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赤い鎖(虚しさ、それから不思議な生き物)

作者: 志賀飛介

むらさき創作小説賞応募作品です。

虚しい、唯々(ただただ)虚しい。


生きることはなぜこんなにも虚しいのだろうか。






「しゅーうちゃん!あーそーぼっ!」

窓の外から少女の声がする。僕は布団の中でもぞもぞと体を動かして窓に背を向けた。

「しゅーうちゃん!」

「…………」

「しゅーうちゃん!」

僕はもう一度体を動かして、今度は窓の方を向いた。相変わらず少女の声が聞こえる。僕は目をこすって枕元においてある時計を確認した。


午前九時


「はぁ……そろそろ起きるか……」

本音を言えばもっと眠っていたいが、休みの日だからといっていつまでも寝ているのもよくない。それにさっきから僕の名前を呼び続けている少女のこともある。僕は立ち上がって窓の方にあるいて行く。カーテンを開けると隣の家の窓から少女が一人顔を覗かせていた。

「あ、しゅうちゃん!そっち行くから窓開けといて!」

そう言うと少女は部屋の中に消える。またかと思いつつも、僕は言われたとおり窓を開ける。しばらくして少女が分厚い木の板をこちら側へ渡してきた。そしてその板の端が僕の家の側にかかったことを確認すると、彼女は板を渡ってこちら側へ移動し始めた。ちなみに僕の部屋は一軒家の二階である。

「気をつけろよ、千夏ちなつ

「大丈夫だよ、秋ちゃん」

その言葉通り、彼女は慣れた様子で板を渡ってくる。彼女の名前は千夏、僕の幼馴染みだ。僕らは小さい頃から兄妹同然に育ち、高校も同じ。今でもこうして互いの家を行き来している。もちろん僕はちゃんと玄関から入るが。

「到着!」

無事千夏が渡りきった事を確認し、僕は板を回収しようとする。

「あ、いいよ。またすぐ戻るし」

「え?すぐ戻るなら来なくてよかったんじゃないの?」

「えー?ひどーい」

そう言いつつ千夏は嬉しそうな顔をしていた。

「それよりさ、今日あたしの家でゲームしない?」

「ゲーム?昨日したじゃん」

僕がそう言うと千夏はプクッと頬を膨らませた。

「だって昨日は秋ちゃんの圧勝だったじゃん!リベンジだよ、リベンジ!」

まあ、どうせ今日も僕の圧勝だろうなぁ、と思った。千夏は超がつくほどゲームが苦手だ。そして超がつくほど負けず嫌いなのである。そのため対戦成績は僕の方が圧倒的に上回っている。だが、千夏は自分が負けても「秋ちゃん強すぎ~」と笑ってくれるので、僕は千夏とゲームをするのがいつも楽しかった。

「いいよ、朝ご飯食べたらすぐ行く」

僕がそう言うと千夏の顔がパッと明るくなる。

「ほんと?やった!あ、そうだ。お菓子切らしちゃったから買ってきてよ。あたしお昼ご飯作ってあげるから」

「おっけー」


千夏が自分の家に帰った後、僕は一階に降りてリビングへ向かった。誰もいないリビング。テーブルの上にカップラーメンと置き手紙が置いてある。


ごめん、また寝坊した。朝ご飯はこれで勘弁してください。 母


僕の母親は朝が弱い。そのため朝はこうしてカップ麺と置き手紙だけを置いてばたばたと仕事に行くことが多い。今でこそ千夏や、僕自身も朝食程度なら作れるようになったが、もっと小さい頃は千夏と並んでカップ麺をすすったこともしばしばだった。僕は懐かしい記憶を思い出しながらやかんに水を入れて火に掛ける。


父親はいない。僕が小さい頃に出て行った。母親曰く、仕事もせずに飲んだくれるひどい父親だったらしい。ギャンブルに手を出し始めたので母の方から追い出したそうだ。父親がいなくて寂しくないと言えば嘘になるが、記憶がないこととどうしようもない男だったという母の話が救いになっていた。そしてもう一つ、千夏の存在が大きかったのだと思う。実は千夏の母親は彼女を産んですぐ病死している。それが、僕と千夏が兄妹のように育った要因の一つでもある。互いに片親で、それぞれの親が仕事に出ている日中はどちらかの家に二人きりだったのだ。


きっと、僕は恵まれているのだと思う。


ピーッ!


