封印されし記憶
開講式が『無事』、『何事』もなくごく『普通』に終わった後。俺達が職員に引率されてやってきたのは想像通りのグラウンドだ。赤土色の地面には陸上競技のトラックと同じく八つのレーンがあり、寸分狂いもなく正確に楕円状に広がっている。
「ふふっこの召喚陣のようなデザイン。嫌いじゃあないよ……君を召喚したときを思い出すなぁ」
俺がボーっと景色を眺めている中、着替えから戻ってきた泪が何時もの調子で話しかけてきた。こいつ、さっきあんな事を仕出かしておいて平常運転出来るとは……切り替えが早いというか、図太いというか。
まぁ俺は泪に召喚された憶えがないしそれに先程何があったのか全くこれっぽっちも記憶にないので特に話す用事もない。しかしツッコミ所というのはどうしてもあって。
「どうしたのその格好?」
俺は着替えて着た泪を見ながら言う。白地に油性で『マルコシアス』と書かれた袖口が青色のシャツ、そして袖口と同じ色をしているブルマは何処からどう見ても旧式の体操着にしか見えない。
「どうした、というのはこれを着ることになった経緯のことかい?」
「いや、そんな訳ないだろ。どうして俺や他の奴らは同じ格好なのにお前だけ毎度違うのかを聞いてるんだよ」
なんでこいつは自分の痴態を自ら語ろうとしてるんだ。罪や過ちが格好良いと思っているのは別に構わないがベクトルが違い過ぎるぞ。
「ああ、この服装のことか……ふふっそうだな。理由を挙げるのなら二つ、この服が僕に着て欲しいとせがんだから。もう一つはそう、『お約束』という奴さ。因みに着替えるとき尻尾はどうしているのかという質問の答えも『お約束』としか言えない」
予め考えていたような回答を述べた後、決まったと言わんばかりのキメ顔をして都合よく出来ているブルマから出ている尻尾を上下に振った。
分かった。あれだ、こいつきっと駄々こねて私服を何着か持ってきてるんだろ。でないと体操着はおろかあんな一昔前のロックスターのような格好でここに来れる訳がない。つか規律を正すのが目的の場所で駄々が罷り通るのなら俺もこねて帰ろうかな。多田だけに。
「う゛っ!」
しょうもない親父ギャグを心の中で唱えてしまったゆえ、記憶の奥底に封印していた過去のトラウマが蘇り俺は顔を顰めてしまった。くそっ! 今思い出してもあの時の自分をぶん殴ってやりたいっ!
「どうしたんだい? そんな急に顔を顰めて。はっ! まさか君も他人とは異なる才能、『異能』に覚醒めてしまったのかっ!?」
「いいや、違うから。そんなんじゃないから放っておいてくれ。ちょっと古傷が痛んだだけだから」
「え? 古傷があるのかい? その、ちょっとでもいいから見せて貰っても……」
「俺のワードチョイスが悪かったな。それは謝るから黙っててくれ」
トラウマから生じる鈍い痛みに加えツンツンと小突かれたような鬱陶しさが更に俺の顔を歪める。腹痛もしてきた気がするしもうほんと、帰りたい。
「ケケケッおーい、どうしたぁ崇? ビビッて具合でも悪くなったのか? なんなら俺が職員にいって休ませて貰おうか?」
そんな中、いかにも小物感がする引き笑いとともに登場したお漏らしビリーが馴れ馴れしく俺の肩に自分の肘を置いてきた。お前、ちゃんと手は洗ってきたんだろうな?
「だから俺は大丈夫だから気にすんなって。つかお前何で俺の名前知ってんだよ教えた覚えないぞ」
俺はそう言った後で手を上着の袖に入れ、ビリーの手を払い除けた。
「何で知ってるかって? そりゃあ聞いたからよ。そこに居る俺の新しい友達からよぉ」
「ふふっ友達、か。悪くない響きだが僕達の友情はそんなもんじゃあないだろ?親友よ」
「ケケっ違いねぇや」
ビリーが右拳を突き出し、泪も拳を上げお互いにそれをぶつける。コツンと骨が合わさる音がピリオド代わりになり、この茶番は一旦幕を閉じた。
同じ難関や試練を共に乗り越えて友情が芽生える。まぁありがちと言えばありがちな話だがお前らあんな仕様もないことでいいのか?
