モノクロの走馬灯
予想外の悪魔の登場でお淑やかで穏やかな空間に緊迫した雰囲気が漂う。悪魔の顔を見れば前にアスモデウスにシメられた蛙とその子分のようだ。
「お客様、騒がれますと他のお客様にご迷惑ですので」
長髪のイケメン店員が止めに入るが蛙の怒りは収まらないようで。
「うるせぇっ! お前らのせいでな、こっちは商売上がったりなんだよ!」
「そうっすよ 天使なんかこの街から出て行け!」
瞼があるかどうかは分からないが蛙特有の目を線のように細くしてガンを飛ばす。
俺は取りあえず目立たないように机に伏せて戦況を見守ることにした。まるで闇に溶け込む忍者のように、そっと周りの空気と同化するのだ。こんなことならマスターから貰った忍者セットを捨てずに持ってこればよかった。
しかし、悪魔の乱入なんて予想外だ。あいつら何しに着たんだよ全く。よく見れば顔が赤いし、酔っ払った勢いできやがったな。鬱憤が溜まっているのは知っているが乗り込んでくるとかさぁ、全く知らない訳じゃあないので何故か俺が恥ずかしくなってくるんだけど。ほら、学校祭なんかで普段調子に乗ってるやつが漫才なんか披露してだだ滑りしてる時と気持ちが似ている。
そのまま状況を見つめているとイケメン店員がふぅっと一息ついてから。
「なるほど。つまり貴方達は客ではなく、荒らしにきた悪魔だと……」
店員が顔を俯かせる。そして金髪を靡かせながら上げた顔に、背筋から悪寒が走った。
その顔に天使の笑顔なんかはどこにもなく、汚物でも見ているかのような瞳をしているからだ。
「な、なんだその目は。やんのかこらぁっ!」
蛙も怒声で応戦するが声が明らかに上ずっている。店員の威圧に怯んでいるのがあからさまに分かる。
店員は何も言葉を発することなく、蛙に近づく。
そして。
「これ以上近づいたら本当にやっちまうぞこらっ……ゲコっ!」
鈍く、そして鋭い衝撃音と共に聞こえてくるのは蛙を踏みつけて全身の空気が抜けるような声。
一瞬のことだったので何が起こったのか分からなかったが綺麗に掃除されている床に蛙が潰れるように横たわっていた。
「兄貴……っ!」
隣にいた子分が駆け寄る。しかし蛙は長い舌を出したままピクリとも動かない。
「小汚い悪魔め。私の手が汚れてしまったではないか」
店員がポケットから白いハンカチを取り出し、手を拭う。
「これはもう使えないな」
そしてそのハンカチを蛙に投げ捨てる。ヒラヒラと何度か旋回しながら蛙の顔に被さった。それはまるで死人に被せる白布のようだ。
何処からかふと笑い声が聞こえてくる。それに釣られるように周りで優雅に酒を飲んでいた客も蛙の様を見て笑った。
微笑ましいという意味で笑っているのではない。これは嘲笑だ。いじめの加害者やオタクを見下している人と同じ、自分達が格上だと、集団的から見て自分は正しいと思っていることから生まれる優越感と少数派で力の無い人間を心底見下す気持ちから生まれる笑いだ。
どうやらマスターの言っていたことは正しかったらしい。天使は自分達種族以外を完全に見下しているようだ。
「さて、このゴミをそろそろ処分するとしましょうか。貴様ら下等生物を元居た場所に返してやろう。無価値な魂としてな」
店員がおもむろに手をかざした。すると手から謎の光が発光し、それが段々と形になっていく。姿を現したそれは天使を想像する上で欠かせない道具、弓と矢だ。
店員は矢じりを蛙に向けて弓を引いた。引くたびに彼の顔が歪んでいく。それは天使などではなく、悪魔の笑みだ。
俺はどうするべきか。助けに行くべきなのか。
しかし俺が行ったところで何も出来ない。きっとあの天使は助けに入った俺ごと打ち抜くだろう。
それに俺があいつらを助ける義理なんてものはない。そもそも俺は悪魔なんて嫌いなんだ。馬鹿で間抜けで騒ぐことしか能が無い連中。救いようの無いどうしようもないアホ共。俺の人生において必要の無い存在だ。
そんな奴らのために命を落とすかもしれないリスクを背負うなんてない。
危険なことは冒さない。面倒事には首を突っ込まない。これが平凡で平穏な人生を送る上での哲学だろ。ならこのまま座って黙っているしかない。
そんな時だ。
「やめろ! 兄貴に手は出させないっす!」
子分がうつ伏せになっている蛙の身体に覆いかぶさり懸命に守ろうとしている。
「何の真似ですか? まさか師弟愛とでも言うのかな? ゴミにそんな感性があるなんて滑稽だな」