やかんが音を立てる。僕は火を止め、カップのふたを開けスープとかやくを取り出す。かやくを入れてまだ少しブクブクと煮立つ熱湯を注げばあと三分だ。


カップラーメンを食べ終えた僕はお菓子を買いにいつものコンビニへ出かけた。僕が小さい頃からある行き慣れたコンビニだ。だが、ここ最近は特に足繁く通っている。

「いらっしゃいませー」

女性の声。いた、今日もいた。最近入ったバイトの女性。年齢はおそらく僕より少し上、大学生ぐらいだろう。僕は彼女に会うためにこのコンビニを訪れている。いや、彼女の顔を見るため、と言った方がいいだろうか。僕は千夏の好きなチョコシューとジュースを二本取るとレジに置いた。初めて見たときよりも慣れた様子でレジを通す店員。そして、

「三点で424円になります!」

これだ、この笑顔だ、僕が見たかったのは。僕は笑顔があまり好きではない。だが、どこか懐かしさを感じる彼女の笑顔は無性に好きだった。何か嫌なことがあった日も彼女の笑顔を見ると不思議と心が晴れるのだ。今日は……特に嫌なことがあったわけではないのだが。


コンビニを出るとそのまま千夏の家に向かった。玄関のチャイムを鳴らして数秒後、勢いよくドアが開いて千夏が顔を覗かせた。

「秋ちゃん!待ってたよー!上がって上がって!」

千夏に即されて僕は家の中に入る。

「お菓子何買ってきたの?」

「チョコシュー」

「やったね!後で食べよ」






虚しい、唯々虚しい。

生きることはなぜこんなにも虚しいのだろうか。






結局ゲームは僕の圧勝だった。でも千夏は笑っていた。

「また負けちゃった~」

「でも最後のはちょっと惜しかったよ。なんか、昨日より上手くなってる気がしたし」

僕がそう言うと千夏は嬉しそうに僕の顔を見る。

「やっぱり!?実はあたし、昨日秋ちゃんが帰った後練習したんだよね~。コマンド覚えようと思って」

「それでか。コンボもいくつか決まってたし、そのうち僕にも勝てるようになるよ」

「ほんと?じゃあもっと練習しなきゃ」


それから二人、向かいあって千夏の作ったオムライスを食べる。千夏は美味しそうに赤いケチャップライスと黄色い卵を頬張る。そして同じようにモグモグと口を動かす僕に向かって尋ねた。

「美味しい?」

「うん」

「そっか、よかった」






虚しい、唯々虚しい。

生きることはなぜこんなにも虚しいのだろうか。






お昼を食べて、また僕と千夏はゲームの続きをした。千夏はチョコシューを食べたから今度は勝てそうな気がすると言っていたが、結局僕の圧勝だった。でも千夏は笑っていた。釣られて僕も笑った。


夕方、僕が自分の家に帰ろうとしたら千夏がモジモジと何かを言いたそうにしている。僕がどうしたのと尋ねると、千夏は少し恥ずかしそうに答えた。

「今晩さ、秋ちゃんで一緒に夜ご飯食べようっておばさんと話してたんだけど……どうかな?」

「いいんじゃない?また作ってくれるの?」

「うん。お魚とか、材料は持って行くから」

僕の母親も、千夏の父親も仕事で遅くなることが多いので、こういうことはよくあるのだ。だからこそ千夏が言いにくそうにしているのが少し不思議だった。それに魚ってことは、こうなることが分かっていてあらかじめ用意していたのだろうか?いや、今日僕がコンビニに行っている間に買いに行ったとも考えられる。どうも千夏が何か隠しているような気がしたが、僕は特に気に止めずに言った。

「そうなんだ。じゃあ僕も何か手伝うよ。あんまり力にはなれないと思うけど」

「手伝ってくれるんだ!ありがと!」


そして、その夜のこと。


「やっぱり千夏ちゃんは料理が上手ね」

僕の母がそう言うと、千夏は「そんなことないです」と照れた。

「そんなことあるわよ。ね、秋もそう思うでしょう?」

「え?ああ、そうだね」

いきなり話を振られて僕は慌てて答えた。すると母は千夏の父親に目配せをして頷き合う。千夏はモジモジと俯いていた。何かただならぬ空気を感じ、僕は身構える。やがて母が僕に向かって切り出した。

