お漏らしビリー
俺が泪を背負い歩くこと幾分、たどり着いた突き当たりには前後で開閉するタイプの黒く、重厚そうな扉がどっしりと構えていた。
「これより開講式が始まる。貴様ら二人は先へ行き列の最後尾に着け。いいな」
教官はそう言った後で俺達の後ろに回り、また気をつけの姿勢になる。どうやら俺達が中に入るまで見張っているつもりらしい。
開講式……このワードだけを聞くと晴れやかで清々しい気分になりそうだが此処に転送された際に目覚めた牢屋と教官、そしてエリゴスさんの所為で扉を開くのには気が引ける。しかし、中に入らなくては俺が人間界に帰り、普通の人生を過ごせないので入らざるを得ないのだが。
まぁその前に。
「ほら、到着だって。早く降りろよ」
身を屈めてがっちりと俺にしがみ付く泪に降りるよう催促する。
泪は俺の言うとおり廊下に足をつけ手を離す。そして上質で毛並みの良い尻尾を軽く振り人間で例えると準備運動のように耳をピクピク動かした後で。
「ふふっ送迎ご苦労。流石僕の召使だけあって中々居心地が良かったよ。つい転寝ねしそうな程にね」
ジャケットに手を突っ込み、何時もの調子で笑う泪。転寝ね所か背負ってる最中も震えてただろお前とかいい加減俺の立ち居地位は統一しろよとか、既にツッコミ要素がありまくるがまた機嫌を損ねてしまうと面倒なので止めて置こう。
「それじゃあいよいよこの禁断の扉を開こうじゃあないか。扉の錠はただ一つ。マルコシアス家に脈々と受け継がれるこの高貴な血液のみ……」
泪は右手をポケットから出し、鋭い牙のような犬歯で親指の腹に噛み付く。するとミニトマトを噛み潰したプチっという軽快な音と共に血にしては原色過ぎる赤色の雫が原の上にポツリと浮き出てきた。
「さぁ開けっ!!! 禁断の扉よっ!!!」
歌舞伎の見得のように大げさに右脚と右手を前に構える泪。廊下を踏みつけたダンッと言う音が辺りに鳴り響く。が、しかし。いや、当然ながら扉はピクリとも反応することなく音が過ぎ去った周辺には何とも言い難いシュールな空気が流れるだけだ。
「ごほん、ごほん…………崇?」
そんな空気の中、泪が実にワザとらしい咳払いをして何故か俺のことを見てくる。その視線が俺とぶつかった時髪の毛に隠れていない方の目でウィンクをして何か合図を送ってきたのだがウィンクが下手くそ過ぎて半開きになっている所為もあって俺にはその意図が全く掴めない。
「さて、そろそろこの岩窟な扉を開けるとしようか。ふぅ……全くこの僕の力をこんなことに使わなくちゃあいけないとはやれやれだな」
そう言った後にサラリと髪の毛を払い清々しい程の笑みを見せた泪。完全にさっきのを無かった事にしようとしてるなこいつ。
「さぁ開けっ!!! 禁断の扉よっ!!!」
先程の焼き直しをした後でもう一度泪は扉に右手を差し出した。これもまた当然の如く扉は開かない。
すると。
「崇、今だよ、崇っ」
声音を低く押し殺しているつもりなのだろうが少し離れている俺の耳元までしっかりと聞こえてくる。ここで俺は意図に気がつき再度泪を見てみるとまた不恰好なウィンクで合図を送っている。
「はぁ……分かったよ」
俺は扉の前に足を運び、舞台のエキストラよろしくなるべく目立たないよう姿勢を低くしてからそっと扉に手をかけ、開ける。
「ふふっ僕にかかればこんな扉、造作も無いことさ…………しかし、ここから先が本番だよ? だって始まるんだからねぇ、本当の地獄って奴がさ。だからと言って怯える必要はないよ崇? だって地獄の案内人はこの僕、マルコシアス・泪・アセンシオなんだからね」
フンっと鼻で一瞥し長い前髪をサラリと払い除けた後、俺が開いた扉の中にいち早く入る泪。
俺は姿勢を低くしたまま、頭痛を抑えるように片手で顔を覆うあいつが好みそうなポーズをとってしまう。そして大きく息を吐いてから嬉しそうにブンブンと揺れる彼女の尻尾を目印に後に続くのであった。
