マスターことベリルはやはり悪魔である
全国うまいもんグランプリ開催から二時間が経過した。始めは圧倒的大差で負けていた俺達だが突然のたま子の訪問により何とか巻き返しを図ることに成功した。え? 俺の親父ギャグ? そんなのは知らない。
あれだけ敬遠されていた地獄産の魚達だったが今は会場に着た客皆がそれを手にして美味しそうに食べたり写真を撮っていたりする。売り手としては嬉しいことだがあんなグロくて意味が分からない生物を会場中の人々が手にしているこの光景ははっきり言って異常だ。
しかし、これだけの成果を出してもマスターは顔色を一つ変えずにただ黙って戦況を見つめていた。
俺達の店は確かに売れた。しかし今は列に並ぶ客は数人程度になっている。今の状況を例えるのなら打ち上げ花火のようなものだ。打ち上がり、満開の花を夜空に咲かすとき会場のボルテージはピークに達するがその盛り上がりも花も一瞬で消えてしまう。お笑い芸人やアーティストでよくいる『一発屋』といわれる人達のそれに近い。
対するミカの店は俺達が売れた影響もあって一時期客は減ったものの未だにマカロンを買い求める客の足は減らない。総合的な売れ行きで言えばまだ負けているのだ。
人間金や名声を得る手段を考える上で二種類の考え方をするタイプに分かれる。博打や大々的な企画で一気に成功を収めようとするタイプと堅実でコツコツと地道に成功しようとするタイプだ。俺は最終的な結果が変わらないのであればどちらが優れているだとか正しいだとかそんなことはあまり思わないのだが人間の心理的に言うと地道に努力を重ねるタイプの方が評価されることが多い。ウサギとカメの話なんかが良い例だろう。
つまり俺達はこの勝負において悪役に配役されていて、正義役のミカに負けるというのが世の中の常識的な展開なのだ。
そもそも俺達がミカに勝つなんてのは初めから無理だったのかもしれない。この世の中を神が創ったと仮定するのならマスター含め悪魔は、神の使いであり正義の象徴とされている天使に倒されるべき存在なわけでマスターがどれだけ優れていても、他の悪魔共がどれだけ人情深い奴らでも根底にあるその事実は揺るがない、のかもしれない。
そんなことを考えながら接客をしていると次に並んでいる男子中学生二人組みの間に謎の空間が出来ている。それは丁度人一人分のスペースだが、勿論そこには誰も居ない。
不思議に思い屋台から少しだけ身を乗り出して下を覗いてみるとそこには最近見慣れた白髪があった。
「どうもお疲れ様です」
ミカが俺を見上げてから言った。
「おやおや、まだ勝負は終わっていないのに何の用かね?」
そこにマスターが割り込んできて以前気丈な態度を振る舞い、ミカを見下ろしながら尋ねる。
「いいえ、この勝負既に私の勝ちです。一時は追い抜かされそうでしたがもう姉さんに勝ち目はありません」
ミカは勝ち誇ることはなく、単純にそう答える。それに対してマスターは表情を崩さなないで。
「何を言っているんだ。まだまだ巻き返しも十分ありえる……」
「姉さん!」
ミカが珍しく声を荒げて、マスターの声を遮った。彼女は色が薄い唇をキュっと噛んだ。
「もう勝負がついていることくらい姉さんなら分かっている筈でしょう? それとも悪足掻きでもなさるおつもりでしょうか? そんなこと止めてください。そんなの……そんなの姉さんらしくない。姉さんには似合いません」
感情を表に出すことはなく、いつも平然としていているミカが今まで我慢してきた枷が外れたように感情をぶつけて来る。
ミカは恐らく『秀才』と呼ばれる部類の人材なんだろうと思っている。普段の立ち振る舞いもそうだが自意識と自尊心の強い天使を何人も従え店を経営しているからだ。天使には階級があると聞いたが恐らくミカもきっと上に位置する偉い天使なんだろう。
しかし、彼女以上にマスターは凄かった。秀才や天才なんかでは手が届かない才能を持った『鬼才』だったのだ。そんなマスターに憧れを抱くのは当然で、姉妹だからこそ比べられ悔しい思いをしてきたのも当然だ。
ミカは努力を重ねて、頑張って頑張って必死に精一杯マスターの背中を追い続けた。例え追い抜くことは出来ないかもしれないがいつか一緒に肩を並べて走ることが出来るように。そして今、ようやく彼女はマスターの背中まで手が届く域に達したのだ。
