公園 幼女 お掃除
次の日、俺は大学の昼休みでいつも通り公園で一人コンビニのサンドイッチを食べる。
さて、今日はバイトにはいかず、例の天使が経営しているバーに行かなくてはならないのだが。
マスターから言われた潜入工作とはつまりスパイ活動をしろということでまた面倒なことに巻き込まれてしまった。
まぁ、相手の内部事情を探るってのは悪くないアイデアだし、潜入するなら人間である俺が行くってのも理にはかなっている。
しかし、スパイなんてろくなモンではない。まずスパイをしている奴らというのはどいつも訓練されたエリート人間がやる職業で普通の大学生の俺には無理だ。
そしてスパイ映画では必ず敵に見つかって捕まるだろ? んで拷問だとか幽閉されたりするわけだよ。何で俺が痛い目に遭わなくてはいけないんだ。何も悪い事してないのに。
その旨を昨日マスターに言ったのだがバレなければ大丈夫だとか皆やってるからだとか中学の保健体育の教材でよくある煙草を勧めてくる先輩のようなことを言われてあしらわれた。
後、帰るときにスポンジで出来た手裏剣やクナイが入っている「なりきりっ! 忍者セット」と百円ショップで売っている仮面ライダーの雑魚キャラが被っているような黒いマスクを貰った。これで俺にどうすれと。
俺はこのやるせない思いをコンビニのブレンドコーヒーと一緒に飲み込んだ。今日のコーヒーはなんだか一段と苦い。
「お砂糖使いますか?」
唐突に隣から声が聞こえてきて体がビクつく、その反動でコーヒーが気管に入って思い切りむせた。
「……なんでお前がいるんだよ」
呼吸を落ち着かせてからいつのまにか隣に座っていた着物を着た白髪の幼女、ミカに尋ねる。
「お前じゃないです。ちゃんと名前で呼んでください」
ミカは膝にポーチを乗せてそっぽを向いている。
全く面倒くさいやつだな。最近の幼女はこうも変わった性格の輩ばかりなのだろうか。
俺はため息を零した後で。
「……ミカはなんで俺の隣にいるの?」
するとミカはコホンとワザとらしく咳払いをした。
「たまたま偶然お散歩をしていたら多田さんをお見かけしたので」
「ふぅん。そうなんだ」
そうなら一声かけて欲しかったんだけど。びっくりしたじゃんか。
「多田さんはどうしてここにいるんですか?」
俺の気も知らずミカが呑気そうな顔をしながら尋ねてくる。
「今は昼休みだからここで昼飯食べてたんだよ」
「お昼ごはんでしたか。お一人で?」
「そうだよ」
俺がそう言うと彼女はふぅんと呟いてから空を見上げた。今日も清々しいほど青空が広がっている。
「珍しいですね。学生というのは常に集団で行動しなくては生きていけない生き物だと教わったのですが」
それ誰から教わったんだよ。
まぁあながち間違いではない。中学や高校なんかでも常時一緒に行動している女子グループなんてどこの学校にもいるだろう。あいつらトイレにも一緒に行くからな。なんなの? レズなの? 学校でいけないことでもしてんの? ……そんな妄想はキモオタに任せるとしてだな。
「こうして一人で食べるのが一番ストレスがなくて美味しく食べられるんだよ。学食なんか行ったらうるさくて堪らないからな。そもそも群れるってのはそれだけでストレスなんだ。誰かに気を使わなきゃいけないし、その場のノリにも合わせなきゃいけない。そんな面倒くさいこと俺の人生には必要ないんだ」
「では質問しますが、多田さんの理想の人生ってなんですか?」
唐突な質問に言葉が詰まる。普通幼女に人生とは何かと尋ねられて簡単に言えないのは当然のことなんだろうが。
何か適当な事を言ってはぐらかそうとしたが彼女の瞳は真剣だ。
ならば俺も真面目に答えるのが筋というもので。少し考えるために間を空けてから。
「……普通な人生。平凡で平和で何事も無く終わる無難な人生だな……今は全然そうじゃないけど」
真面目に語るのが恥ずかしくなったので語尾に適当な言葉を付け加えた。実際悪魔共のせいで平凡な日常を過ごせていないのは間違ってはいないのだが。