扉を開けたその先に広がる景色、それは学校の体育館そのものだった。
バスケットボールのエンドラインを含めその他競技で使われるであろうテープが貼られている床、前方最奥には舞台と演台があり、中央には俺と同じオレンジ色の服を着た輩達が二列を作り並んでいる。
俺は先に嬉々として入って行った泪の隣、つまり列の最後尾に位置をつけてこれから何が始まるのか不安だらけで待っていると。
「おいおいおーい、重役出勤してきたからどんなワルかと思えばただの芋くさいチビガキとモブ顔じゃねぇか。ここは田舎のガキのホームステイ先だったのかぁ?」
ケッケッケっとそれこそド田舎の夜に鳴く野鳥のような引き笑いと共に俺達を小馬鹿にしてくるのは俺の前に立っている長身細身で金髪オールバックの若者、いや若者と敬称するにはまだ青いクソガキだった。
俺はこいつに対して特に言う事もせず、ただ黙って前方にある演台を見つめるだけだ。
こういう奴の対処法で一番正しいのは無視をすることに限る。言葉はキャッチボールだと小学校の国語科で習った記憶がある。つまりボールを投げ返さなければこれ以上会話が発展することない。それに蛆虫顔からモブ顔に昇格出来たのだ。寧ろこいつには感謝したいくらいだな……だから泪、抑えろよ? な?
俺は隣で低い唸り声を上げ金髪オールバック野郎を睨み付ける泪のジャケットを摘まんで制止させる。そんな一触即発の状態だとは知らない奴は自慢の髪を捲し上げてから。
「俺の名前はビリー。おおっと『ヨークタウンのビリー』って言えば分かるよなぁ? テストのカンニング、ポイ捨て、借りパク。ありとあわゆる犯罪をやり尽くした生粋の不良だぜ……ほらお近づきの証にこれやるよ」
やってきたことがいちいち小さい生粋の不良ことビリーはそう言うとポケットから何かを取り出しそれを握った手を俺達に差し向けてくる。嫌々ながらもそれを顔に出さず受け取ってみるとどうやら包み紙に入っている飴のようだ。
「これはよぉ、俺の爺ちゃんからこっそり盗ってきたんだけどよぉヤバイんだぜ? 食ったら頭が超ハイになってよぉ」
字面だけ聞くとなんともヤバそうなこの飴、しかしパッケージには『ヴェスタール・オリジナル』とテレビCMで見慣れた表記がされており、食べても別に問題はなさそうだ。証拠に泪が依然ビリーを睨み付けながらもボリボリと音を立てて飴を食べている。つかお前あのお爺ちゃんの孫なのかよ。
「つかよぉ、お前ら本当に何処中のワルなんだよ。俺の事も知らなそうだし本当にド田舎出身なのかぁおい? お前の顔もそうだし隣のチビガキのファッションなんか特に田舎丸出しだぜ、ケケケっなんなんだぁその髪型は、片目だけ隠してお洒落のつもりでちゅか? 目悪くするから止めた方がいいんじゃあないかぁ?おい?」
後半は泪のことを結構心配していた気がするがそれでも間違いなくビリーは俺達のことを煽ってきた。
俺は嫌な予感がしてジャケットを掴む力を強めるがもう遅い。泪が食べていた飴を大きな音を立て噛み潰した後で。
「…………おい、今僕の髪型のことなんて言ったっ!?」
プツリと頭の血管が切れる音が聞こえそうな程激昂した泪は状況を掴めず、困惑の色を顔に浮かべるビリーに詰め寄る。
「止めとけって! ここで騒ぐのはまずいから! つかお前色んな所からネタ拾い過ぎてキャラがブレブレだからっ!」
「いいや、限界だ言うね! さっきから黙って聞いていれば田舎者だの何だのと好き勝手言ってくれるじゃあないか。この僕を馬鹿にすることはマルコシアス家への侮辱! その償いを今からさせてやるっ」
「お、おいやんのかこらぁ……俺は泣く子も黙るヨークタウンのビリー様だぞこらぁ……」
我慢の限界を超えて今にも襲い掛かりそうな泪、そして先程の威勢は何処へやらご自慢のオールバックが崩れかけ今にも泣き出しそうな声で威嚇をするビリー。
