封じられた魂23「誓い」
一日一章投稿しています。
ー偽りの神々シリーズー
1「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫
2「敗れた夢の先は、三角関係から始めます。」星巡りの夢
3「封じられた魂」
本編進行中です。
順番に続いています。
応援よろしくお願いします。
※
初めて星光の神殿で出会ってから、やっとお互いの気持ちを伝えあった気がした。
木漏れ日が自分たちの足元や、湖の水面を照らして、反射して眩しい。
アセスはリンフィーナの膝の上で力尽きたように眠っていた。
唐突に告白してくれた婚約者は、リンフィーナの腕の中で電池が切れたように動かなくなった。
相当無理していたのだろうか。
「ごめんなさい」
起きたら美味しい珈琲を入れてあげよう。寝不足を続けていたのだろう、穏やかな寝息を立てて眠っている顔を見て、リンフィーナは謝った。
血の通った生身の人なのに、自分の理想の虚像を見てきたようだった。天道士として、一族の総帥として、完全無血だと勘違いして、リンフィーナはすぐにガチガチになっていた。
少しづつでいい、とアセスは歩み寄ってきてくれていた。
兄様、どうしよう。
自分はアセスにどんどん心を奪われていく。
怖いくらいに、彼といる時間の一瞬一瞬が、胸の中に刻みつけられていくのだ。
子供の頃に出会ったアセスは、頼りなげに泣いていた綺麗な少年だった。それなのにラーディアの生誕祭で再開した時、コロッセオで見たこともないような剣技を披露してきた。最年少で天道士に昇級した時に、彼が繰り出す術の美しさに息を呑んだ。術者として戦っている様子を見た時の、驚くべき強さにも視線を離せなかった。
そしてこの前馬に乗れた時の嬉しそうな顔、自分に告白してくれた時に照れ隠しをしたこと、疲れ果てて自分のそばで力尽きてしまうアセス。
色々な彼を見て、好きという言葉では足らないほど、気持ちが膨れ上がっていく。
そんな人に出会ってしまったら、忘れることなんてできないんだと、兄は言っていた。
陶器のように白い頬に、指でそっと触れてみた。
温かかった、そして柔らかい。
いつもサラサラの癖のない髪の毛も触ってみたい。
無防備に横たわられて、今のうちならば触り放題だと、邪な考えが頭を占めた。
それほど大きくは見えないのに、肩幅が結構あって、胸板も熱い。長いまつ毛と整った鼻筋は絵画のようで、薄い唇は、少しだけ紫がかっている。血管が透けそうな肌に似合っている。
んーー。
疲れているのに起こしてはいけない。
でもこんなチャンスはなかなか巡ってこない。
欲望が渦巻いて、頭の中がぐるぐるしている。
リンフィーナは軽く呼吸を整え、自分の髪の毛を耳にかけて、背中をかがめた。
いけないことをしているのはわかる。でも少しだけ。
自分の唇でアセスの唇に触れてみた。
「心が決まった?」
自分が唇を離すと、アセスは目を閉じたまま質問した。
わっ。起こしちゃった。
「大胆だね、リンフィーナ」
まさか、起きてた!?
恥ずかしさで頭が噴火する。
「あの、これは……、その出来心っ……」
仰け反りそうになったが、アセスは素早く身を起こして、真顔になった。
怒ってる?
彫刻のように整っているだけに真顔になられると、その鉄面皮の感情を読むことができなかった。
「ほんとに、ごめんなさ……」
アセスの眼光がみるみるうちに険しくなり、震え上がるリンフィーナの手を、アセスが引いた。
「囲まれた!」
迂闊だったと舌打ちしたアセスは、リンフィーナを背中に庇う。
怒っているわけではない? アセスは全神経を研ぎ澄まして、周囲を警戒しているようだった。
湖の水面が、不自然に小刻みに揺れ始めている。小さい波が、振動する大地に翻弄されて、震えていた。
「何っ!?」
水月の宮は安心だと言っていたので、完全に油断していたが、アセスが眠ってしまった瞬間を狙われたようだ。
リンフィーナの足元で、湖の水が大きくうねった。
そこから飛び出してきたのは、人の手だった。
けれど普通の人の手とは違う、銀色に光る鱗がびっしりと張り付いた手。
その手がリンフィーナの足首を捕らえた。
「きゃぁーー!」
異形の物を目の当たりにして、リンフィーナは戦慄に悲鳴をあげる。
水面が大きく波打つようになり、湖から人のようなものがゆらゆらと出現し始める。
一人や二人ではなかった。
二十人はいる、化け物の団体だ。
アセスが剣を取って、リンフィーナの足首を掴んでいる手を腕ごと砕いた。
「リンフィーナ、水辺から離れて!」
強い口調で指示されて、リンフィーナは後退した。
「ここは私に任せて、貴方は全力で館に逃げて!」
何を言っているの!?
