第十七話:パソコン購入記(後編)
僕は考える――そもそもの話だ。どうして僕の家にパソコンが無いのだろうか。まずそこを考えないといけないのだ。公民館や友人宅、家電量販店でいかにしてインターネットを使わせてもらうかより、どうやって自分の家にパソコンとインターネットを使えるようにするかの方が大事なのではないだろうか。むしろ今までその考えに至らなかったのが恥ずかしい。
そこでだ、僕はもう我慢の限界だ。今日はとことん両親にパソコンを買ってもらうようお願いをしてみようと思う。こんなさすらいの民のような生活は今日で終わりにしてやるんだ。
空はすっかり暗くなってしまった時分。僕は帰宅し、早速お母さんに言ってみようと思ったが、台所で夜の支度をしている最中に声をかけても『ダメよ』と一蹴される可能性が高かったのでここは一歩踏みとどまった。タイミングを考えよう。夜の支度が終わって家族で食事をしている時? いや違う、それとも風呂にからあがってリビングでゆっくりしている時? いやそれも違う……お父さんとお母さんが一緒の部屋にいて、話のしやすい環境――食事以外の時となると、就寝時間が近づいたタイミングだな。
僕はこの時間に狙いを定めることにした。なぜこのタイミングなのか順を追って説明していこう。
まずは両親の性格だ。お父さんの性格は完全に昭和の人間で、パソコンはおろかゲーム機ですら『こんなもの』という人間だ。お父さん的には子供は外で遊ぶべきであり家の中で一日中ゲームばかりやるというのはとても我慢がならないらしく、そういう性格から昔からゲーム一つ買うのにもお父さんを説得させることに苦労したのだ。
対するお母さんの性格は、お父さんに比べかなり穏健派だ。お母さん自身流行り物には目がなく、常に新しい物事を取り入れようとするミーハーな部分があるため、僕の考え方に理解してくれることが多い。だが結局は親からお金を出してもらう以上、お父さんにも納得してもらう必要がある、だからこそ台所でお母さん一人でいる時に話をしても仕方がないのだ。そして性格が相対する両親が一緒にいるタイミングで話を持っていけば、ちょうど中和される形となり、交渉がしやすいのではないかと考えたからだ。そのため、機が熟するのをじっと待つことにする――
午後十時を回った。家族全員がとっくに食事風呂も終え、リビングで就寝時間までゆっくりしているところだった。普段なら僕は自室に行って適当に過ごしているところだったが、今は両親とともにリビングにいるのだった。
「お前がこの時間にここにいるのは珍しいな」
「うん、たまにはね」
異変に気付いたのか、お父さんが僕に話しかけてきたが、その顔はなんだか嬉しそうだった。お父さんは家族団らんをとても大事にする人で、食事や風呂を済ますとすぐ自室に戻ることをいつも良しとせず、大体すぐそれをやってしまうとお父さんの機嫌が悪くなってしまうのだ。
だからいつもとは違い、今夜のお父さんの機嫌は悪くなく、むしろ良い。いい兆候だ。
お母さんもリビングでくつろいでる。そろそろ言い出す時か。緊張で胸がドキドキしてくる。交渉を誤らなければいいが……
「あ、あのさ――ちょっと話があるんだけど」
「ん?」
僕は話を切り出すことにした。お父さんが僕の方に顔を向ける。
「パソコン欲しいんだけど、ダメかな?」
「ダメダメ、パソコンなんてゲーム機と一緒だろ。なんで高い買い物してまでお前にゲームを買ってやらないといけないんだ」
お父さんに一蹴された。やっぱそうなるよな。でもむしろここまでは想定内。ここからが僕の戦いだ。
「でもパソコンはゲーム機とは違うんだよ。勉強でわからないところがあったら調べ物だってできるんだから。それに今は一家に一台パソコンの時代だよ」