だがしかし、だからこそ彼女は迷った。憧れの存在をこうも軽々しく追い越していいのか。だからこそ彼女は怒った。憧れの存在が自分に追い抜かれそうになって無様に足掻こうとする姿に。
俺は他人に憧れたことがないのでミカの気持ちを百パーセント汲み取ることは出来ない。しかし心がないロボットではないからミカを見て胸の奥が鈍く痛む。
俺は隣にいるマスターを横目で見る。妹の悲痛な思いを聞いたマスターは彼女にどんな言葉をかけるのか気になったからだ。
マスターは腕を組んで顔を俯かせていた。そして。
「……ミカ、君も見ないうちに随分成長したんだな。姉として素直に嬉しいぞ」
顔を上げたマスターは俺が今まで見たことの無い優しい笑顔でミカに微笑んだ。その表情は本当に心の底からミカを祝福している。
「姉さん……!」
ミカもその表情を見てホッと息を吐いてから笑った。今までの努力が報われた、憧れの存在から祝って貰えたそんな安堵の表情を……。
「――だから敢えて言おう。調子に乗るなこのクソ天使が、っと」
「えっ?」
突然の言葉に俺もミカもポカンと口を開ける。マスターからは先程の優しい笑顔なんてものはとうに消えうせいつもの様に自信で満ち溢れていてそれでいて相手を心底見下している笑顔で。
「君は私のことを何も分かっていない。私は相手を完膚なきまでに叩き潰す為なら泥水でも小汚い男のションベンを啜ってでも勝ちに行く女だ。そう易々と負けを認める筈がないだろ?」
「で、ですが、もう勝負はつきました! 今更どう足掻いても無駄です!」
ミカが慌てながらそう言った。マスターはその言葉に返答はせず、ただ笑みを浮かべているだけだ。
何だ、一体何でマスターはここまで強気でいられるんだ? 先程までミカの心境からなる胸の痛みスッと消えうせ疑問と不安がグルグルと渦巻く。
俺達二人の視線を浴びながらマスターは不意に携帯を取り出し時間を確認する。そして今にも飛び出しそうな笑いを必死で抑えるように肩を震わせてから。
「……そろそろ頃合いだな。二人とも会場にいる客を見たまえ」
マスターの言うとおり会場にいる客に視線を向ける。視界に見えるのは手に持っていた荷物を地面に置いてダランと無気力に両腕をぶら下げその場に立ち尽くしている人々。勿論たま子もその一人だった。
この異常な光景に思わず目を疑い、疑問と不安の渦が更に加速していく。そんな中で俺にある一つの仮説が生まれた。
――注目を集めていたのは単に売り上げを伸ばす為ではなく、皆に魚を食べさせる為の手段で本来の目的は……。
「ま、マスター。もしかして……」
俺は仮説を立証させる為、マスターに聞こうとしたその時。
「う……うぅ……うがー!!!」
たま子が奇声を上げながら屋台に直行してくる。それを皮切りに会場中にいた俺達の売っている魚を食べた人間が皆人間とは思えない声を発しながらこちらに向かってくる。
「魚、魚をくれー!!!さかなぁあああああ!!!!」
「あががが!!あがががあああああ!!!!」
「金、金なら幾らでも払う! 払うから全部俺によこせぇえええええ!!!!」
白目を引ん剥いてまるでゾンビと化した客が一同に屋台に群がる。理性がぶっ飛んでいる様子だがそれでも財布だけはしっかりと握り締めていた。
「ふははははっ!!! 見ろ多田君っ! リピーター客がこぞって来てくれたぞ! まるで糞溜めに群がる蝿のようだな!」
とうとう堪え切れなかった笑いをぶちまけるように、腹の底から笑うマスター。ミカは群がる客の波に押し退けられて遠くの方で呆然と立ち尽くしていた。
「マスター! あんた魚に何か一服盛ったなっ!?」
「言い方が酷いな。私はただほんの少し悪魔的調味料を加えただけだ。それより多田君口を動かしている暇があるのなら体を動かしたまえ。お客様が涎を垂らしながら待っているぞ」
「こ、この人でなし! 悪魔!」
この人道的に反する行いをしたマスターに俺は猛抗議する、マスターは反論することも怒ることもなく、ただ俺に一言だけ告げる。
「何とでも呼びたまえ。私は元より悪魔だからな」




