表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/172

獣の世界

 森に隠れるように作られた天幕。その意図に反するような怒号が響き渡る。

 

「他国の横やりが入った程度で侵攻を止めるとは一体どういうことですかっ。」

 

 初老の男がだるそうに長机の向こうで突っ伏している男に声を上げる。

 

「その小さな毛の無い猿頭で考えても分からないなら説明する気にもならないのだがね。」

 

 突っ伏した狐頭を少し持ち上げ心底気怠そうにヴィルバンは答える。初老の男は白髪が増え頭髪が少なくなったとはいえ禿げと言うには難しい状態であった。だが男はそれを馬鹿にされたかと思い顔を更に赤くして怒号する。獣人であるヴィルバンからすれば人間は等しく毛のない猿である。若干の種族の違いが軋轢を呼ぶことは分かっているがそれを訂正する気も無い。髪の事はともかく頭が悪いと馬鹿にしていることには変りは無いからだ。気がつかないならなお救いようがないとヴィルバンは心の中でため息をつく。男は平均以上に出来る部類の戦術眼も指揮能力も政治能力も持っていた。だが横やりの入れてきた軍に対する正確な情報だけは受け入れないし信じなかった。何故その事実が受け止められないのかヴィルバンには不思議でしょうがない。

 

「布陣からしてそこが薄く見えることも、あと一歩で蹴散らされて悔しいことも理解してあげられる。だが現状そちらに送った兵だけでそれらに対処するのは不可能だと説明したのは聞いているな?本国から英雄を引っ張ってくるまで待て、むしろ相手を引っ張るつもりで総撤退しても構わんと。」

 

 何度目かになるかも数えていない同じ説明をまた繰り返す。長く生き過ぎたヴィルバンとて馬鹿に付ける軟膏は未だに見つけられていない。馬鹿が理解するのはそのすべてを失う時だけなのだから。それでも一方的に手柄を搾取された思うが故か、初老の男は一歩も引かない。どんな名誉欲が彼をそこまで駆り立てているのか聞いてみたいとヴィルバンはその大きすぎる声に耳当てをしながらやり過ごす。

 

「では君はそのまま思うように進軍したまえ。私は引き留めたしが指示もした。責任は君と折半ということで頼むよ。」

 

「責任など考える必要は無い。いると分かればそのまま蹴散らしてくれるわっ。」

 

 大言を吐きながら足早に天幕を去る男に向かってヴィルバンは大げさに獣の神に祈りを捧げる。それを見た獣人の幕僚達は思わず失笑する。

 

「しかしここ最近大きくなって来たらしい国とは言え、そこまで警戒する必要があるかね。」

 

 狸面の将は信じないわけでも無いがという疑問を総大将であるヴィルバンにぶつける。獣人は政治力よりも個々の強さで地位が決まることが多い。当然上に上がれば政治力も要求されるので皆無であれば一定以上上がることは無い。だがそれでも上の地位にいる者は少なくとも自分よりは強く敬意を表する相手であると獣人は考える。人間と違って地位が上の者に対する畏怖はかなり高い。故に現状最上位であるヴィルバンが言うならそうであろうと獣人は信じる。だが疑問があればそれを明らかにしようとする様は人間に比べてより明確にしようともする。地位は暗闘では無く明確な功績によって決められている獣人故すべては納得の上で行われる。

 

「あの国は今代の選定者が関わっている可能性が高い。すでにそれらしい生物も確認している。一般の騎士ではものの数にもならんでしょう。」

 

 ヴィルバンも獣人の流儀に従い聞かれた情報(・・・・・・)は隠さない。この天幕にいる地位の者で諜報をおろそかにするものはいない。だがヴィルバン以外で誰一人、一当たりしただけの相手にそのような者がいたとは把握していなかった。

 

「それが事実ならあの無能猿は可哀想なことですな。」

 

 鷹面の将は冷ややかな笑みを浮かべて羽根を一羽たきする。すでに負けた原因を探るために諜報員は派遣しているがその結果が帰ってくるのは幾ばくか先の話である。

 

「仕方が無い。あれも追い詰められて拾われた者の一人だ。我々に使われるのが我慢ならんのであろうよ。この結果でまた希望が遠のくとはやるせない話ではあるがな。」

 

 ヴィルバンが申し訳なさそうに話しながらも顔がにやけているのをその場にいる者は見逃さない。愚か者だと、たいしたジョークだと皆はそれぞれけたたましい鳴き声で笑う。

 

「現行の兵で立ち向かおうとするなら五倍でも足りぬし、対策もいくらか必要である。勝てなくはないが準備が足りないと言わざるをえん。レイスタン王国の攻略は一時放棄し、クシャン市まで緩やかに撤退する見込みでいる。」

 

