悪魔なバイトの始まり
「え? あ、あの……」
突然の全く想像していなかった展開に思わず狼狽して変な声を出してしまった。店内をもう一度ぐるりと見渡してみてもそこにあるのは想像通りのBARの景色のみで俺とこの娘以外に人はいない。
となると先程の声の主はこの金髪少女ということになるが普通に、常識的に考えてそれはないだろう。きっと店主の娘がふざけて言っているだけでこの後すぐに父親が登場。うん、このパターンだ。
「えっとお嬢さん、俺はここのマスターに用事があるんだけど……」
「何を寝ぼけたことを言ってるんだ? 私がここのマスターだぞ」
そんな考えを吹き飛ばすように幼女にしては貫禄のあるしっかりとした口調で言われる。
いやいやおかしいでしょ。こんな子供がお酒を提供している店に働ける訳ないとか、食費衛生責任者の資格を取れないだろだとか色々ツッコミどころ満載なんですけど……。
「ふむ、何か私に言いたげな顔をしているがそれは時間がないから後にしてくれ。さぁ早く席に着きたまえ。面接を始めようじゃないか」
「は、はぁ……」
俺は今起きているありえない現象に困惑しながらも勧められた席に座った。
座った席は大人数用の席。赤い質感のあるソファーが対になり、その間に白を基調とした長テーブル、そのテーブルの隅には灰皿が置いてある。
テーブルを挟んで俺の前に座る金髪の幼女は地面に足が届いていないので浮いた両足をぷらぷらと揺らす。それと同時に後ろで結ってある金髪がゆらゆらと揺れた。
そのフランス人形を思わせる顔が俺の方を向き、向かい合うことで彼女のブルーな瞳が俺を観察するように見据えてくる。少女らしいキラキラした瞳の奥には何か普通人間の俺には理解出来ないような物が潜んでいる気がして自然と生唾を飲み込んでしまう。
「私がここの経営者でマスターのベリルだ。えぇっと君の名前は多田 崇君で間違いないな?」
「はい、多田 崇と申します」
ベリルと名乗る金髪幼女は俺が先日送った履歴書をまじまじと眺め、難しそうに顔をしかめる。なにかまずいことでも書いただろうか? いや大丈夫だ、ちゃんと見直しもしたし、ボロが出ないように無駄な事を書かなかった。普通の人生を歩んだ過程を普通に書き連ねた履歴書に間違いはないはずだ。
もしかして日本語が難しくて読めないのか? はたまた幼女だから字そのものが理解出来ないのか……そんな想像をしながら彼女の言葉を待つ。
すると彼女は履歴書から目を離し、ふぅーっとつまらない顔をしたおっさんサラリーマンが吐くようなため息をついてから。
「君、あれだな。何にも取り柄のない普通でつまらん男のようだ」
「はい?」
今なんて言った? 俺の聞き間違いじゃなきゃ凄い馬鹿にされた気がするんだが。
「長所も趣味もありきたりでつまらんし、顔もどこからどうみたって普通、まるで映画のエキストラのようなモブ顔だしな」
「ちょ、モブって言い過ぎじゃないですかっ!?」
「率直な感想を述べたまでだよ。……しかも君、特徴もない事を自慢に思っているだろう? 実につまらない男だな」
出会って間もない幼女にボロクソ言われると言う耐え難い屈辱に俺は涙が出そうになる。
しかし出そうになるだけで実際の心境としてはあまり辛くは無い。寧ろモブ顔と馬鹿にされて嬉しいまである。普通の顔だと言う事は容姿で目立たず、面倒くさい異性との交遊をしないですむので俺にとって好都合だからだ。幼女に馬鹿にされたから嬉しいとかじゃないから勘違いすんなよ?
「普通だと言われて喜ぶだなんて、君は変わり者だな。まぁそんな変わり者だから、きっとこの仕事にもすぐ慣れると思うよ」
「じゃあ、採用ってことですか? つか僕は別に変わり者じゃないです」
「いや、十分変わり者だ。何か特別な存在になりたい。他人よりは優れていたい。普通の人間ならそう思うモンさ」
俺は彼女の言葉に何か反論しようとしたが言葉が出ない。その通りだと納得してしまったからだ。
だがしかし、平穏を願い生きてきた俺が間違っているとは思いたくない。
「僕は……俺は、確かに普通の人間とは考え方が違うかもしれない。だけど人間というのは必ず、平穏と平和を心の何処かで願って生きているんだ。赤ん坊から老人までね、そこに変わりはないし、それが普通なんだ。だから俺は普通の人間なんですよ」
そんな捨て台詞を吐いてから俺は静かに立ち上がり、暫くはお世話になる筈だったドアへと足を運ぶ。面接中にこのような態度をとってしまうのはNGだが仕方ない。こんな幼女が経営している普通とはかけ離れた所でバイトなど出来るわけが無い。
「俺は帰りますからねっ!それじゃあっ!」
そして扉を開く為取っ手を握りドアを引こうとしたのだが。
「あ、あれ? おかしいな?」
ドアを引こうと力を加えるもまるで向こうから引っ張られているかのような感覚が手元に伝わり、一向に開く気配がない。
「無駄だ、そのドアは私の意志で動かなくなっている」
「……なんなんですか? 超能力でも使ってるとでも言うんですか?」
そんな非現実的なことなどありえない。あってはならない。今度は少しばかり強引に扉を引こうとするも俺の意思とは裏腹に扉はうんともすんともいわない。
一旦諦めてドアノブから手を離す俺。その顔は恐らく火照って赤みを帯びているだろう。それとは対照的にとても人間とは思えないほどの白肌を持つベリルが不敵で涼しげな笑みを浮かべて。
「超能力? ふむ、少し違うが今はそれでいいとしよう。とにかく多田君、君を採用することに決めたよ。君のような救いようのない馬鹿こそ、このBARに相応しい人材だ」
「何を勝手に決めてるんですか? 俺はこんなクソみたいな所で働きませんからね! とっとと帰らせてください」
「いいや、駄目だね。もうこのBARに来たのが運の尽きだと思え。さっ開店の準備を始めるぞ……今日も『お客様方』が大勢いらっしゃるのでな」
「このチビ野郎があああああああっ!!!」
俺の悲痛な声は外に響くことはなく、この小さな部屋にだけ木霊した。
そして数時間後。
「ブヒヒっ!!! つい手が滑っちまって兄ちゃんに酒ぶちまけちまったぜ」
「お前豚何だから手っつても前足だろうがブルヒヒーンっ!」
「あ、そっかぁ! お前上手いこと言うな、馬だけにってかぁ? ブヒっブヒヒっ」
「へへっ兄ちゃん悪いねぇ追加でビール持ってきてくれや。この豚野郎を出荷前にアルコール除菌しなきゃいけないからな」
「お? まーた上手いこといいやがって! よ! 馬面! 三遊亭馬野郎!」
訳の分からないギャグとブヒブヒ、ブルヒヒーン等の馬鹿笑いを背に俺は持参してきた今日アイロンをしたばかりのハンカチで顔を拭いカウンターへと足を運ぶ。
――くそ! なんなんだこいつらはっ!!!
九時頃にもう一話更新しますっ!