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浸食
まだらボケがだんだん酷くなってきたような
状態が続く母
そんな生活がなんとか維持しながら
半年も過ぎた頃
家族でレストランにご飯を食べに行った。
あれだけ食べられなかった豚肉を
美味しそうに食べていたのも
少し今思えばヘンだったのかもしれない。
帰り道タクシーで帰ろうと言う僕に
母は風が涼しいから歩いて帰ると言う。
仕方なく付き合いボチボチ歩いて
帰っている最中
僕と優希が信号待ちで止まろうとした時
母はそのまま車の往来の中に歩みだした。
「何してんの!赤やで!」
咄嗟に叫ぶと母は不思議そうに
僕を振り返った。
僕はすぐ道路に入り母を歩道に戻すと
「何やってんの?信号赤やし
車いっぱい来てたやん!」
と再度注意すると
「信号ってなんやった?」
と本当に悪気なく僕に質問した。
その日の夜中、優希の
「おばあちゃん居てないでっ」
と言う慌てた声で目を覚ました。
母の認知症による徘徊の始まりだった。