魂のギャグ
俺はそのままアンプを地面に置いてマイクを握り屋台の前に立った。まだ会場内に入ったばかりの人、ミカの屋台に並ぶ列の後方で暇そうに携帯を弄っている奴らの視線が少しずつだが俺に集まってくる。
その視線が一つ、また一つと増える度にマイクを握る手からは汗が滲み出てきた。
人は大小の差はあれど注目されれば少なからず緊張する。中学の生徒会長選挙のとき会長に立候補した地味な団子鼻の女の子が緊張のあまり泣いてしまって某県議会議員のような嗚咽まじりの演説をしていたのを思い出した。
当時は生徒会なんてただの自己顕示欲が高い奴らが他人より優れたいがための手段だと考えていたし、その癖大泣きするなんて本当にアホくさいと思っていたが今はあの女の子の気持ちがわかる。
人の視線とは恐ろしいものでその瞳の奥では一体何を考えているのか分からない。人間、分からないことに対して次第に恐怖心を抱く。
杞憂という故事成語がある。昔の中国の杞という国に住んでいた男がある日天が地面に落ちたり、大地が崩れてこの世が崩壊するのではないかと憂い夜も眠ることが出来なかった。そんな有り得ないことを心配するなんて愚かな奴だという皮肉が語源になったこの言葉だが俺は憂いた人の気持ちはあながち間違いではないと思っている。
人生というのは何があるのか分からないものだ。現にバイト先で悪魔の相手をしたり自分の所有権つまり命を賭けられたり、こうして人前で一発ギャグをさせられる羽目になっているのがいい証拠だろう。
話を分からないことは恐怖心に繋がることに戻すが例えば受験の合格発表、当日はドキドキするものだ。そのドキドキは心が躍っているから来るものなのだろうか? これから先のキャンパスライフに胸をときめかせているのだろうか?
違うだろう。もし、落ちたとき僕私は一体どうなるんだろうとか今までの努力が叶わなかったらどうしようだとか親、学校の先生、友達になんて話せばいいんだろうだとかそういう不安と恐怖からくるものだ。
視線だってそう、例えば道中で女の子とすれ違ったさい偶然目が合ったとき、その女の子はどう思っているのだろうか。「うわ~このキモイ奴私のことガン見してるんですけどぉ」だとか「こいつ顔面フランケンシュタインなのになんで堂々と街歩けるんだろううける~笑笑」だとか思われていたらどうしようと不安になったりするだろう。
目は口ほどに物を言うなんて言葉があるがあれは心理学者とかメンタリストとかそういう専門的な人間なら分かるのかもしれないが一般の、普通の俺には分からない。人間誰しも腹に一物を抱えておりそれを見せると嫌われるかもという心配と恐怖から見せようとしない。そしてこの人もしかしたら心の奥底で黒いこと考えているかもという分からないから起こる疑心が恐怖心に繋がることもあるのだ。
長々と語ってしまったがこれは決して一発ギャグをしたくないから現実逃避をしているわけではない。俺が言いたいのはこんな分からない奴らの前でギャグなんてやりたくない。もっと言えば早く帰らせてくれってこと。
チラリとマスターの顔色を覗いてみる。彼女は不機嫌そうに目を細めてこちらをジーっと見ている。先程普通の俺には分からないと言ったがこれは流石に分かる。早くやれよぶっ殺すぞってことですよね。
そもそもギャグというのはネタありきの話で即興で人を笑わせることなんて無理だろ、プロの芸人じゃあないし。クラスに一人はいた面白いと言われる奴だって大体はテレビでやっていたネタをパクッて笑いとってただろ。それで調子に乗って今度はオリジナルネタをやってだだすべりなんて学校あるある過ぎる。
普段人を笑わせることもなく、笑われることもなく生きてきた俺が急にギャグをやれなんて無理な話なのだ。
しかしやらざるを得ない訳で。
俺は溢れ出る手汗をジーパンで拭い大きく鼻から息を吸った。くそっ! 面白いこと言えばいいんだろっ! 言ってやるよっ!
「……オランダ人の留学生が昼飯の時に鞄から急にミカンを取り出したんだ。そいつはこう言った『このオレンジおらんだ』ってね」
漫画の効果音なら『シーン』という表現がぴったりなほど、会場は静まり返る。それに対して俺の体の中では血液がマグマのように煮えくり噴火しそうな勢いでつま先から頭の旋毛まで昇ってくる。
ああああ!!! 恥ずかしいぃいいいい!!!
本能的に自己防衛が働いたのか俺は咄嗟に両手で顔を覆った。頬は今にも火傷をしそうなくらい熱い。
恥ずかしくて死にそうだ。でも死因がそれだったらもっと恥ずかしいので死なないように意識を保ちつつ俺は覆った両手の指を僅かに開いてマスターの顔色を伺った。もうこれだけやったのだ。十分目立っただろう。
マスターは何をしていたかと言うと何処からかガラゲー、つまり二つ折りの携帯電話を取り出しており、指でポチポチと携帯を弄る。そして耳にかざしたタイミングで俺の携帯がブルブルと振動した。
完全に察した俺は当てが外れることを祈り携帯を取り出す。液晶画面には『090-444-444』となんとも不吉なフリーダイヤルから電話が来ていた。
恐る恐る電話に出てみると声の主が幼いが大人びている声で一言。
『もっとやれ』
それだけ言い終えるとブツリと通話が終了した。俺はマスターの顔をもう一度見てみる。目が合ったマスターは悪魔の笑みと形容するのが一番相応しいだろう笑顔をこちらに向けてきた。
くそっ! くそっ!くそぉおおおおおっ!!!
俺は地面に転がっているマイクを拾い直す。そして。
「……ロシアの殺し屋恐ろしや!」
……。
「このイクラいくら! はまちハウマッチ!」
…………。
「隣の客はよく柿食う客だっ!!!」
……………………。
「くそ! もう殺せ! 俺のことを殺せぇええええ!!!」
ハウリングががった俺の悲痛な叫びも虚しく、会場には悲痛な程の静寂しかない。
誰か、誰か殺してくれぇえええええ!!!




