貼り付けの刑
肝試しが終わり、クソオタ幽霊と共に夏の残暑は何処かへ消えてしまった。
あの日から数週間が経過したのだが俺の日常に特段変化は現れていない。しかし『何事』も無く『普通』に過ごしているこの日々に妙な居心地の良さすら覚えつついた。
が。
「……どうだ多田君、店のオブジェになった気分は?」
金髪クソ幼女悪魔のマスターが腕を組み、右手を華奢な顎に添えて、店の壁に貼り付けになっている俺を見上げている。
「ええ、最高ですね。特にマスターを上から見下ろせる所とか」
「ふむ、それは良かった。中々居心地もよさそうだし君のようなゴキブリ……いや、雑虫以下の人間はそうやって壁にへばりついているのが一番お似合いだぞ」
「軽い皮肉を十倍以上で返してくるの止めて貰えないですかね」
俺がそう言うとマスターは大きな青色の瞳を丸くして大袈裟に、あざとく小首をキョトンと傾げる。どうやら「私、幼女だから何言ってるのか分からない」アピールをしているつもりなのだろがそれはもう俺には通用しない。第一普通の幼女は『雑虫』とか言わないし俺を貼り付けにしない。
「なんだその目は? 元はと言えば君が出来の悪い屑野郎なのがいけないんだぞ。分かっているのかね?」
俺が内心小言を呟いていたのが顔に出ていたのか、はたまた心の声を読まれたのかは定かではないが幼女の振りから一転、なんの面白みのない若手芸人のネタを見ている大御所女優のような辛辣な視線を俺に浴びせる。
そう、何故俺がキリストのように貼り付けにされているのかというと理由は簡単、酒を割ってしまうというどこぞのアホの娘のような失態を犯してしまったからだ。
今日のBAR『DEVIL』はある金持ち悪魔の団体が一日貸切り、地上旅行の締めくくりとして店内でパーティを興じていた。
バブル絶頂期のような派手は衣装に身を包んでやってきたのは古くから日本で言い伝えられている猫又のように二足歩行で歩く悪魔共。なんでもこの店の評判を聞いてわざわざ選んだとのことでマスターも心なしかいつもより気合が入っているように見えた。勿論俺もヘタを打たないように努めていたのだ。
そんな中でパーティは進行していきドカドカと馬鹿高い酒を注文してはすぐさま飲み干すなんてのを繰り返している内に酔っ払ったクソ猫悪魔の一匹が飲酒が出来る店で働く上で一度は体験するであろう『店員に酒を飲ませる』事を強要しやがったのだ。
始めは俺も丁重に断っていたのだが断り続けると客の機嫌も悪くなる。最悪怒って暴れ周り店内中引っ掻き回される恐れもあるので仕方なく、少量ずつ飲んで暫く誤魔化してきたのだが酔いが回ってきた俺は平面の床で足がもつれてしまい、クソ猫共に酒をぶちまけてしまった。
ぶちまけて高級な服を汚したのもマスターの怒りを買う理由の一つだがそれ以上に割ってしまった物が悪い。
ドンペリニヨン……通称ドンペリと言われるいかにも金持ちが好みそうな酒を駄目にしてしまった。しかもお値段一本で二十万。俺の約二ヶ月血反吐を吐きながら働いた給料で買える高級な品だった。
「全く調子に乗った君を懲らしめたにも関わらず次は注意散漫とは。やる気はあるのかね?」
撒き散らした酒と瓶の破片を片付け、磨き上げたばかりの床を黒いローファーで踏みつける酷く不機嫌なマスターに俺は唯一身動きの取れる首を上下に動かし謝ることしか出来ない。
やる気というか、契約上死ぬ気で働かなくてはいけない立場なのでそれなりに頑張ってはいるのだが、ほんと社会って残酷。
「こうなったら一度徹底的に教え込む必要があるな。躾……いや、調教でもしてみるか」
マスターがぶつぶつと口元で何やら怖いことを言い始め、じわりと全身から嫌な汗が染み出てきた。躾と調教って人間に対して使う言葉じゃないだろ。
そんなマスターは尚も考え込みながら一旦カウンターへと向かい、その小柄な身体はカウンターに隠れて見えなくなる。
そして帰ってきたかと思えば。
「調教の手始めにまず懐柔から始めようと思うのだが君はどれがお好みだ?」
カウンターから戻ってきたマスターの手には小さな花柄のポーチをぶら下げており、そこから取り出されるのは『赤い蝋燭』であったり『荒縄』、『アイマスク』に『穴あきのボールがついた訳の分からない物』等といった可愛らしいポーチからは想像つかないおぞましいラインナップだ。
流石に身の危険を感じたのでどうにか逃げようとするが手足をがっちりと拘束されている俺に逃げる術はない。出来ることといえば誰かに助けを求めるくらいだ。
誰か、誰でもいいから。俺をこの悪魔から救ってくれ。もう少し限定すると真面目で良識のある誰か助けて下さい……っ!
「おっ師匠ーっ!! 遊びに来ましたよ! 後ついでに馬鹿多田にも……って、ふぇ?」
勢いよく開けられた扉から勢いよく入ってきたのアホ女ことアイニィは拷問器具を持っているマスターと貼り付けになっている俺を不思議そうに見ている。……確かに誰でもいいと一度は言ったがお前はお呼びじゃあないんだよなぁ。
「アイニィ君、悪いんだが今取り込んでいてな。また後にしてくれ……」
マスターも俺と同じ考えだったようだがアイニィの方に顔を向けると言葉が途切れた。そして彼女を観察するようにまじまじと眺める。その視線が歯がゆかったのか、今日も軍服姿のアイニィは頬を掻きながら彼女を体現しているアホ毛を揺らす。
そんな様子を観察し終えたのか、マスターは「ふむ」と一泊間を置いてからまた何時ものように悪い笑みを浮かべて。
「ちょっとこちらへ着たまえ。『面白い』話がある」
そう言ってアイニィを呼び寄せ、何故か俺に背を向け耳打ちで話始める二人。こちらからは何を話しているのかは分からないが例によってろくでもない企みを思いついたに違いない。
それから約二分ほど話し込み、それまで適当に相槌を打っていたアイニィのアホ毛がピーンと伸びる。するとおもむろにスマホを取り出したかと思うと。
「もしもしパパ? あのね…………なんだけど。うん、そうそう。うん分かった! ありがと! じゃあねっ!」
突然の電話を終え、こちらに振り向く両者。一方は例の如く不敵な笑みで。もう一方はそれを真似しているつもりだが幼稚さが抜けていない笑みで。
そして。
「多田君。突然で悪いが今から君に講習を受けに行ってもらうことに決めたよ」
「え? 講習?」
「そうだ。まぁ講習と言うよりかは『更生』と言った所かな。私に従順になるようきっちり教育を受けてこい」
マスターがそう言うと紫色の光が支柱状に伸び、俺を照らす。この光は以前地獄に行った際と同じ物のようだ。
「いやちょっと待ってっ! どういうことですかっ!?」
「では多田君。また三日後に会おう……君がちゃんと生きて帰ってくればの話だが」
「なんですかその口ぶりはっ! ちゃんと説明してくだ――」
パチン。
マスターが俺の言葉を遮るように指を鳴らすと、光はみるみるうちに俺を包み込み、意識が遠のいていく。
薄目で見た最後の光景はほくそ笑むマスターと大きく手を振っているアイニィの姿だった。