「秋、実は秋に話さないといけないことがあるの」

「な、なに?」

そこで母は一呼吸置く。

「私たち、私と千夏ちゃんのお父さんね、再婚しようと思うの」

一瞬、その意味が飲み込めずにポカンとしてしまった。が、すぐに理解すると僕は母に確認する。

「つまり……僕と千夏が兄妹になるって事?」

「そう、千夏ちゃんが秋のお姉ちゃんになるってこと」

僕と千夏は同い年だが、千夏の方が三ヶ月ほど速く産まれているので正確に言えばそうなる。まあ僕にとっては妹のような存在だが。いや、今考えるべきなのはそんなことじゃない。僕の母と千夏の父が再婚する。つまり僕ら四人が家族になるということだ。

「いずれはどちらかの家に四人で暮らしたいんだけど、まだその辺のことは決めてない……というか、再婚することも正式に決めたわけじゃないんだけど…………」

そこで母は言葉を切って、僕の目を見つめる。

「秋が認めてくれたら、前向きに検討したいと思ってるの」

千夏の父親も頷く。

「千夏は……どう思ってるの?」

僕はさっきから恥ずかしそうに俯いている千夏に尋ねた。

「秋ちゃんがいいなら……」

どうやら千夏はこの件について一足先に聞いていたらしい。まさか僕の知らないところでこんな話が進んでいたとは。しかし、昔から家族ぐるみで、というか家族のように付き合ってきただけに納得のいくものがあった。

「いいんじゃ……ないかな」

僕がそう言うと三人の顔がパッと明るくなる。緊張が解けて場の空気が一気に軽くなった。

「ほんと?あたし、秋ちゃんのお姉ちゃんになってもいいの?」

「なるとしたら妹だろ?」

「なんでよ~!」

むくれる千夏。そういう所が妹っぽいんだよなぁと僕は思う。父と母は笑っていた。






虚しい、唯々虚しい。

生きることはなぜこんなにも虚しいのだろうか。






今日は疲れたからと言って僕は早々に自分の部屋に引き上げた。別に疲れていたわけではなかった。一階から三人の笑い声が聞こえる。虚しい。


「末期だな」


「!?」

突然声が聞こえてきて僕の心臓が跳ね上がる。男の声だ。そしてその声は、確かにこの部屋の中、さらに言えば僕の後ろから聞こえた。僕の後ろに誰かがいる。もちろん僕じゃない、家族の誰かでもない、見知らぬ誰かがいる。男は深海のように暗く冷たい声をしていた。体が凍り付く。が、僕は意を決して振り返った。

「すまんね、突然現れたりして。それが仕事みたいなもんなんで」

そこにいたのは…………なんと言えばいいのか、スーツ姿の男だった。普通の、どこにでもいそうなスーツ姿の男。年齢は三十代に見える。あまりにもありきたりな見た目をしているので、どこかですれ違ったかと錯覚したほどだ。しかし、見知らぬ男がこの部屋にいるという状況は異様なほど不気味だった。

「なるほど。もって一週間といったところか」

男は値踏みするように僕の体を眺め回す。とりわけ、首のあたりを重点的に。

「……一週間って何だよ」

僕がそう言うと男は少し驚いたように目を開いた。

「ほう、意外と冷静だな。いや、失礼。パニックを起こす人間も多いのでね。一週間というのは、君があと一週間ほどで死ぬって事だ」

「死ぬ?」

「そうだ、君は近いうちに自殺する」

自殺、という言葉にはっとする。が、すぐに思い直した。

「何でそんなこと分かるんだよ」

「赤い鎖さ。自殺を考えている人間の首には赤い鎖が掛かる。君の首にもしっかりと掛かっているよ」


そうだ。


僕の首には赤い鎖が掛かっている。いつも見ていた。鏡に、ガラス窓に、ステンレスの調理器具に。そこに映る僕の首にはしっかりと赤い鎖がかかっていた。


…………いや、何を考えてるんだ僕は。そんなものは映っていなかった。男は無表情で僕を見据えている。

「第一、僕には死ぬ理由がない。今日だって、千夏と遊んで、みんなとご飯を食べた」

「でも虚しかった」

男は続けた。

「だいたい君は自分のことを普通の人間だと思っているようだが違う」

「僕は普通だ」

「じゃあ聞くが、父親はいるのか?友達は?千夏以外に仲のいい人間がいるのか?」

男の言葉に僕は口をつぐむ。

「君は普通じゃなかったんだよ、ずっとね。幸せじゃなくて、幸せだと思い込んでいたんだ。だからこそ虚しかった。でも、人間とは多かれ少なかれそういうものだ。誰もが虚しさを抱えていて、それを見て見ぬ振りして生きている。だからこそ周りから見れば、その人がある日突然自殺しているように感じられるんだ」

