日が沈む中、そっと火が灯される
俺はアイニィをスタッフルームに送った。スタッフルームに行くとアスモデウスが母親面しておいおいとハンカチを涙で濡らしていた。すげぇワザとらしいんだけど。
そのまま海の家に戻ると。
「多田君。随分と遅かったじゃないか……って多田君?」
マスターが詰め寄ろうとしたところでキョトン顔で俺の方を見つめる。
「その額の痣はどうしたんだ?」
「いえ、気にしないで下さい。ただ転んだだけです」
そう、転んだだけ。
詳しく言えばトイレで怒り狂ったアイニィが俺に突撃してきてそれを俺は楽々回避してのだが床が濡れていた為その場で足を滑らせ転び、床に思い切り激突した。
お陰で文字通り頭が割れるかと思った。痣くらいで済んだのが幸いだ。危うく地獄で死ぬなんて間抜けなことにならないで良かった。
「しっかし何処をほっつき歩いていたか知らんがまさか怪我をして帰って来るとはな。濡れタオルでも頭に乗せて少し休憩していろ。その分戻ってきたときにはきっちり働いてもらうが」
「いえ、大丈夫です。俺働きます」
「そ、そうか?君が大丈夫と言うのなら無理に休めとは言わんが」
「はい、大丈夫です」
もう濡れタオルとか濡れビキニとかを頭に乗せるのは勘弁なので。
仕事に戻った後、俺は精一杯働いた。それはそれは必死に。
痣を晒しながら仕事をするのは嫌だし客に不快な思いをさせると思ったのでタオルを巻いて隠した。
タオルをきつく締め、トイレでの一件を忘れるべく、頭で考える余裕をなくす為に一心不乱に身体を動かす。
それでも一瞬身体を休めれば脳裏のスクリーンが映し出すのは恥ずかしがるアイニィの姿。
俺はその映像を途絶えさす為に両頬を思い切り叩き、仕事をこなす。
くそ!あの馬鹿次あったら絶対ぶん殴る。
午後の仕事をしてから数時間、気がつけば太陽が赤い海に半分浸かっており砂浜に設置されているスピーカーが遊泳時間終了のアナウンスを告げた。
これで海の家二日目も終わり、無事(と言っても額に痣が出来たが)に地獄ビーチでも仕事もこなした訳だ。
「はぁー終わったぁ」
身体を逸らしその場でストレッチ。ポキポキと身体から音が出てきてそれが気持ち良い。
結局この二日間仕事漬けで海に入る時間もなかったなぁ。アイニィとも約束していたがそれも叶わなかった。まぁどうでもいいけど。
さて、後は人間界に帰るだけだ。帰ったら家でゴロゴロして思い切り疲れを癒そう。
沈んでいく夕日を眺めながらそんなことを考えていると。
「多田君。二日間ご苦労だった」
隣にマスターがやって来る。
「マスターもお疲れ様でした。それで何時帰るんですか?」
「今すぐ帰ってもいいのだが。それでは折角海に着た甲斐がないだろ。売り上げも予定していた以上に結果が残せたので少々贅沢でもしようと思ってな」
「と言うと?」
俺の問いかけにマスターは細い腰に両手を当てて。
「もう準備は済ませてあるから後は向かうだけだ。着いてきたまえ」
そのままマスターに着いていくこと幾分、辿りつたそこは四本の支柱で支えられている屋根に中には何やら機材がある所。
「マスター。ここって」
「ふふっ海と言えばバーベキューだろ。食材班もそろそろ戻ってくる所だし少し待とうか」
海でバーベキューを連想するのは少しばかり安直だと思うが。まぁ俺も久々だし腹も減っているしそれはそれでいいか。
しかし、食材班ということは俺とマスターの他にも誰かいるってことだよな。……思いつく限りだとあいつらしかいないが。
「おーい!ベリルちゃん。崇ちゃん。買ってきたわよぉ」
そんなことを考えていると案の定向こうから袋を手に提げてこちらに手を振って来るのはアスモデウス。
そして隣には勿論アイニィもいた。
「お待たせぇ。ちょっと最寄のスーパーが遠くて時間かかっちゃったけどその代わり特上のお肉買ってきたわよぉ」
アスモデウスがビニール袋をテーブルに置く。その中には様々な種類の肉が入っていた。
「お師匠見て下さい!このかぼちゃ!めちゃ美味しそうでしょ!!」
アイニィも尻尾を振る子犬のようなキラキラした目でマスターを見つめながらスライスされたかぼちゃを興奮気味で持っている。
「ふむ、二人ともご苦労だった。それでは始めるとするか」
そう言ってマスターはバーベキューのコンロに木炭を入れる。それを均等に積み上げてから着火剤を入れて火を点けた。
メラメラと火は炎に変わり、木炭を燃やしながら煙を上げる。俺はその様を椅子に座りながら頬杖をついて眺めていた。
「お肉お肉ぅ!えへへっ楽しみっ」
ニコニコしているアイニィがやってきて隣に座る。
すると。
「げぇ。馬鹿多田の隣座っちゃった……」
先程のニコニコ顔は何処へやら、一気に冷めた表情をするアイニィ。どうやらトイレの件を引きずっているらしい。
俺としては早くこの件は鎮火して欲しいのだけど。