店員が矢を構えたまま、馬鹿にするように鼻で笑った。それと同時にまたも店内に響く薄気味悪い笑い声。
そんな中でも、子分は必死で叫んだ。
「確かに兄貴は直ぐ調子に乗る馬鹿っすけど。それでも優しくて俺のことを守ってくれるマジかっけぇ兄貴なんです! だから、俺も兄貴のことを守る、絶対に!」
声は裏返り、恐怖から身体が震えている。そのみっともない姿に嘲笑の声は一段と大きくなる。
そんな四面楚歌な状況でも俺には、俺だけにはその悲痛な叫びはしっかりと伝わった。
悪魔はどうしようもない連中だ。本当に馬鹿ばっかり。
でも、俺は知っている。あいつらは自分の感情を隠せるほど器用ではないことを。自分に嘘がつけない馬鹿正直な奴だということを。
だから笑ったり、泣いたり怒ったり裏表のない表情を見せてくれる。夢や目標に向かって頑張ることが出来る。
今の世の中、彼らの様な個性や感性を持っている人間は必要とされていないのかもしれない。
でも、俺は。
「……お客様。どうなされましたか? 急に立ち上がって」
店員、そしてその他客の視線が立ち上がった俺に向けられた。
「バーの兄ちゃんじゃないっすか! なんでこんな所に?」
子分も気がついたようで俺に声をかけてくる。それによって店内の嘲笑はざわめきに変わった。
全くあの馬鹿。これでトイレに行くという言い逃れが出来なくなったじゃないか。
俺はテーブルに置いてある果実酒を一気に飲み干す。こんなことは絶対言いたくなかったが酔わないとこの状況やってらんねぇ。
そのまま歩いて、悪魔と天使を間を割って入った。
「いやぁすいませんね。僕の知り合いが粗相を起こしちゃって。直ぐ帰らせるのでこの辺にしてくれませんか?」
腰を低くし両手を合わせて万年平社員のようにペコペコ頭を下げる。
しかし、そんなものが通じる相手ではなく。
「なるほど。どうやら先に溝鼠が一匹紛れ込んでいたのか。見たところ人間のようだが悪魔と繋がりのある人間などこいつらと同じゴミ屑。まとめて掃除してやろう」
店員が俺矢じりを向け、構え直す。その目には一切の迷いなどなく、間違いなく俺を射抜くつもりだ。
俺と店員との距離は一メートル弱しかない。何か俺が動けば即刻矢が放たれるだろう。つまり逃げることは不可能だ。
ならば避けるか? いや、それも駄目だ。俺は某SF映画のキャラではないし、超有名推理漫画の髪型が角だと揶揄されているヒロインでもない。普通の大学生が至近距離から放たれる矢を避けることなんてのも不可能だ。
「兄ちゃん……」
後ろで子分が怯えた声を出す。分かってるからちょっと黙っててくれ。今脳みそ振り絞って考えるから。
逃げるのも避けるのも不可能。となると反撃に出るしか活路はない。
しかし俺に反撃できるほどの力もないし道具もない。こんなことなら本当に忍者セット持ってこればよかった。スポンジなんかで太刀打ち出来ないけど。
まさにこの状況は背水の陣、いや、三途の川の前に立たされ、後ろで処刑人が剣を背中に突き立てているような絶体絶命。
「さぁ。魂となって地獄で永遠に悔やむがいい」
店員が弓を大きく引いて、今にも俺を射殺そうとしている。
俺の人生はどうやらここまでらしい。
平凡で平穏な生活。普通な人生を望んでいたのに、俺の最期は悲惨で呆気ない終わり方らしい。
人間、死ぬときは走馬灯なる物が脳裏によぎるらしい。俺の頭の中でも、幼少期から今までの歴史がモノクロ映像で駆け巡る。
どれも大した思い出ではない。B4サイズの紙に纏まるような人生。
それでも最後に浮かんだのはどういうことか分からないがバーのいつもの風景だった。
酒を飲んで暴れまわるクソ悪魔共。どエロい格好をしているムウマ、俺にウィンクしているアスモデウス、自信満々に勝負を挑んでくるアイニィ。
そして、余裕そうな笑みを浮かべながらグラスを拭いているマスター。
「は、はは……」
自然と笑いが零れる。あれだけ嫌いだったあいつらを最期思い浮かべるなんてほんと、笑いしか起こらねぇよ。
店員は無機質な顔で弓を最大限に引き、俺に照準を合わせた。
俺は最期の抵抗としてギュッと両目を瞑った。
――さよなら。クソ悪魔共。
その時だった。
「待ちなさい」
殺伐とした空気を断ち切る透き通った、それでいて何処かで聞いたことのある声が聞こえる。
そっと目を見開いてみるとそこに立っていたのは。
「み、ミカ?」
白い浴衣を身にまとった白髪の幼女、ミカがそこにはいた。