僕は何も言えなかった。ただ、何かに取り憑かれたようにその場から動けなかった。しばらくして誰かが階段を上ってくる音が聞こえてきた。僕の名前を呼ぶ声も聞こえる。千夏の声だ。

「おっと、そろそろ行かなくてはいけないようだ」

そう言うと男はきびすを返す。が、何かを思い出したように立ち止まった。

「そういえば名乗っていなかったね。さっきも仕事がどうとか言ったと思うけど、僕の正体はいわゆる…………」

男は無表情のまま言った。

「死神だ」


「秋ちゃん?寝てるの-?」

ドアが開く。

「秋ちゃん……?」

後ろから千夏が近づいてくるのが分かる。だが僕の体はまだ動かないままだ。

「どうしたの…………え!?秋ちゃん!?」

僕の顔を覗き込んで、千夏は目を見張る。そんなに僕の顔が恐ろしかったのだろうか。千夏の目は何か化け物でも見たかのように怯えた色をしていた。

「何かあったの?大丈夫!?」

千夏は僕の体を掴む。その瞬間体に自分の意思が戻ってきた。僕は肺の中に溜まっていた空気を吐きだし、膝に手をつく。心臓が痛いほど脈打っていた。

「ごめん、大丈夫……。ちょっと……散歩してくるね」

「え?あ、うん。気をつけてね?」

心配そうに言う千夏に背を向けて僕は部屋を出た。リビングから僕の母親と千夏の父親の話し声が聞こえた。いや、僕の両親と言うべきなんだろうか。どちらにせよ、今はどうでもいい。とにかく外に出たい。そうだ、あのコンビニに行こう。彼女の笑顔を見たら気分が晴れるかも知れない。虚しい気持ちが少しでも和らぐかも知れない。






コンビニに行く途中にある公園に人だかりが出来ていた。


特に気にしてみていたわけじゃないが、人だかりの隙間から見てしまった。


公園の遊具で首を吊っている人を。


公園の遊具で首を吊っているコンビニ店員を。


公園の遊具で首を吊っているあの笑顔の素敵なコンビニ店員を。


僕はそれほど視力がいいわけではないはずなのにはっきりと見えた。


失禁の跡、不自然に伸びた首、そして首を掻きむしった後。


鮮明に見えた。






しばらく僕は、その場に呆然と突っ立っていた。どこからか救急車とパトカーがやって来て、救急隊員が彼女の体を運ぶ。パトカーから降りた警察官は、通報者と思われる年配の女性に話を聞いていた。年配の女性はどこか興奮気味にその時の状況を語る。警察官は無表情でそれを聞く。救急車の扉が閉まった。救急車で運ばれるということはまだ助かる見込みがあるのだろうか。いや、そんなはずはない。だって彼女は自殺したのだから。


自殺。


走り去る赤いランプを見つめながら僕は彼女のことを思った。おそらくもう二度と見ることはないであろう彼女の笑顔を。思えば今日の午前中にコンビニに行ったとき、彼女は笑顔だった。とてもこれから自殺しようと考えているようには見えなかった。


『誰もが虚しさを抱えていて、それを見て見ぬ振りして生きている。だからこそ周りから見れば、その人がある日突然自殺しているように感じられるんだ』


ふと、死神の言葉を思い出す。だとしたら彼女も、あんなに元気そうだった彼女も、人知れず虚しさを抱えていたのだろうか。あの時から既に、赤い鎖が首に掛かっていたのだろうか。分からない。分からないけど確実に言えるのは、彼女は死ぬべきではなかったと言うことだ。少なくとも彼女の笑顔は僕の虚しさを癒やしてくれた。彼女は少なくとも僕を救っていた。だから彼女は生きていてもよかったはずだ。本来死ぬべきだったのは、あの遊具で首を吊っているはずだったのはそう…………


