白髪の幼女
「暑い……」
俺は講義を終えて、家路についていた。
もう十五時を回ったというのに太陽は暮れるどころかギンギラリンに輝き、姿の見えない蝉が声のでかさだけが取り得の大学生のように騒ぎ立てていた。
これだから夏は嫌いなんだ。暑いしうるさいし、それに海だの祭りだのとイベントが沢山あって金が無くなる。かと言って冬が好きというわけでもない。冬もクリスマスや大晦日、お正月なんかあって忙しいからな。それに寒いのも苦手だし。
結局のところ六月や九月のように暑くも寒くもなく、これといったイベントが無い月が一番いいということだ。やはり平凡な日というのが最高。普通が一番だな。うん。
そういえば祭りで思い出したが近所の神社でも近々祭りがあるらしい。大学の同期が「今年こそはナンパして浴衣美人ゲットだぜ!」と息巻いていたがきっと去年の二の舞になって男だけで綿菓子を食べて終わるだけだろうなぁ。
そもそも浴衣美人には彼氏がいるものだし、大抵女同士で浴衣着て歩いているやつなんて自分に自信がある勘違いブスしかいないだろう。そんな女に手を出そうとは思わない。まぁ俺に彼女なんかいらないんだけど。
もっと言うなら俺はきっとその日もバイトで悪魔達の酒とゲロ大フェスティバルに参加しなくてはいけないのだが。しかも強制参加だ。
俺の口からはため息が漏れる。その息も蝉の必死な鳴き声にかき消された。
それにしても今日は暑い。下手をすればお年よりや幼女なんかが熱中症で倒れてしまうレベルだ。まぁ俺の知っている幼女はこのくらいの暑さじゃあ倒れないんだけどね。
「あはは……」
自然と乾いた笑いが出てしまった。
ほんと、あの悪魔幼女どうやったら倒せるんだろう。倒せさえすれば俺はあのクソバイトを辞めることができ、また平凡で平和な日常が送れるというのに。
正攻法で倒すのは不可能だとして、何かもっと違う方法がないだろうか。例えば弱みを握るだとか。でも弱みらしい弱みが見当たらない。なんでも完璧にこなす超人だし、弱みをあげるとすれば意外に可愛い物好きで熊さんパンツとか履いているところだが、それも堂々と履いてるしなぁ。
後は過去のことで強請るしかないのだが、マスターは自分のことを話す人ではないし、第一そんなゲスいことはしたくはない。
そんなことを考えながら歩いていると、俺の視界がある一点に止まり、それと同時に足も止めた。
道路のど真ん中に恐らく人が倒れていたからだ。
何故恐らくかと言うと倒れている人の頭が人間離れした雪のように白い白髪だったからだ。
俺は取りあえずその人に近づいてみる。見ればその白髪のように白く透き通った白肌の幼女だった。振袖の着物に下駄を履いている。おかっぱ頭に着物ということで座敷わらし、いや雪女を連想させる。
声をかけて意識を確認した後、救急車でも呼おうと思ったが、瞬時に止めた。俺の直感が警鐘を鳴らしている。これはきっと悪魔的案件だ。また面倒くさい目に遭わされるに決まっている。
そうならば無視するのが一番いい。面倒事には関わらない。関わらさせない。関わりたくない。これが俺の平和な日常を送るための三大原則。
少し気の毒だが仕方が無い。きっと心の優しい人が声をかけてくれる筈なので、俺は彼女から目を離して歩き出した。帰る途中にアイスでも買ってこう。
「待って……」
俺の服を後ろから掴まれ、そしてか細い消え入るような声が聞こえてきた。嫌々振り返ってみると白髪の幼女がふらつきながら立っていた。
「水を……水を下さい」
俺はお気に入りのスポットである公園のベンチに座っていた。
この場所に来ると国ヶ咲とムウマのことを思いだす。あの二人は上手くやっているのだろうか。まぁどうでもいいんだけど。
ベンチからぼぉーっと滑り台やらブランコやらを眺めていると隣からプハーっと可愛らしい音が聞こえてきた。
「……助かりました」
白髪の幼女が俺が買ってきた水を一気に飲み干した後、歳には似合わない凛々しい笑顔をこちらに向けた。
「いや、お礼なんていいよ……それよりなんで君はあんな所で倒れてたの?」
「はい。買出しに行っていたのですが。途中で可愛い猫ちゃんがいて、追いかけていたら迷子になってしまって……。道が分からない挙句この暑さに参ってしまって……」
「へ、へぇ……そうなんだね」
この子は不思議ちゃんなのかな? それともオツムが色々残念なの?
俺は愛想笑いを浮かべながら彼女を見る。倒れているときは気がつかなかったが彼女の瞳は紅蓮なルビーのような赤色だ。
やはり普通の人間ではない。それに、この佇まいと雰囲気は何処か……。
「あの、宜しければ名前を教えてもらってもいいですか? 命の恩人の名前知りたいんです」
「え? 俺の名前? けど命の恩人って言っても大したことしてないし」
もっと言えば素通りしようとしてたしね。
「いえ、助けてもらったご恩は必ず返したい性質なので。是非名前を教えてください」
小さな両拳を胸の前で固く握り締め、フンスと鼻を鳴らす彼女。
そこまで言うなら名前くらいなら名乗ってもいいが。
「多田 崇って言うんだ」
俺が名乗ると彼女は大きな瞳を見開き、ぱちくりと瞬きした。
「……貴方が多田さんでしたか」
まるで俺のことを知っていたかのようなことを呟くと彼女はベンチから立ち上がり、お尻に手を当て滑らせるように着物を整わせてから。
「お水ありがとうございました。……それでは多田さん。また近いうちにお会いしましょう」
俺から背を向けて下駄を鳴らす彼女。
「ちょ、ちょっと待って!」
俺は立ち上がり、彼女を止める。
「なんでしょうか? 私はこれからお仕事に行かなくてはいけないのですが。……ああ、私の名前を言ってませんでしたね」
「いや、それもそうなんでけど君はなんで俺の名前を知ってるんだ?」
「私はミカエロ……ミカと呼んでください。それでは」
俺の問いには答えず、ミカは公園から去っていった。
公園に一人残った俺。胸ざわつくのを確かに感じながら、ヒグラシの染み入る声が当たりに反響した。




