降胚
ねむたいんですか?
額にすっかり冷めた缶が押し付けられる。
飲み終わったんであげますと、おしるこ缶を渡してきた。後輩だった。
いや、ここで渡されても。電車だし。
いいじゃないですか、どうせあと……ええと。3分くらいで駅でしょう?
どうしたんですか、なんで不服そうなんですか。
……実はそれ飲みさしなので、いいですよ、べつに。
飲まないけど。
暫くの間、無言。そもそも電車の中で喋るのは良くない事だ。
この車両には、自分と後輩と、あと遠くの席に寝てる人しかいないし、良いも悪いもないんだろうけど。
終電だし。こんなものなんだろうか。
なんでこんな夜中に、後輩と電車に揺られているんだろう。
<CantCapric>に届いたメッセージを見返すと、最寄りの駅は次で間違いないようだ。
何見てるんですか?
これは今から行くとこまでの――
――やっぱり、先輩って、『チョモラちゃん』なんですね
メッセージを閉じる。アプリを閉じる。電車が止まる。
そうだ、降りないと。ここで。降りないと。
初めて降りた駅のホームでゴミ箱を探し、おしるこ缶を捨てた。
始めに感じたのは叔父の声だった。
あの人が、初めての相手だった。あの時の火照った身体は、ゆっくりと叔父を受け入れた。
きっとこの先、何年経ったとしても、忘れる事はないだろうと思う。
どうしても求めてしまう。そして、その度にまた、後輩に、逃げるのだと思う。
先月か先々月か、いつか父親と、叔父と、その仕事仲間だろう男たちが家で飲んでいた時がある。
叔父を見た瞬間に、下腹部、膀胱の奥辺り――男性膣――が、疼いた。
どうしても欲しくなった。父親も、見知らぬ男達もいる中で、ただ、叔父を求めたかった。
叔父に求められたかった。だからはやく部屋に籠り、寝てしまなければならなかった。
そうすれば、寝て起きれば、朝になれば、この疼きもおさまるだろう。
やがて届いたメッセージは、叔父からだった。
――抱いてあげるからまっていなさい。
だがこれが、後輩からの、例えば、明日会いましょうと言うメッセージだったとしたら。
ならば、寝なければならない。なおのこと、後輩の為に、寝なければならない。
叔父に抱かれながら、身体を求めながら、熱に貪られながら、ギラギラとした目を見る。
よく利用するスーパーの店員の自分を見る目は、この目だったなと思った。
キスをねだる。口元を舐められ、唇を吸われ、酔いそうな程に熱い唾液を飲み込んだ。
名前は確か『角原』だったか。見られることも、触れられることも多かったなと思う。
偶然、角原さんが、バイト仲間だろう誰かと話しているのを聞いたことがある。
さいきん、図書館に言ってるんだ。
汗ばんだ叔父を抱き、体液を交わしながら、明日は図書館に行こうと思った。
知らない男が2人部屋にやってきて、彼らの事も受け入れながら、その間は叔父と手を繋いだままで、そして、いつの間にか眠っていた。
目が覚めた時には誰もいなかった。
汗を流してきれいになって、図書館に行こう。後輩と、一緒に。
もちろん会えたらいいなくらいにしか思っていなかったが、黒魔術なんて書かれた本を読んでいる彼の姿を見た時は、もう、抑えられそうにもなかった。
いつかの電車では、見知らぬ誰かに声を掛けられたことがある。
――チョモラちゃんだよね。すぐにわかったよ。
ドアの付近に移動させられ、器用にも片手でズボンのチャックを下ろされた。
小さい事がコンプレックスだったが、むしろその事が、男を興奮させていたようだった。
すぐに射精させられ、扉が開くとすぐにトイレに連れ込まれた。
流石に、今日、この時間にはあの人はいないか。
ほんの少しだけ、残念な気持ちになったが、構わない。
そんなことは、構わない。
また<CantCapric>を起動し、同じメッセージを確認する。
ホテルの場所が載せられたメッセージ。
『チョモちゃんの分も含めてちゃんと予約してるからね』
これまでの自分と、そして、望んで抱かれようとする今の自分に、自嘲気味に笑う。
でも、もしも。
もしも本当に、例えば、会うたびにおしるこ缶を飲んでいるような後輩がいたとしたら。
たまに突拍子もない事を言い出したり、曲がってしまったネクタイを直してくれたり、ネクタイをしていない時に会うと驚かれたり、怒られたりするような、そんな関係の、懐いてくれる可愛い後輩がいたとしたら。
こうは、ならなかったのかもしれない。
到着したよ。メッセージを送った数分後に、つい昼頃に会ったばかりの男が現れた。
「やあチョモちゃん、来てくれて嬉しいよ」
御田の見せる可愛らしい笑顔に、思わずどきりとする。
――いこうか。たっぷり、可愛がってあげるから。
耳元で囁かれる声。艶のある長めの髪からは、ふわりと、心地よい香り。
その全てに、かつて叔父に感じていた以上の期待をしてしまう。
智里は。チョモラは。
これから自分を待つ淫猥に、甘い唾を飲み込んだ。