僕はお母さんの方にも顔を向けながら話すことにした。お父さんとの個人のやり取りと思わせないためだ。そしてゲーム機とパソコンを違いについて話し、パソコンを持つことのメリットを説くことにした。
「いや、そう言うけどな。お前絶対やらないだろう」
「ぐっ……」
さすが僕の父親。僕の考えを見抜いている。僕が勉強のためにパソコンを買ってほしいだなんて言うはずがないと思っているのだ。
「じゃあさ、何か条件を付けたらいいんじゃないの? 何もなしにパソコン買ってくれというのはそりゃ難しいわね」
ここで援軍――お母さんから鶴の一声がかかった。その言葉にお父さんの厳しい顔つきも少し緩くなっていた。となるとこの条件を上手いこと提示できればクリア出来る可能性があるわけだな。といっても条件か……何か提示できる条件はあるだろうか。なるべく僕がクリアしやすくて、なおかつ両親を納得させられる条件。
「条件……じゃあさ、パソコン買ったら自由研究やるよ! パソコンがあったら調べ物もできるし」
「自由研究ねぇ……」
あれ、あまり効いていないか。お父さんは渋い顔つきをしている。本当にやるのか疑っている眼だ。確かにやるかやらないかと言われたらやらないのが八割を多分超えるだろう。じゃあ、追加で何をやれるか再び考えよう――――あとは成績くらいだろうか。
「じゃあ成績! 一学期末の成績でオール4以上取るよ」
「自信はあるのか?」
「一年生の三学期末で成績が3だったのは四つか三つだったし、この学期でそれを無くせる可能性はあると思うんだ」
「ほう……」
この条件対してお父さんの心が揺らいでいるのがわかった。ここでお母さんからもう一声掛けてくれれば折れる気がするんだ。
そう思い、僕はお母さんの方に視線を向ける。するとその視線を感じ取ったのか、お母さんは『ふぅ』と一息ついて話す。
「そういうことだったらいいんじゃないのお父さん」
「うーん」
お父さんは声を唸らせながら悩んでいた。その反応に対して僕の心臓はドキドキと大きな鼓動を打っている。天国か地獄、どっちに転ぶかひたすら心のなかで神に祈っていたのだ。そして――
「わかった」
この瞬間、引き締めていた僕の顔が一気に緩んでいくのがわかった。声こそあげていないが、心のなかで盛大に『よっしゃー!』という声とガッツポーズをしていたのだった。
「ありがとうお父さん!」
気分は高揚しているが取り乱さないように落ち着いてお父さんに礼を言う。許可は降りたがここでしくじると無効になる可能性だって考えられたからだ。パソコン購入を勝ち取るために今は必死で猫をかぶる。今なら俳優にだってなれそうだ。
「よかったね聖司」
お母さんがニコッと微笑んで僕に声を掛けてくれた。お母さんありがとう、お母さんが助けてくれたから勝利を勝ち取れたようなものだ。
「そうか、この家にもついにパソコンが来るのか……」
実はお父さんもパソコンが来るのを少し楽しみにしていたのではないかと思われる話し方だった。全く頑固親父め、素直じゃないんだから。
こうして僕は家にパソコンを買ってもらえることになり、さすらいの民の生活は終わりを告げることとなった。
翌日、昼にパソコンのことに詳しい親戚と一緒に家電量販店に行きパソコンを見に行った。その時にインターネットの契約も行う事になる。最先端のデスクトップパソコンとパソコンラックを購入、おまけでDVDメディアも何枚か付けてもらった。
そしてその日のうちに設置を行ったが、インターネットの開通だけはもう少し後になるとのことだった。これに関しては仕方がないのでじっくりと待つことにする。今後は家でパソコンがやり放題と思うだけで胸が張り裂けそうな程嬉しかったからだ。ただ、インターネットが通じるまで、さすらいの民は終わりと言いつつ、もう少しだけあの家電量販店のADSL体験コーナーのお世話になろう。そう思ったゴールデンウィークの出来事であった。