「全員注目っ!!!」
謎の友情が結託した所でその友情が芽生える原因を作った声がグラウンド中に響き渡る。
発生源を見れば教官が表彰台のような形をした台の一番上で仁王立ちをしていた。そこにはマイクスタンド等置いておらずどうやら肉声であれだけ大きい声を出せるようだ……だったらさっきもマイク使う必要なかっただろ絶対。
そんな教官は台の上から俺達を一人一人睨み付けるように眺めた後、最後尾に並んでいる俺にまで聞こえてくる程大きく息を吸い込んでから。
「ただ今より基礎体力訓練を開始するっ! まずはこのトラックを二周歩きウォーミングアップをしてからジョギングで五十周してもらう。合計五十二周の二十キロ八百メートルっ! 下位三名は昼飯抜きだっ!」
耳が痛くなるような大声に内容。当然グラウンド内はどよめくがそれすらも教官は一喝して黙らせる。
二十キロ走るなんてのは陸上の長距離選手や駅伝の選手がトレーニングで走る距離であって普段運動をしない俺には到底走りきることが出来る距離ではない。本当にお腹が痛くなってきた。
そして昼飯抜きというペナルティ付きとくれば尚更だ。二十キロ走り終えた後に飯が食べられるか否かは置いておくとして何故三名だなんて限定するんだ? 絶対俺達の事だよなそれ? 二人は良いとしてなんで俺まで厄介者にカウントされてるんだよ。
「二十キロ、か。僕の健脚ぶりを知らしめるのには丁度いい距離だね」
「俺もよぉ、駆けっこには自身があってよぉ。小学校の時リレーの補欠の補欠まで入ったことがあるんだぜ」
俺がもう既にグロッキー状態にも関わらずやる気満々なビリーと泪。補欠の補欠って実質何も大したことないからなそれ。
「それでは全員トラックの中に入れっ!!!」
教官が号令をした後、職員達がまたもぞろぞろ集まってきて俺達を先導し始める。ここまで来てしまえばもう抜ける訳にもいかず、俺は成るがままに足を進めることしか出来なかった。
まぁ考えてみればどれだけ遅く走ろうが下位三名に入らなければ良いのだ。もう二名は確定しているようなものなので後一人より先にゴールすればいい。
幾ら悪魔と言えど流石にこの距離を走れる奴なんて早々居ないだろう…………。
「はぁー、ったく昨日整備したばっかりなのにチェーンイカれたらどうすんだよ」
「我輩もタイヤを新調したばかりなのに磨り減ってしまうでござる……」
「――俺は悪魔だッ」
俺がカモを探す為に辺りを見渡していると両脚が戦車のキャタピラなトカゲ顔の奴、下半身が一輪車の奴、そしてヤバそうな気を放っている筋骨隆々の男がお喋りをしながらそれぞれ特徴的な足音を鳴らして歩いている姿を発見してしまった…………最後の奴なんかはキュピッキュピッなどと赤ちゃんが履く玩具の靴のような音を出している。どんな靴履いてるんだよお前は。
そんな面子を見て俺はもう走り終えた時に生じる特有の吐き気が催してくる。こんな連中相手に勝つとか絶対無理だろ……。
「ケッなぁにショボい顔してんだよっ」
そんな時ビリーが不意に俺の腰を叩き、そして何とも清々しい顔で俺に笑いかけてくる。何でお前はそんな余裕そうなんだよ。最下位の最有力候補なんだぞ。
「そうだよ崇。こういう時は笑うんだ。この僕達の凄さを他の悪魔や教官に披露出来るんだ。皆の驚く姿を想像するだけで心臓の高鳴りが止まらないよ」
ビリー、俺と横一列に並んでその隣に泪も位置につく。彼女が眼前に並ぶ悪魔達を見据えながらニヒルに笑った。
「けどお前大丈夫なのか? 運動とか苦手そうだけど……」
俺は健脚と呼ぶにはか細く、白肌と呼ぶには少しばかり不健康的な青白い泪に訊ねる。
「ふふっ大丈夫、問題ないよ。僕にはとっておきの『秘策』があるんだからね」
「う゛っ!!!」
頭蓋骨に釘を打たれ骨に亀裂が生じた程の頭痛が俺を襲い一瞬意識を失いかけそうになる。この状況でこの手の馬鹿が発する『秘策』ってのはまさか……。
「それでは基礎体力訓練スタートだっ! 位置について、よーい……キエェェェエエエエエエエエっ!!!」
最早モチ芸の一つになっている教官の叫び声と共に地獄の二十キロ走が始まり各自嫌々ながらも歩き始める。
俺は教官に対してまともにツッコミを入れる余裕すらない程コンディションが悪いがそれでも秘策が外れることだけは切実に願い、一歩、また一歩と歩みを進めるのであった。