 ヴィルバンは片手を上げて笑い声を止めさせ、静かに今後の予定を宣告する。

 

「クシャンまで引きますかっ。これはまた陛下のお耳を掃除してさせ上げなければなりませんなぁ。」

 

 別の狐面の将は大げさな様相で驚いてみせる。だがその決定に逆らう気は毛頭無く場を和ませようとも、そこまで力量のある相手かと賞賛も含んでいる。クシャン市となると攻め込んだレイスタン王国を越えて二つも超えた大都市である。準備には都合が良い大きな都市とはいえそこまでの準備をしなければならない相手かと皆の視線がヴィルバンを射貫く。

 

「あくまで見込みですな。愚将の撤退の中継となるであろうストーマン市で相手の力量を測る予定でいます。そちらでの解析次第となるでしょう。」

 

 ヴィルバンは将への説明として計画を明かす。将達は自らの頭で地図を思い描き妥当であると判断を下して頷く。撤退にも援軍要請にも相手の力量把握は必要である。獣人達は無根拠で大げさな話は信用しない。必ず基準を明確にしたを根拠を要求する。勝利があれば敗北もある。勝利を予想しても想定外があれば敗北もある。勝敗には理由があり、理由を明確に出来ない者こそ愚かであると彼らは考える。今は横やりが入って数が覆り負けただけである。これも一つの参考理由。邪魔が入らなければ勝っていたと雑な理由で進軍しようとするのはあの人間の愚将だけである。勝敗を深く考えない者はたとえ勝利を重ねていても獣人からすれば愚将である。だからあいつらは出世しないのだと獣人達はいつも悩んでいる。

 

「各々とくに準備することは無いでしょうが、付き従う者達には説明をしておいてください。前哨戦は終わり、ようやく本番と言った所ですよ。」

 

 現状ここまで進軍してきたのは侵略途中で徴兵した兵士、騎士を再編した者達であり自国の兵は直属の兵以外は滞在していない。指揮する者からしてみれば減れば痛いがそれほど思い入れも無い。もちろん予備兵も含めて全軍で自国に反乱を起こせば少なくないダメージを与えられるだけの数はいる。だが人間が一方的に根拠も無く獣人が下位の存在と見ている傾向にあるのに対して、獣人は人間を同等とは見なしておらずお互い理解出来ない獣としか認識していない。人を使って人の国を侵略する。ヴィルバンが奏上し試験的に認められた遠征軍である。その試みはは比較的うまくいき、二つ目の国を侵略し終わった頃には自国の兵士を遠征に参加させる必要がないほどにまで膨らんだ。序盤こそヴィルバンの手腕に寄るところが大きかったが、ここまで軍が膨らめばあとは規律を正し、報酬を与えるだけで軍としての体裁は整っている。故にクラファル王国としてはこの遠征の成否がどのようなものになるかが重要であり勝敗はそれほど重要では無い。むしろいずれ破綻するとまで考えられている。成功すれば儲けものだし、失敗しても混乱から立ち直る前に正規軍で制圧してしまってもいい。どちらにせよ序盤を乗り切れば得しかない。そして王国最高の戦士が責任を持つとなれば国としては痛くもかゆくも無い。かくして実験的な遠征軍は編成された。多少の政治力の介入により遠征に一部の派閥が食い込んできたこともヴィルバンにとってさほど困った事態では無い。押しつけられる事情も先を見れば回収できる恩である。貸与された恩など無数にあり返却する間も無くいなくなった者達も多い。ヴィルバンからしてみればそれらがどうなろうと無数にある恩のわずかな一つでしかない。そして周囲に明かしていない遠征軍を奏上したただ一つの理由についにたどり着いたのだ。ヴィルバンは心の中で喜びの声を上げている。噂に聞きつけ、ついに見つけた遊び道具の一つ。以前は片手間に利用して捨ててしまったのが惜しかったと、後ほど不満が噴出した肉騒動など懐かしいものである。埋没して二度と会えないかとも思ったが、彼はそこまで沈み込むとは思えなかった。きっと出会えると、すべてをぶつけていける相手であると信じて密かに探した。長く生きすぎてすべてが片手間で済んでしまうこの世界において時折現れる選定者には大きく期待がかかる。久方ぶりに全力でぶつかり合える相手が現れる。自らもそうであったように選定者はヴィルバンにとって一つの希望であった。自分も切磋琢磨で生きる獣人であり成長に手を抜くことは無い。長く生きればもはや自らに追いついてこれる者はほぼいない。英雄とてヴィルバンにとっては壊れにくい玩具でしかない。かつて味わったギリギリの戦いをもう一度。死力を尽くしてなお死を感じられるあの戦いに身を投じたいとヴィルバンは心の奥底で願う。かつて出会った彼は紺野遊一郎ははたして如何ほどまでに成長したであろうか。しかし、その希望は数日後の報告によって瓦解する。

