『核芯』
「あの、姉さんってのはつまり……」
「はい。バー『DEVIL』のマスターであるベリルは私の姉です」
ミカは顔色一つ変えずにしれっと重大なことを言いやがった。
姉さん、姉さんね。それは決してアスモデウスのことを姉さんと呼んでいる訳ではないよな?
ひとまず落ち着こうとコップを持って水を飲もうとするがカラだった。くそ、動揺しすぎだろ俺。
まぁ確かに、ミカとマスターの雰囲気はどこか似ているなと思っていたし、色々準備がいいところも通じるところがあるし、後はその、認めたくはないが二人とも可愛い顔してるし。
「そ、そんなに見つめられると恥ずかしいです……」
ミカが目を伏せて俺から視線を外す。透き通った白肌がほんのりと赤くなっている。どうやら無意識のうちに彼女を凝視していたらしい。俺の悪い癖だな、注意しないとそのうちまた面倒な目に遭う予感がする。
それにしてもだ。本当にマスターとミカが姉妹なら疑問も沸いてくる。マスターは悪魔でミカは天使というのはおかしな話ではないか。しかもマスターは天使と神に対してボロクソ言ってたしあまり好意的ではない。もっと言えば大嫌いな存在なのだろう。
恐らくこの疑問を解消するには例の禁断の果実に触れなくてはいけない。昨夜もそうだったが俺はこの話題についてはあまり踏み込みたくないし、触れたくない。
しかしだ、きっとこの話題は今後バイトをやっていく上で避けては通れないとも思う。まぁ話の流れ的に聞かざるをえないってのもあるが。
「色々聞きたいことがあるんだけど、正直何から聞けばいいのか分からないんだ。だから教えてくれないか? 君に……マスターにどんな過去があるのかを」
だから俺は自ら禁断の果実へと手を伸ばした。
ミカは俺の方に顔を向けたが、視線は俯いている。何から話せばいいのか、それ以前に話すべきなのかを考えているようだ。
だが、それでも決心がついたようで顔を上げ、大きな瞳でこちらを見据えてから、彼女は口を開いた。
「……私達姉妹は天界でも比較的裕福な家庭で育ちました。父も母も天使達をまとめる大天使として部下からも信望が厚い方でした。そんな二人のような立派な天使になりたくて、私達姉妹は勉学に励みました」
「姉さんは幼い頃から頭が良くて、少し教えれば何でも出来るようになるような、天才だったんです。私とは違って……だから高校も大学も天界のトップの学校を卒業して」
「ちょっと待って」
ミカの話の途中だったが俺はそれを遮る。
「ん? 私何かおかしなこと言いましたか?」
彼女は人差し指を顎に当てて、キョトンと首を傾げた。
まぁ、ミカは真剣に話してるのでそれを遮られたらキョトン顔もするよな。でも一つツッコまなくてはならなくて。
「大学卒業したってことはつまり、二人とも俺より年上なわけ?」
だって二人とも見た目は完全に幼女だ。赤いランドセルとリコーダー。いや、水色のスモックに黄色い帽子がお似合いだろう。
「多田さん。私達天使も悪魔も年齢なんて関係ないんですよ。実力主義の世界なので」
「へ、へぇー」
何だか上手く誤魔化されたがこれ以上ツッコむと本題から大きく逸れてしまうのでやめておいた。
「何か他にご質問はありますか?」
「いや、特には……」
ミカが仕切り直しとして一泊間を空けてから。
「私も後を追いかけるように天使になりましたが、その時には姉は既に大天使の上、権天使となっていました。そんな姉を目標に仕事に勤しみましたが才能という差は埋めることが出来なくて、最終的に姉は熾天使まで登りつめたんです」
「その、よく分かんないけど熾天使ってそんな凄いの?」
天界の常識も知らないので凄さがイマイチ分からない。セラフィムっていう単語なら聞いたことがある気がするが。
俺の質問に普段クールな表情のミカが大きくて綺麗な瞳を大きく見開いた。
「す、凄いも何も熾天使って言うのはですね、天使の中で一番位が高くて、この世界において唯一神との会話が許される存在なんですよ! 天界の長い歴史の中で数名しかなれない、しかもその中で最年少ですから最早伝説的なんです!」
両手をブンブン振って力説するミカ、しかし俺はそんなに驚けなかった。
話のスケールが大きすぎてよく分からないのもそうだが、あのマスターだし、別にそれくらい実力があってもおかしくないよなぁ。
でも、それなら更に疑問は肥大する一方だ。熾天使だったマスターが今は悪魔で、しかも人間界で小さなバーを経営しているのはおかしい。
興奮から覚め、落ち着きを取り戻すように息を吐いたミカ。その表情は何処か暗い。恐らく次に彼女が語るのが俺が今疑問に思っている部分、つまり禁断の果実の芯になる部分だろう。
「熾天使になってから、姉は変わってしまいました。前までは誰にでも優しい人だったのに急に無関心になって誰とも言葉を交わさなくなってしまったんです……私にも。」
「そしてある日、姉は何処かへ消えてしまいました。……私がいけなかったんです。私がもっと早く気づいてあげれればあんなことにはならなかったのに……」
ミカは肩を震わせて、それを沈めるようにギュっと両肩を掴んだ。
俺はとうとう触れてしまうのだ。禁断の果実の中心部にある種の部分に。
心臓が不思議と加速していく。何故だ? 話の結末を知りたいという探究心からか? それとも核心に触れたくはないという恐怖心からか?
とにかくそれが不快で仕方なくて、全身から嫌な汗が滲み出て来る。出来ることなら早くこの状況から開放されたい。
しかしミカは中々話を切り出してくれない。当たり前だ、それだけ話しづらい内容だということはいままでのことを踏まえれば簡単に察しがつく。
だが俺だって限界にきている。今すぐにでも叫びだしそうだ。
そんな俺を見て、彼女は決心がついたのか、色が薄い唇をキュっと嚙み締めてから、ミカは言った。
「――姉は、ベリルは天界に対して、神に対して仇をなしました。そう、謀反を起こしたのです」




