非日常的な俺の日常
祭りから三日後、ミカは約束通り店を撤退しこの街から天使の羽を休める場所は無くなった。
唐突だがここで一旦中学校の理科で習った食物連鎖を思い出して欲しい。上位に位置する鷲や蛇といった捕食者が減っていくとその分ドブネズミやクソ虫共がウジャウジャと勢いを増していくのだ。
それと同様に。
「兄ちゃんボサっとしてねぇで早く酒持ってこいっ!」
「それでよぉ、この間魂運んだ人間がすげぇどスケベボディでよぉ」
「うぅ……酒! 飲まずには入られないツ!」
威勢を取り戻したクソ悪魔共の下品な笑い声で賑わっている。それをカウンター越しに見る俺。認めたくはないが『日常』になりつつある風景がそこに広がっていた。
「あたし達がいない間に二人とも随分エラい目に遭っていたのねぇ」
カウンター席に座るアスモデウスがウイスキーのグラスをゆっくり回転させながら言った。グラスに中に入っている氷がカランコロンと軽快な音を鳴らしている。
「ふむ、エラい目か。それは語弊だ。私は可愛い妹と遊んでいただけだよ」
マスターがグラスを拭きながら得意げに鼻を鳴らす。あれだけムキになっといてよくそんなことが言えたな。
「うぐぅ……私も変なキノコさえ食べてなければお師匠のお力になれたのに……」
アスモデウスの隣の席で悔しそうにアイニィが頬を膨らませた。
「そうねぇ。でもあのキノコ、中々魅力的だったわぁ。傘が丁度亀の頭みたいで可愛くって。それでいて柄の部分は太くてゴツゴツしてて……」
うっとりとした表情で意味深に右手で輪を作り、それを上下に動かし始めるアスモデウス。もう一回入院した方がいいんじゃないの? 脳みそ多分菌で可笑しくなってるぞ。
「それにしても私が入院している間に天使が調子に乗ってただなんて。今回はお師匠が寛大な心で許して良かったわね。私だったらボコボコにしてたのに」
アイニィが呑気そうにそんなことを言いながらつまみのカシューナッツを一つ手で取って口に放り込む。
「いや、流石にお前じゃ勝てないだろ。だってあのマスターがあそこまで追い詰められ……」
追い詰められた、と言おうとした時マスターが二人に気づかれないように俺の脇腹を抓る。痛いんですけど。脇腹引き千切れてそうなんですけど。
「ふんっ多田は相変わらず馬鹿多田なんだから。いい? 私がいれば天使なんてコテンパンのギッタンギッタンに決まってるでしょ?」
「どこから湧いてくるんだよその自信は。だからお前じゃ無理だってば」
俺はマスターに引き千切られそうになった脇腹を擦りながら言う。
「ああもう怒った! やってやろうじゃない! 早くそのクソ天使ここに呼びなさいよ! 今すぐ!」
カウンターをドンと叩いて怒りを撒き散らすアイニィ。俺は彼女を見ながら頭を搔いた。
バーを撤収したと言う事はもうミカは人間界にはいないのだ。今頃はきっと自分の道を拓くのに頑張っているのだろう。
取り合えずこのアホを一旦落ち着かせよう。そう思い言葉を選んでいた時。
「――クソ天使ではありません。ミカです」
この馬鹿騒がしい部屋を冷やすため一厘の風が吹き込んできたように。最近聞き慣れた平然としていてよく通る声が聞こえる。
その声にビビッたアイニィが間抜けな声を出して仰け反る。俺も驚いて先程まで考えていた言葉を忘れてしまった。
「こんばんは。姉さんに多田さん。一杯頂きに着たのですがお席は空いているでしょうか?」
驚いている俺達を置いてけぼりにしてミカが尋ねてくる。どうして、何故彼女がここにいるのか。
「生憎ここは悪魔専用でな。悪いがお引取り願おうか」
俺の疑問よりも先にマスターがミカを追い払おうとする。ミカはそれに「そうですか」と言い、そのまま体を反転させて小さな背中を向けた。