「こんな人数、アセス一人では相手できない!」
異形のモノだけれど、十中八九自分たちに友好的に近づいて来ているわけではない刺客だと、アセスの注意深い視線が、辺りに見渡される。
二人を取り巻く木々が、嘲笑うかのように揺れた。
「気配が散漫で、何人いるのかわからない。リンフィーナ、ーーなんとか館まで貴方を逃しますから、中に入ったら館中の鍵を掛けてください」
「待って! そんなことしたらアセスが入れなくなってしまうじゃない!?」
「それでいいのです」
「いやよ」
こんな時にアセスは何を言うのだ?
水月の宮に現れる刺客なのであれば、狙っているのはアセスではないだろう。
刺客が自分を捕らえようとしているのであれば、邪魔になるアセスには容赦しないはずである。
だとしたら、ーー命が危ないのはアセスの方ではないか!?
「絶対だめ。アセス、一緒に館まで逃げよう」
彼の衣服を強く握ったが、アセスは首を振った。
「いいえ。私のことなら案じることはありません」
「何人いるのかもわからないんでしょう? 馬鹿言わないで! 一人で逃げることなんてできるはずない」
そう言っている側から、不浄のモノは、リンフィーナに次々と手を伸ばしてくる。
リンフィーナは武器を携帯していなかった。呪術を使ってでも、アセスを援護しなければ、ーー一食触発の危機が迫っている。
「リンフィーナ言うことを聞いてください。貴方はこのまま、全力で館に走って」
「いやよ!」
拒絶するリンフィーナの足に、更に複数の手が伸びて、湖に引きずり込まれそうになる。
「狙われているのは貴方です」
アセスはリンフィーナを連れて行かれないように湖から引き離して、抱き寄せる。
「今貴方を守るのがサナレスなら、貴方は信じて逃げられるんでしょう? もう少し私を信じて」
こんなことでどうもなったりはしないから、とアセスは苦笑した。
サナレスならどうしていたかなんて、アセスはどうして今聞くのだろうか?
サナレスでもアセスでも、大切な人が自分のために傷つくのを見ていられないのに、アセスはリンフィーナに安心して守らせて欲しいと言っている。
「大丈夫です」
「でも、人ですらないのに……」
「そうですね。何かはわからないけれど、ーー何であろうと、貴方に手出しはさせませんから。貴方の兄が護り手にした男を、もう少し信じてください」
さあ、従って。
サナレスとの約束にかけても、絶対に守るのだと、アセスから強い決意が伝わってくる。
「アセス……」
それでも共にここに居たくて、リンフィーナは動けなかった。
アセスは言った。
「足手まといだと言っている」
厳しい言葉に、リンフィーナは呼吸を止めた。
ここにいるのがサナレス兄様なら、アセスは共に戦っただろう。けれどリンフィーナとは、戦えない。自分は守られるだけの存在。
リンフィーナの暗い思いを直視させるような言葉だった。
「リンフィーナ、私が突破口を作りますから、逃げて!」
アセスを置いて逃げる?
自分一人逃げ出すなんてこと、できる?
胸が潰れてしまいそうなのに、自分がここにいることで掛かっている迷惑を、リンフィーナは考えずには居られなかった。完全に護りに徹して、アセスは動いている。
「アセス、誓って! 兄様に約束したように、私にも誓ってちょうだい。ーー必ず無事に帰るって。決して死んだりしないって!」
「誓います!」
アセスは即答した。
「もし、その約束を守れないようなら、私は兄様に土下座して、貴方の後を追うから。そしてたっぷり愚痴を言うわよ」
「ーーはい」
アセスは驚いたようだったが、微笑んだ。
笑いながら、水月の宮がある方向に立ち塞がる者を、横一文字に両断する。
「さあ、走りなさい。リンフィーナ」
「ええ。誓いを忘れないで!」
そう言ってリンフィーナは、アセスの腕を離れた。
胸が焼け付くように痛む。
この痛みも、自分は生涯忘れることはないだろうと思った。全力で疾走しながら、リンフィーナはぎゅっと目を瞑った。
どうして女などに生まれたのだろう?
どうして皇女という立場なのだろう?
この瞬間にアセスの側にいられるのであれば、小姓の一人でも構わないのに。ーー風の精霊として、人外のモノでも構わないのにーー。
こんな思いは二度とごめんだ。一生ごめんだ!
守られるだけの命なら、いっそ要らない!
何者かが自分を嘲笑っているように感じた。
くすくすくす……。
命を狙われて、守られるだけの自分。
もしもアセスに何かあれば、自分は絶対に、自分を抹消する。
リンフィーナは唇を噛み締めた。
「封じられた魂23」:2020年10月3日