僕だ。



◇         ◆         ◇         ◆



人間とは不思議な生き物である。時に自らの手でその命を絶つ事がある。そしてそれを、たいそうなことのように言う。生きることに意味などないのと同じように、死ぬことにも意味などない。というか、もとより存在そのものに意味などないのだ。たまたまそこにあっただけ。だから生を選ぶも死を選ぶも特に違いはないのである。それなのに人間は自殺するかどうかで長い時間悩み、誰かが自殺すれば騒ぐ。実に不思議である。


また、人間は自己中心的な生き物である。不特定多数に向けられたものを、あたかも自分に向けられたものであるかのように感じている。あの少年もそうだ。コンビニ店員が笑顔で接客するのは当たり前なのに、少年はそれを特別なことのように思っていた。確かに客にとっては一人のコンビニ店員かも知れないが、店員にとってはたくさんいる客のうちの一人だ。当然他の客にも同じように接しているはずだし、少年のことなど記憶にすら残らないかも知れない。まあ、他のコンビニ店員と比べれば彼女の方がにこやかだったかも知れないが、それは単に彼女がマニュアルに忠実だっただけで、特別なことなど何もなかったのだ。さらに言えばその真面目な性格が彼女を自殺に追いやったのだが。少年を癒やしていた笑顔が彼女が自殺した要因の一つに関連していたとは何とも皮肉なことである。


まあ、別にどうでもいいことだ。私の仕事は赤い鎖を首に掛けた人間を見つけて観察すること、それだけだ。コンビニ店員の女が死んだので早く報告書にまとめなければ。少し面倒くさいが仕事なので仕方がない。あの少年もそう長くはないだろうから、そろそろ次の対象を探しに行くか。



◇         ◆         ◇         ◆



ふと気付くと、僕は呆然と公園の前に立っていた。さっきまで公園の周りを取り囲んでいた警察や野次馬もいなくなっており、騒がしかった公園はいつもの閑散とした公園に戻っていた。時刻は分からない、ただ日が暮れた頃のように薄暗かった。


…………おかしい。


正確な時間は分からないが、この公園に来たときにはもう真っ暗だったはずだ。それに、ほんの今まであんなに騒がしかった公園がまるで何もなかったかのように閑散としているのはおかしい。

「何が起こったんだ……?ついさっきまでそこで……」

僕はそう呟いて目の前の遊具を見る。ついさっきまでそこで彼女が首を吊っていた。でも本当に死ぬべきなのは彼女じゃなくて…………


そこで僕は遊具に何かぶら下がっているのを見つけた。ロープだ。そしてそのロープの先は輪っかになっている。

「なるほど……そういうことか」

僕は小さく笑った。本来この場所で首を吊るはずだったのは彼女ではなく僕だった。僕はこの公園のそばを通る度に思っていた。この遊具で首を吊ろうと。だから今僕がここにいるというのは、あそこで首を吊るためなのだろう。僕はそう納得して、歩き出した。遊具がどんどん近づいてくるとぶら下がっているロープの形がくっきりと見え始める。とても丈夫そうだ。あのロープで……僕は……首を…………


「秋ちゃん!」


突然後ろから千夏の声が聞こえて僕は我に返る。途端に目の前にあったはずの遊具が消えた。代わりにすぐそばから波の音が聞こえる。潮の匂いも。海……なのか?

「秋ちゃん!」

すぐ後ろで千夏の声がしたかと思うと、後ろから手が伸びてきて僕の体を抱き寄せる。そのまま僕は後ろに倒れた。しばらくは呆然としていたが、頭が冷静さを取り戻すにつれて徐々に状況を把握し始めた。暗くてよく分からないが、僕は今、海に張り出した堤防の先端にいるらしい。すぐ目の前はもう海だ。あと一歩、いや、半歩でも前に出ていたら僕は海に落ちていただろう。それを千夏が抱き寄せてくれたのだ。

「……ちなつ……」

僕は絞り出すように名前を呼んだ。

「秋ちゃん……」

千夏は僕を抱きしめる手にギュッと力を込める。

「もう……大丈夫だよ」

「だめ!」

背中におでこを寄せているのだろうか。背中から僕の体に千夏の声が響く。

「ごめん……僕……何も分からないんだ。僕はどうしてここに…………千夏はどうして……」

僕は混乱していた。さっきまで公園にいたはずなのに今は海にいるし、家を出たときにはもう夜だったのに、一度夕方になって今はまた夜だ。それに……。僕は前を見る。暗い暗い海が広がっている。僕はここに飛び込もうとしていた。さっきは公園の遊具で首を…………。

