々と貪られる夜。
あの日の帰りも、きっと、こんな時間だった。
そして、あの夜に、タガが外れてしまったのだと、今にして思う。
ここまで堕ちてしまう、きっかけはあった。積み重ねもあった。
あるいは初めから、踏み外していて、ずっと堕ち続けていただけなのかもしれない。
そ うである自分に気付かないように、必死に見て見ぬふりをしていただけで、初めから、ここに、いたのかもしれない。
タガが外れたのでも堕ちたのでもなく、ただ、ようやく自覚しただけなのかも知れない。
それでも、やはり、転機となったのがあの夜だった事は、間違いない。
名も忘れた男が言っていた言葉が、その時に見た景色が、微睡の中で思い出される。
俺はセックスって、気持ちの悪い、最低な行為だと思うんだ。
排泄の方がまだ綺麗だと思うんだよね。
ああ。……もう、朝だね。だからさ。ほら、外、見て見なよ。
空を埋め尽くす灰色の雲の切れ間から、太陽の光が、柱みたいに、梯子みたいに落ちてるでしょ。
薄明光線とかヤコブの梯子だとか、色んな言い方があるみたいだけど。
俺はね。この景色に、現象に、一番相応しい言葉は。
天使の梯子――だと、思うんだ。
ねぇ、――――
綺麗なものを感じながら、最低な、汚い行為で射精する。
これって、すっごく、興奮するんだよ。
捨てた名前が、耳をくすぐった。
意識が白濁に塗り潰されそうになる。仰向けになり、男の見つめる窓の外を眺めた。
天使の梯子と言った、あの光線に沈んでいけば、もっと綺麗な光景を見る事が出来るのだろうか。
そうすれば、綺麗になれるのだろうか。
帰りの電車を待ちながら、本当に久しぶりに、おしるこ缶を飲んだ。
ひとくち飲んで、不味い、と感じた。飲めたものではない。
記憶の中の味とはかけ離れている。
もうひとくち飲んで、結局、ゴミ箱に捨てた。
おしるこ缶の味を吐き出す様にため息をついて。
ふと、悪い事をしたように感じたが、なぜそう感じたのかは、分からなかった。
――その下らない小説モドキが、今も残っているかは分かりませんけど。
仮に残っていたとしても、今の私には、何の関係ありませんし、
それに書いた本人たちも、書いた事を自体を、忘れているんじゃないかなと思います。
何にせよ結局のところ、それはありもしない、彼らの妄言でしかないのですから。
ただ、今にして思えば。
『しーちゃん』としての私は。
あの時から確かに、自分の中に宿っていたんだと思います。