 

「あの場にいた戦力程度でしたら私ですべて一蹴できてしまいそうですなぁ。」

 

 ストーマン市で遊一郎を圧倒した、してしまったヒレンがヴィルバンに淡々と報告する。ヴィルバンは個人の天幕で報告を受けテーブルに突っ伏す。自らが強くなりすぎているとはいえ、まだ指先にもかからない程度しか強くないっていないのかと落胆する。

 

「何でも屋は面白い。私の攻撃ことごとく対処された。私と同じ型のは普通。」

 

 別箇所で足止めをしていたキャラの報告は比較的前向きだ。遊一郎より部下の方がまだ強い段階なのだろうかともヴィルバンは悩む。キャラの能力を知っている以上そのすべてを防ぎきったという何でも屋とやらは興味を引く。尤も対処できるだけで的確な反撃は出来なかったようなので、見破っているわけではないのだろうとは判断できる。

 

「遊一郎が私に気がついていて戦力差に気がついたらどうするかね。」

 

 ヴィルバンは期待を込めてヒレンに尋ねる。

 

「普通なら逃げ出すでしょうが・・・選定中に逃げると言うことは順位を下げることに他なりませんし。かつてのあの子ならもしくは・・・」

 

 ヒレンは嬲った遊一郎の姿を思い返しながら言葉を紡ぐ。

 

「まぁ・・・指の端にかかるくらいなら少し時間をおいてみるか。かつての彼の成長速度なら少しは期待してみたい。正直残り死亡回数が分かってればなぁ。これで終わりかもしれないと思うと躊躇するねぇ。」

 

 ヴィルバンは一度は期待を外したものの少しのきっかけがあれば意外といけるのではないかとも夢想する。今すぐ遊んでみたいと思いもするがこれっきりかもしれないと考えるともう少し育ててみたいと思う。ヴィルバンは顔をほころばせながら今後の算段を行い始める。ヒレンはいつものかと見守り、キャラは指示があるまで姿勢を崩さない。

 

「いつも通り誤魔化して撤退しよう。途中英雄共で押し返せば時間も稼げるだろう。」

 

 ヴィルバンは撤退は恥と認識していない。行為のすべては自分の都合の為であり、勝利するより敗北の方が都合が良いなら迷わずそちらを選ぶ。長年彼を見て来たものからすれば彼の敗北は企みであり準備である。敵対者や新参者ほど彼の負けを侮る。ヴィルバンはそれをネタに軽んじた者達を逆に貶めたりはしないが、結果的にその者達は地位、財、命など多くのものを失う。生まれてからずっとヴィルバンに仕える配下はもはや彼を否定しない。彼がそう言えば何かしら意味がある。もう配下が考える些事は不要なのだと考えられている。

 

「また陛下が苦労なさいますなぁ。」

 

 ヒレンが口元を押さえてカラカラと笑う。

 

「それは申し訳ないね。援軍要請のついでに根回しくらいしておくか。」

 

 ヴィルバンは軽い口調で思いつくままに親書をしたため始める。親書を折り封筒に入れ封印する。親書をくるくると回しながら宙を舞わせ、何かを考える。

 

「キャラ。これを陛下に届けてくれるかな。ついでにこれをエイレンに。」

 

 ヴィルバンは直立するキャラに親書を向け、更に金属の円筒を投げ渡す。ヒレンが若干眉をひそめる。

 

「あのものもお使いに?」

 

「彼とやるなら一度は総力戦にしてあげないとね。その抵抗がどのようなものであれ、ね。もし次があるならそれすらも生かせるだろう。」

 

 ヒレンはただエイレンを好ましく思っていないだけであるが、ヴィルバンに取っては三者すべてが愛おしい部下である。

 

「仲良くしろとは言わないけど、いつも通りには頼むよ。」

 

「かしこまりました。」

 

 ヴィルバンの楽しそうな口調にヒレンは渋々ながらも頭を下げて了承する。ヴィルバンは筆をとり更に十三通の書類を即座に書き上げる。伝令を呼びそれらを所定の場所に配達させる。ヴィルバンはほくそ笑みながら席を立ち、ヒレンを連れて天幕を出る。陣中を歩き気軽に挨拶しながら練り歩きそして陣地を一歩でれば、そこに彼らがいた痕跡は何一つ無くなった。数刻後、事態を理解した者達から速やかに撤退を始めた。しかしこれをチャンスとみて残る者もいた。

 

-私は所定地域まで下がる。残り戦果があれば優遇しよう。客将の戦果に期待する。-

 

 曖昧な指示だけを残して消えた総大将をどう思っているかがその後の将と配下の命運を分けた。あたかもふるいに掛けるかのごとく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