「謝るのはあたしの方だよ……ごめんね……?」

「千夏……?」

背中越しに千夏が泣いているのが分かった。声を押し殺して泣く千夏の振動が僕にも伝わってきたのだ。

「あたし、ほんとは気付いてたの。いつの頃からか、秋ちゃんの笑顔がぎこちなくなったことに。たぶん、誰にも話せない何かを一人で抱えてるんだろうなぁって。でも……下手に触ったら秋ちゃんを傷つけちゃうかも知れないからって……怖くて何もしてあげられなかったの…………。それで今日も……」

「千夏は悪くない」

僕はそう言ったが千夏は返事をせずに続けた。

「秋ちゃんさ、何か嫌なことがあったときはいつもあそこのコンビニに行くでしょ?あの……バイトの女の子に会いに」

「…………うん。気付いてたんだ」

「幼馴染みだもん、それぐらい分かるよ」

千夏はそう言って笑った。実際に見たわけではないがそう思った。しばらく二人は黙って波の音を聞いていた。不意にまた千夏が口を開く。

「帰りが遅かったから、心配になって、それで、あのコンビニにいるんじゃないかと思って行こうとしたら……公園の前が騒がしくて…………あの子が首を吊ってたって…………。でも秋ちゃんの姿がなくて、近くにいた人に聞いたら、何か鬼気迫る表情の男の子が海の方に歩いて行ったって教えてくれて…………」

千夏は途切れ途切れにここまで来た経緯を話した。近くにいた人というのはあの興奮気味に状況を説明していた年配の女性だろうか。それとも無表情の警察官か、あるいはひそひそと何かを話す野次馬達だろうか。分からない。そもそも僕はどこをどうやってここまで来たのだろうか。千夏はなぜ海の方という情報だけでここにたどり着けたのだろうか。

「どうして、千夏はここに僕がいるって分かったの?」

「秋ちゃんは覚えてないかな?あたし達小さい頃よく、二人でここに来てたの。危ないから二人だけで行っちゃダメって言われてたんだけど、あたしがどうしてもって駄々をこねて……、それで秋ちゃんがこっそり連れてきてくれたんだよ?」

そうか……。


夏、海、空と雲と蝉の声。そして、千夏の笑顔。


僕の頭に鮮やかな感覚が蘇る。そうだ、僕と千夏はよくこの場所に来ていた。思い出の場所だったのだ。だから無意識の状態でもここに来ることが出来たのだろう。そしてもう一つ、思い出したことがある。千夏の笑顔だ。僕が寂しいときも、嬉しいときも、ずっと隣にいた笑顔。いつからか僕が見逃すようになったその笑顔を、僕はあのコンビニ店員に投影してたんだろう。だから僕は彼女に惹かれていたのだろう。


忘れていたことを思い出して、僕の中で何かが繋がった。しかし、霧が晴れたそこにはまだ、得体の知れない何かがいた。言いようのない何かが僕を見下ろしていた。暗い、うろのような何かが、今にも僕を飲み込もうとしていた。

「ごめん千夏……。やっぱりまだ分からないんだ。何も分からない……。僕がなんで死のうとしたのか、どういう気持ちなのか、分からないんだ…………分からないんだよ…………」

すると千夏は僕の体を抱きしめていた手をとき、人差し指で僕の目元を拭う。そのとき初めて、僕は自分が泣いていると分かった。

「分からなくていいよ。無理に言葉にしようとしなくていい。あたしは秋ちゃんが何かを抱えることを知ってるし、秋ちゃんがつらいときは助けてあげたいと思う。でも秋ちゃんが助けを求めてないときは絶対に手出ししない。その代わり、そばにいて欲しいときは必ずそばにいるから」