ヤバイ……この展開はこの二人だけではなく何故か俺も巻き込まれ怒られるパターンだ。何とかして止めなくては。
言葉で制するのは無理だと直感した俺は二人の間に割って入ろうと思い動き始める。
――その時だ。
「何をやっとるんだ貴様らっ!!! ちゃんと列に並ばんかっ!!!」
鼓膜が爆発しそうな怒鳴り声とマイクがハウリングした音が辺りに反響し、俺は思わず耳を塞ぐ。声の発信源は壇上にいる教官の物だった。
教官は明らかに俺達を思い切り睨み付けた後演台から後ずさり道を開ける。するとカーテンの袖口からはエリゴスが歩いてくる。その雰囲気は俺が始めて出会った時に感じた威厳のある姿だった。
そんなエリゴスは演台につき、周りを一様に見渡してから。
「ようこそ、地獄のワルガキ諸君。私がこの施設の署長であるエリゴスだ。君達には今日から三日間本物の軍人が送る訓練に取り組んで規律正しい真面目な悪魔になってもらう…………勿論反抗や脱走等は好きにやって貰っても構わないが我々職員は退役したとはいえ軍人。それ相応の覚悟の上で行なうように。では私からは以上だ」
凛としたハスキーボイスでそういい終えると肩の荷が下りたのか、欠伸を一つしてからそそくさとカーテンへと引き下がっていくエリゴス。幕に戻る直前に俺と目が合い自撮り大好きおばさんの異名に偽りの無い綺麗なウィンクをして姿を消してしまった。
「署長からは以上だ。そしてこれより本格的に訓練を開始する! 職員は至急蛆虫共の点呼を行いグラウンドへ誘導せよ!」
教官がそう言った瞬間、待機していたであろう職員達が一斉に、迅速に扉から進入してきて先頭の奴らから点呼を取っていく。
ふぅ、一時はどうなるかと思ったが俺は怒られずに済んだんでまぁよしとしよう。俺はホッと胸を撫で下ろし怒られないよう列に戻ろうと思った。
しかし。
「な、なんだよぉ……俺に何か付いてっかよぉこらぁ……」
俺は心底ビビり上がっているビリーの『ある一点』に目が行ってしまった。それは点から染みへと変わり、その染みも段々と勢力を増して彼のズボンを濡らしていく。
げぇ……こいつまじか。さっきまで意気揚々としてたのに。ちょっとお爺ちゃんお宅の孫にどういう教育してるんだよ。ヨークタウンのビリーっつかお漏らしのビリー……お漏らしビリーじゃあねぇかよ。
俺はそんなお漏らしビリーに呆れを通り越して笑うしかなかった。こんな奴は放って置くとして列に戻ろう。
っとここで泪の事を思い出す。泪に同情する訳ではないがこんな奴に小馬鹿にされるなんて災難だったな。まぁ突っかかる奴も悪いというか同じ穴の狢というか……。
そんなことを考えながら列から離れた泪を戻そうと思った所で。
「……崇、いいかい? 決してこっちを見るんじゃあない。決してだ」
「何? どうしたの? またビビって動けなくなったのか?」
「っ! 崇っ!こっちを見るなっ!」
いつになく真剣な声音で言うものなので少し心配になり振り向こうとしたのだがそれすらも制されてしまった。今度はどうしたんだ?まさかビリーと同じってことは流石に……。
――ピチョンっ
俺の思考を遮るように何処からか水滴が滴り、水に落ちる音が聞こえる。大粒の汗や涙の可能性もあるがこの短時間で床に水が広がると言う事は……。
「泪お前まさか……」
「ふふっ崇。人生と言うのは儚い物だね……たった一つの軽い過ちのせいで、僕は今人生のレースから脱落してしまったようだよ」
何か達観したような物言いの泪。その後には自嘲気味だが潤んだ笑い声が静かに聞こえてきただけだ。
俺はもう考えたり怒ったりするのが嫌になったので遠くて広い天井を見上げることにした。職員達が何処かで悲鳴を上げている気がしたが俺には何も関係のないことだ。
――嗚呼、今日も体育館の天井は大きいなぁ。