俺としてはこのまま黙って帰らすわけにはいかない。ここに着た理由をちゃんと説明して貰わなくては。
俺はカウンターから腕を伸ばし彼女を引きとめようとした。
「ちょっと待ちなさいよ!」
その時、アイニィがミカの肩を掴み引きとめる。
「あんたが例の天使でしょ? 丁度いいわ私と勝負しなさい! さっきは行き成り出てきてちょっぴりびっくりしたけどあんなのノーカンだからね!? 」
「勝負、ですか。何方か存じませんが挑まれた以上断れません。では……」
ミカは手に持っていたポーチから何かを取り出しアイニィに手渡す。
「これは私が暇つぶしに作った知恵の輪です。これを三分以内に解くことが出来れば貴方の勝ちでいいですよ」
「ふん、私も見くびられたものね。知恵の輪なんて所詮子供の玩具、この私にかかればこんなの五秒で……あれ? 中々難しいわね。あれ? あれれー?」
アイニィが手を世話しなく動かすが知恵の輪は一向に解ける気配はない。そんなアイニィを小馬鹿にするようにミカは鼻を鳴らしてから再びカウンターへ戻ってきた。
「あの知恵の輪、ちょっとした細工をしているので常人には絶対に解けないようになってるんですよ」
ミカは俺に向けてウィンクした後悪戯っぽく微笑んだ。それは天使というよりまるで小悪魔だ。
とかそんなこと思っている場合ではなく。
「ミカ、なんでここに居るんだ? 天界に戻ったんじゃなかったの?」
今一番気になっている疑問をミカに問いかける。するとミカは一瞬溜めを作ってから。
「確かに姉さんとの勝負に負けたので店は撤退しました。でも私自身が天界に戻るとは一言も言ってませんよね?」
「それはそうだけどさ……」
店を撤退させるってのはミカも天界に帰らせるという意味も含めてのことだと思うのだが。
そんなことも分からない程ミカは馬鹿ではない。その証拠に俺の表情から何を考えているのか読み取ったようで。
「私は自分の道を拓くと決めました。その為にまずは命令、約束よりも自分のやりたい事を優先しようと思ったんです。……こんなこと考えた私は悪い子でしょうか?」
そう言ってミカは俺に向かって笑った。それは何処か姉譲りの不敵で堂々とした笑みだった。
「ふむ、悪い子かどうかは分からないがその考えは実に悪魔的だな」
マスターが横から入ってきてミカの目の前に丁寧に磨きぬかれたグラスを置いた。
「姉さん、これは?」
「このバーは悪魔専用だが妹の門出祝いだ。ありがたく受け取りたまえ」
マスターが黒く、金箔で蝶が描かれている見るからに高級そうな箱からボトルを取り出し慣れた手つきでコルクを開けた。炭酸が抜ける軽快な音が聞こえグラスには金色の酒と数々の気泡が注がれていく。
「……ありがとうございます。姉さん」
ミカが丁寧にお辞儀をした後で細身のグラスを持ち、口をつけた。
俺はそんなやり取りをする二人をボーっと眺めている。二人は天使と悪魔。敵対する関係になってしまったがそこにある光景はただの微笑ましい姉妹の姿だった。
「ふえええええええんっ! 多田助けて、助けてっ!!!」
そんな光景をぶち壊しにするような絶叫が俺の耳に入る。見ればアイニィが横たわっていて黒いブーツが脱げていて、服の袖とズボンの裾がかた結びで結ばれている。全くどうすればこんなことになるんだ。
俺はそんな馬鹿に心底うんざりし腹の底から大きなため息をついた後仕方なくアイニィの方へ向かう。すれ違い様にアスモデウスがニッコリと笑いながら俺のことを見ていた。お前はなんで良い女気取ってんだクソオカマが。
クソ悪魔共の下品な笑い声、号泣するアイニィ、良い女気取りのアスモデウスに今この瞬間だけは仲良くやっている幼女姉妹。
普通ではないこのバーの中で俺は今日も日常を過ごしていくのであった。