「…………あり……がとう」






それからのことはよく覚えてない。千夏から親達には話してくれたみたいだが、どちらも特にその話をする事もなく、今まで通り接してくれた。再婚の話、特に家をどうするかに関してはもう少し話し合われることになったが、親達は2・3年中に時期を見て籍を入れたいと話していて、千夏や僕もそれに賛成している。千夏と僕は変わらずに高校に通っている。実は僕の方に少し進展があったのだが…………それは恥ずかしいので黙っておく。夢、というか、ずっとやりたかったことなのだが、千夏も賛成してくれたので小遣いをはたいて買ったのだ。それがこれからどうなるのかは分からないが、いい方向に運べばいいなぁと思っている。



◇         ◆         ◇         ◆



人間とはか弱い生き物である。時に自らの手でその命を絶つ事がある。また、人間とは不思議な生き物である。今にも死にそうな弱った人間が、あるきっかけで突然回復したりする。私はステージで歌う少年を見て思った。その少年は街のとある酒場で歌っていた。あの、今にも死にそうな目をしていた少年だ。私が彼の前に現れてからもう3年ほどが経っていた。彼は高校を卒業すると就職も進学もせず、フリーターになった。歌う道を選んだのだ。あの時私は一週間も持たないと予想したが、彼はその予想を大きく超えて今日まで生き続けてきた。しかし私は、あの時の予想が間違っていたとは思っていない。現に彼の首には、今でもあの赤い鎖がしっかりと掛かっている。つまり今でも言いようのない何かを胸に宿しているはずなのだ。だが、彼はそれを受け入れて見せた。伝えようのない感情を歌にして見せたのだ。全く、人間とは不思議な生き物である。


私は酒を一口飲むとフゥと一つ息を吐いた。赤い鎖が消えないためずっと調査を継続してきたが、これはもう中止にしてもいいかもしれない。報告書には『今後も自殺の線は薄いと思われるので調査は中止』とでも書いておけばいい。私はもう一口酒を飲むと、今度はステージに目を向けた。正直売れるとはとうてい思えないほど淀んだ曲だったが、それを歌う彼の顔はこっちがそういった判断を下すことすらためらわれるほど真っ直ぐだった。そしてそれを見つめる例の幼馴染み。彼女の首にもまた赤い鎖が掛かっていたのだが、彼女もずっとその鎖と共に生き続けている。赤い鎖を首に掛けた者同士が互いに寄りかかりながら生きているという何とも脆い関係だ。しかし、それでも生きていることに変わりはない。少年が自殺して、少女もそれに続いて、報告書を書き終えたら次の街に行くという当初の計画は崩れてしまったが、これはこれで面白いものを見せて貰った。これから二人がどの様な人生を歩むのか、是非とも最後まで観察してみたいところだが、むやみに他人の人生を覗き見るのはよろしくない。まあ気になったら結果だけ見ればいい。いや、それはそれで無粋か。どちらにせよ、私は今回の件を上に報告して次の街に行くことにしよう。


私は鞄から調査報告書を取り出すと、確認しながらページをめくっていく。見落としはない。後はこれを持って行けば…………と、そこで私はふと思いついて、最後のページをめくった。そして胸ポケットからペンを取り出すとこう書き加えた。






『人間とは思いの外強い生き物である。』






ありがとうございます。こんな長い短編は初めて書きました。意外と書けるもんですね。


前書きにも書きましたが【むらさき創作小説賞】というのに応募する用に書きました。

簡単にどういうものか説明しますと、村崎紗月さんという方が書かれた『赤い鎖』という歌詞、またその曲を下に小説を書こうというものです。


で、曲を下に短編を書くに当たってどういう感じで書いていこうかと悩んだ結果、僕はあえて、曲の世界観をどう崩していくかというところに重点を置くことにしました。そこで思いついたのが『幼馴染み』と『死神』です。まず、幼馴染みが隣に住んでるという超ラノベ設定をいきなりぶっ込んで、その後死神という異界の存在で追い打ちを掛けるというなんともひどい作戦ですよ。いやぁ、我ながらひどい。


要は自分の色を出したかったんですね。自分の曲をもとに色んな人に小説を書いて貰うというのはそういうことなのではないかと思って。でもあくまで赤い鎖であるように、その辺には注意したつもりですが、予想以上に乗ってしまいましたね……。まぁ、これも一つの世界観として見ていただければ幸いです。

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[良い点] 落差のある物語として提供ができている点はよかったと思います。 [気になる点] ・最後の歌手の件はちょっと唐突だったかなぁ。わたしもどのように設定に組み込むか悩んでいたので、気持ちはわかりま…
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