迷夢する箱舟
一緒に行きたい場所があるんです。
先輩はどうせアラームが鳴ったとしてもすぐに止めてすぐに寝るでしょう?
だから2分おきに鳴らすんです。そう設定するんですよ。いいですね。
そして本当に1時間分くらいのアラームを設定させられた。狂っている。
二度寝が許されない環境の中、昨日の自分を呪う。
何とかアラームを最後まで止める事ができた。
ご丁寧に「ちゃんと起きましたか」というメッセージも届いている。起きましたとも。
はやくシャワーを浴びよう。綺麗に、なろう。
家の中には、誰もいなかった。
後輩は普段通りの格好で、おしるこを飲んでいた。
ほら、そこの自販機で買ったんですよ。
たまに飲みたくなるんですよね、オトナなので。
意味が分からない。
ぷはー、と大げさな動きでおしるこを飲み切った後輩は、こちらを見て首を傾げた。
「今日はネクタイ無しの日ですか」
「無しの……って言うか、休日までネクタイしないでしょ」
「あ~あ、ネクタイが曲がっていてこそ先輩なのに。
そのネクタイが無いって、そんなのもはや知らない人じゃないですか。
私だからいいようなものの……明日から気を付けてくださいね」
「ちょっと待って、そこまで言う?」
「失礼、おしるこを飲みすぎたようです」
「関係ないでしょそれ」
「細かいこと気にしないでくださいよ、大人なんですから。
ともあれ今日は、図書館に行こうと思うんです」
魔術について調べたいんですよ。
知っていますか、この世界、宇宙は鯨のかたちをしていて、
あらゆるものに魔術的な意味があるんです。
例えば、鯨のかたちというのは、進歩と、進化の形なんです。
世界は進み続けるものですからね。
それに曲がったネクタイって面白くって、他者に自分を所有させる事を表すんです。
だから私は先輩のネクタイを直すんです。そういう意味を持つ道具で、行為ですから。
魔術を知れば、そして、先輩にも知ってもらえれば、きっと世界は違って見えるはずです。
私、思うんですよ。魔術って、積み上げて通り過ぎるだけの科学とは違い、
はじめから完成されたものなんですよ。
だから、それを知る事で、きっと私たちは完成されるんです。
……なんですか、冗談に決まってるじゃないですか。
全部いま思い付いた事ですよ、馬鹿なんですか?
あー、もちろん図書館に行くというは本当です。本気です。
先輩、私思うんです。図書館みたいな静かな場所で、ふたりだけで同じものを見て、
同じものを得るのって、きっと幸せな事なんだろうなって。
後輩の意味の分からない話を聞き流しながら、図書館なんてもう何十年も言ってないなと思った。
昔好きだった、名前も思い出せないあの絵本はあるだろうか。
子供が主人公だった。テレビで、お店で、近所で、学校で、よく見かける「ひと」がいた。
その「ひと」は白い影のように描かれていて、家の中でも見かけるようになって、
お話をするようになって、その事を母親に話すと閉じ込められてしまい、
最後は白い影のひとが現れて、口を開けて食べてしまう、というお話だった、ように思う。
変な話だと思う。記憶違いかもしれないけど、ただ、絵が怖かった事はよく覚えている。
絵本のコーナーでも、覗いてみようか。
――ああ。やっと触れられた。
耳元に、熱い吐息と共に、掠れた様な低い音が触れる。
「ずっと見てたんだよ。まさかこんな所で会えるなんて」
声は、出せなかった。
見知らぬ男が、後ろに立っている。体重をかけてくる。
下半身に、熱を持った膨らみが押し付けられる。
これは。
昨夜と、同じだ。
後輩の姿は、どこにもない。
男は、ずっと見ていたと言っていた。知らない。
いや。確か、近くのお店の店員に……。