幽霊はそっと現れる
一気に飲み干したグラスを勢いよくカウンターに置く。グラスから奏でられたワンアクセントとつきすぎて最早板についてきたため息の音が店内に離散し、収束していく。
「ふむ、中々いい飲みっぷりじゃあないか。どうした? 何か酒に溺れて忘れたい事でもあったのかね?」
意地悪く、そして実に愉快そうにマスターはグラスに二杯目を注ぎながら聞いてきた。
「……全部知ってる癖に、鬼かあんたは」
「ハッ鬼等といった低俗共と一緒にしてもらっては困る。私は高貴で気高い悪魔の中でも……」
例の如く始まったマスターの『私凄い自慢』が始まったところで俺は聴いている振りをしながら二杯目に口を付ける。ったく、この手の自分語りは別に凄くもなんともない輩が他人からすれば大したことないことをあからさまに、大げさに語るものなので普段から凄いあんたがするもんじゃないだろ。
俺の思いが伝わったのか、はたまた俺が聴いていないのがバレたのか。十中八九後者だろうがムスッと幼い頬を僅かばかり膨らませながら俺を睨み付ける。
「どうやら多田君にはもう少しお灸を添える必要があるようだな。薪ストーブかキャンプファイヤーどちらか好きな方を選びたまえ」
「それお灸どころの話じゃないですよね? 完全に俺を焼き殺そうとしてますよね?」
「なんだ不服か? それなら私自らが君を丸焼きにしてやってもいいんだぞ。焼き加減も選ばせてやろう」
「だからなんで俺を焼こうとするんですか」
それとさっきから提示してくる選択どれ選んでも結果は同じだからな。
アルコールが回っているせいか普段より反抗的な俺が気に入らないのか小さく舌打ちをした。
そして。
「……君はどうやってこのクソ男を燃やしたい? なぁ幽霊君?」
「…………僕は、その、燃やすとかちょっと、火葬された身だし……」
マスターが俺から顔を逸らして向いたのは右隣の席。そこにはクソオタク幽霊が撫で肩猫背の姿勢で座っていた。
「お前いつからそこに居たんだよ……」
幽霊自虐ギャグは無視して幽霊に質問する。
「いつからって言われても、僕ずっとここにいたしここまでずっと一緒にいたんだけど……。やっぱり僕って存在感ないのかな、幽霊だし」
しょんぼりと曲線を描く肩をまた丸くして落ち込む幽霊。だからそのギャグやめろってツッコミづらいから。
俺が幽霊の扱いに困っている様子を見てマスターは少しばかり機嫌を直したようで俺よりワンサイズ小さいグラスにコーヒー酎を注ぎ口をつけた。
「さて、それでは始めるとするか。幽霊君、準備いや、覚悟は出来たかね?」
酒を嗜んでいたマスターの閉じていた瞳が微かに開き、細く鋭い視線が幽霊に突き刺さった。それを受けた幽霊は顔を覆い隠す程長い黒髪を前に垂らした。幽霊の身体を身体と言って良いのかは分からないがその身は心なしか震えている気がする。
「マスター、これから何をするんですか?」
いつものバイト先のような雰囲気から一転、ピアノ線をゆっくり張っていくような、何処か重く緊張した空気が漂ってくる。
「何をするって決まっているだろ、この肝試しの目的を忘れたのか?」
俺がいつも客のクソ悪魔に向けているであろう顔と同じ表情をされてしまったので酒に浸っている頭の中でマスターの言葉を復唱する。『この肝試しの目的』……。
「……成仏、ですか」
脳みそが弾き出したワードがポツリと口から漏れ、身体中に回っていたアルコールがスッと抜けていく感じがした。
「その通りだ。では、多田君が理解したところで早速始めるぞ」
そう言ってマスターはグラスを置き、右手を幽霊の前に向ける。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
そして何故だか俺の身体は自然と立ち上がりそれを制してしまった。不可解な行動を取ってしまった俺に二人の視線が集まる。
「なんだまだ質問があるのか? こんな企画をしてなんだが私は君のように時間を浪費し弄んでいるような暇人じゃあないんだ。さっさと終わらせて帰りたいんだ」
「誰が暇人ですか……じゃなくって、待ってくださいよっ」
身体が勝手に反応したために質問どころか考えすらまともに持ち合わせていない俺。ここは一言謝って事を終わらせるのが無難でベストだろう。
そう頭では思うも身体がまた反応しない。一体何が起こっているのか分からない。
分からないのなら当然考えるしかない。
「そもそもの話ですけど幽霊を成仏させるのには条件がある筈ですよね? それはどうなったんですか?」
俺はマスターにそう尋ねてみた。無論この答えは以前言っていた『私なら力づくで回収出来る』で終わってしまう。何故分かりきった質問をするのかと聞かれれば要は俺の考えをまとめる為の時間稼ぎである。
マスターの鋭い視線が今度は俺に向けられ、そして「君の浅はかな考えは全てお見通しだぞ」と言わんばかりのため息をつかれた後で。
「君は本当に自称普通人間を気取っていながら脳みそは一般人以下のチンパンジー野郎だな。いや、それではチンパンジーに失礼か、只のクソゴミ野郎がお似合いか?」
腕を組み、心底呆れた表情で激しく罵られたが気にしない。考えることに意識を集中するのだ。
一つ浮かんだのはクソ幽霊が成仏するのを嫌がり俺に金縛りをかけて逃走しようとしている可能性。
幽霊とはこの世に未練を残した人間の魂が具現化した物であり、その執着振りから下級悪魔、天使さえも回収に手を焼く存在だ。そんな輩が簡単に成仏することを受け入れようとするのかと考えれば些か不自然だろう。
しかしこの説は正解ではない。何故なら成仏させることが出来るマスターが金縛りにかかっていない。まぁマスターが簡単に金縛りに引っかかるような奴ではないのだが。
そして尤もの話幽霊自身が成仏することを受け入れているのだ。普通は嫌がる筈なのに、どうしてなのだろうか。
あるとすれば成仏してもよくなった。つまりこの世に未練が無くなったということになる。
しかし、しかしだ。この仮説も不可解なもので何故このタイミングで未練が無くなったんだ? 肝試しをする前と後でクソ幽霊の心境がどう変わったというんだ?
謎の先にはまた謎が|聳<そび>え立っており、果ての無い思考の登頂に脳が焼きつきそうになる。
そんな俺を見かねたマスターは腕を組んだまま。ふむ、と一拍置いてから。
「多田君、君の矮小な頭でも分かり易い簡単な質問をしよう。今回の肝試し大会は楽しかったか?」




