召喚されし子羊
――哀れな子羊君、今こそ目覚めの時だよ。さぁ僕と『魂の契約』を結んで今こそこの世界を混沌の闇に包もうじゃあないか。
紫色の光に包まれ失った意識が戻り始めていた時。聞き覚ぼえの無い声が俺の耳元で囁いていた。一体何処の誰なんだろうか。確認したい気持ちも少しはある。だが俺は敢えて目を閉じたまま眠っている。
だって考えてみろ。寝ている他人にブツブツと変な事を囁いている人間なんて碌な奴ではない。哀れで可哀想なのは間違いないが俺は子羊でもない。そしてどうやって哀れな子羊と世界を混沌の闇に包むつもりなんだ? 包むことが出来る物といえばウールくらいなのだが。
そして第一に『魂の契約』はもう既に何処かの幼女型クソ悪魔と結んでいるため契約は出来ないし今後一切そういう契約はしない。
――おや? 召喚の呪文を間違えたかな? ならもう少し別の方向で……。
謎の声の主は一つ大きな咳払いをして、鼻にかかる声、通称アニメ声へとピッチを合わせていく。
そして。
――僕と契約して魔法子羊に……。
「いや、おかしいだろっ!」
膝の皿を叩かれたような反射で思わずツッコミを入れてしまった。反動で起き上がった時低すぎる天井に頭をぶつけ、頭がジンジンと痛む。……なんだこれは、二段ベット?
呆けた視界と痛む頭で変なことを囁くクソ野郎の顔を拝もうと辺りを見渡す。しかし人間の姿は見えない。いや、それ以上に俺が置かれているであろう現状にただ困惑を覚えるばかりである。
剥きだしのコンクリートに洋式便所。そして目の前には不自由の象徴である鉄格子が設けられていた。
この数少ない情報量でもここが最悪の場所だということは容易に理解することが出来る。後は捕まって入る場所か理不尽に収容される場所かどちらかなのだが。俺は間違っても犯罪を犯す愚かな人間ではないしマスターの口ぶりからして後者である可能性の方が高い。
しかしいつの間にかバイトの格好から着替えさせられていた俺の服装は上下が繋がったオレンジ色の作業着のような物に白のTシャツ……これは完全に外国の囚人服だ。
俺はベットに座り直し、困惑した額を手で覆う。声交じりのため息は表情のないコンクリートの壁に吸収されていった。
「おはよう子羊君、気分はどうだい?」
またもや聞こえてくる謎の声。勿論姿は一向に現していない。この部屋には姿を眩ます場所なんてものはない。あるとすれば二段ベットの上段だけだ。
自分が置かれている謎の状況も相成って段々と苛立ちを覚え始める。文句の一つでも言ってやろうと腰をあげようと思った。
その時。
「ふふっそれは残像さ。僕はここだよ」
謎の声が聞こえてきたのは上段からではなく俺の下、つまりは俺が座っているベットの下の隙間からだった。すると俺の足の間をズルズルと這う何かが出てくる。
果たして声の主はどんなクソ野郎なのか。とりあえず顔が出てきた瞬間思い切り踏みつけてやろう。まぁ人間、或いは人間型の悪魔で顔があったらに限るが。
俺は某ワニをハンマーでぶん殴るゲーム感覚で姿を見せる瞬間を待ち構える。
だが。
「…………出れない」
ベットの下からは顔ではなく黒のスニーカーと踝程の丈があるソックス。細身の生脚のみだ。
「おかしい、この僕がこんなところで躓く筈が……っ!」
ガタガタと世話しない音を立てて動くベットとバタバタ動く生脚。そして先程からの言動を総合しソロバンを打つように考える。
ターンッ! と弾きだした考えからして俺は何もすることなくただ座ることにした。これは『関わらない方がいい案件』だ。絶対にそうだ。つか考えなくても分かるだろ。人様のベットの下に潜り込んでる時点で人間も悪魔も関係なしにヤバイ奴だから。
「子羊君。悪いけど助けてくれないかい? 僕はこう見えて暗闇が苦手なんでね」
少し困ったような声音で俺に懇願してくるが無視だ。『こう見えて』とか言われても脚しか見えてないし暗闇が苦手ならなんで世界を混沌の闇に包もうとしてるんですかねぇ……。
そのまま助けずに座り込んでいると力尽きたのか脚のバタバタもベットのガタガタも止んだ。さて、ここから俺はどう行動するべきだろうか。
この謎の状況を調べるには情報を集めることが最優先である。しかしほぼ何も無いこの牢屋から得られる物はアスモデウスが下ネタを言わないで俺と会話した数より少ない。
となれば今ベットの下にいるやつから話を聞きださなくてはいけない。
だがしかしなるべくならこの手段は使いたくないのだ。『関わらない方がいい案件』なのもそうなのだがこいつからはアイニィと同じポンコツ臭がする。
「……暗闇にこの閉塞感。まるでブラックホールに飲み込まれているような――そうかっ! これが君の能力っ! 重力を操作する『無限重力』っ!」
……ほら、また馬鹿はこと言い始めただろ。無限重力って地球上では当たり前のことだからな。絶対横文字に変えた時の語呂のかっこよさで付けただろ。
そしてこのタイミングで訳のわからないことを言い始めたのも無視し続けている俺の気を引くためなのだろう。若い学生の女の子が別れたときなんかにLINEのアイコンを真っ暗にするのと同じ、本当に性質が悪くて面倒くさい。
俺はもう一度手で顔を覆って考えることにする。このどうしようもない状況を打破するにはこのどうしようもない奴の助けが必要なのだ。
全くどうして毎度毎度俺が面倒な事や人物に巻き込まれなくてはいけないのか。
もし神がこれを仕組んでいて面白半分で行なっているとすれば今日から俺もマスター同様『クソッタレ野郎』と呼ばなくてはいけなくなる。違っているのなら神様本当に申し訳ございませんでした。一生信仰します。
俺は心の中でクソっタレ神を一通り拝み倒してから身動き一つとらなくなった足首を掴み引っこ抜くことにした。