暫しの沈黙が公園に広がる。そうすると周りからは生活音や車が走る音などが聞こえてきた。
ミカからの返答は帰ってこず、段々と恥ずかしくなってくる。俺は幼女相手に何人生観を語ってしまったのか。
堪らずミカの顔をチラリと見てみると。
「……そういう考え方をする人間もいるんですね」
彼女は俯きながらもその表情は微笑んでいるようにも見えた。
俺はどう声をかければいいのか分からなかったので彼女から視線を外して公園をボーっと眺めることにした。
すると俺の服の袖がチョイチョイと引かれるのも感じ、向いてみるとミカがちょこんと摘んでいる。
「何かあったの?」
「多田さん。ズボンが汚れてますよ」
ミカに言われてズボンを見ると先ほどむせた為か丁度股の部分が僅かだがコーヒーの染みになっている。
「ああ、別に気にすることないよ。直ぐ乾くだろうし」
「いいえ、駄目です。この手の染みは放って置くと洗濯しても落ちませんからね」
そう言うと膝に乗せていたポーチからハンカチを取り出した。
「ジッとしてて下さい。私が拭いてあげます」
「いや、大丈夫だって!」
俺が言うが彼女はそれを無視して身を乗り出し、俺の両膝に前のめりになる。
いやいや、これはまずいでしょ。平日の昼間、公園のベンチに幼女とこの体勢ってのは通報物だ。
なんとか逃れようとするのだが。
「ジッとしていて下さい。上手く拭けないじゃないですか」
ムスっと頬を膨らまし俺を見上げてくるミカ。そういう問題じゃあないんだよなぁ。
抵抗しても逃げられないのでここは素直に彼女に従うことにした。その方が早く終わるだろうし。
彼女は丁寧にハンカチで拭く。恥ずかしいのと歯がゆいので身体がムズムズしてきた。それと同時にミカから漂うシャンプーか、それとも彼女自身のいい香りが俺の鼻腔をくすぐった。
「あの、まだ時間かかりそう?」
「まだです。こういうのは優しく、丁寧にやらないと……」
擦る手を休まず、俺の問いに答える。色々御幣が生まれる発言やめてくれないかな?
「んっこれで大丈夫ですね」
やっとお掃除が終わったようでミカが俺の膝から離れる。一仕事終えたかのような満足げな顔をして、額の汗を拭った。
膝にはまだ彼女の温もりがじんわりと残っており、心臓もドキドキと世話しなく動いている。誤解を生むといけないので言っておくがこのドキドキは警察に通報されないか心配のドキドキだからな。
「その、ありがとうね」
俺はミカにお礼を言った。何はどうであれお礼はちゃんと言わないとな。
「いいえ。多田さんにはこの前お水を頂いたので何かお返しがしたくて」
「別にお返しなんていいのに。水もたがが百円だし」
「違います。値段ではないのです。してもらった分はしっかり返す。それが私なので」
「そういうもんなの?」
「そういうもんです」
そんな他愛の無い話が何処か可笑しくて俺は笑った。ミカも俺に釣られるように仏頂面から笑顔になった。
俺は携帯を取り出して時刻を確認する。そろそろ昼休みも終わりだ。本当に帰らなくてはいけない。
ベンチから腰をあげミカに別れを告げる。そして彼女に背を向けて公園から出ようとしたとき。
「あ、あのっ!」
もう一度袖をミカに袖を掴まれ俺は足を止める。
振り返ると彼女はその雪のように白い肌を僅かばかり赤くして。
「多田さん。また明日も公園に来ますか?」
「多分また来ると思うけど……」
俺がそう言うと彼女は一瞬頬を緩ませたかと思うとまたいつも通りの表情に戻って。
「そうですか。急に引きとめてすいませんでした。それじゃあまた」
俺から手を離し、胸くらいの高さで小さく手をひらひらと振って見送ってくれるミカ。
俺は見送られながら大学へと足を運んだ。途中でふと空を見上げてみると飛行機雲が真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ一直線に伸びていた。




