ゲロの香りを感じながら俺は逃走を図る
時刻は午前四時、夜の闇は段々と薄れていき、空は明るくなっている。
バー『DEVIL』は今日も繁盛し、いつも通り悪魔達が馬鹿騒ぎしていた。
今は客もおらず、がらりとした店にいるのは俺とマスターだけ。
もう客も来る時間帯ではないため、俺は締めている蝶ネクタイを緩め、シャツのボタンを一つ開けた。
「多田君。少し話がある」
テーブルを拭いているとマスターから声をかけられる。
話とは何だろうか。
拭くのを一旦止めて、マスターがいるカウンターへと向かう。
「話ってなんですか?」
「ああ、実は急用ができてな。二日ほど店を離れることになった。それで明日からの二日間、君一人で店を切り盛りしてほしいんだ」
「えっ!?そんなの無理ですよっ!」
俺なんて碌に酒も作れないし、それにあのクソったれ悪魔共を二日間も一人で相手出来る気がしない。
「なぁに、心配するこことはない。君もここで働き始めて結構経つからな。上手く出来るさ」
そういい終わるとマスターはカウンター奥にある自室へと行く。そのまま待つこと数分、完璧に着替えたマスターがキャリーバックを引きずって出てきた。
今日のマスターコーディネーションは赤と黒を基調としたドレスで胸元には赤いバラの造花が飾られており、頭にはつばの広いハットを被っている。
「私はもう行かなくてはならないのでな。ほら、これが店の鍵だ」
ぽいっと俺の方に投げられる物を反射的に両手でキャッチする。
見てみれば以前買わされた怖い顔をしている熊のキーホルダーがつけられている。
あれ、結構気に入ってるんですね、マスター。
「何かあったら私に電話するといい。ではまた三日後に会おう。あっ店は自由にしていいが私の部屋は荒らすなよ」
「誰もそんなことしませんよっ!」
まぁ国ヶ咲辺りは漁りそうだが。
マスターはではな、と言い残し、そのままキャリーバックを引いてバーを後にした。
店に一人残された俺。静けさだけが店に残る。今日は取り合えずもう店じまいするか。
明日からの不安が残るが、今はそれを置いておいて、俺はドアに鍵をかけた。
マスターが出掛けて一日目。
いつものように開店準備をして、いざ開店させたのはいいが。
「おい、兄ちゃん早く酒もってこいよっ!」
「お前らっ!今日も騒ぐぞっ!」
「ビール下さいビール下さいっ!」
「すいませんっ!少々お待ちくださいっ!」
俺はぺこぺこ頭を下げ、大忙しで働く。
マスターが基本酒を作っていた為、その分も俺一人でこなさなくてはならない。
接客に加えてそれも俺一人がこなすのは大変忙しい。
くそっ!やりたい放題しやがってこのクソ悪魔共がっ!
カウンターとオーダーを行ったり来たりし、世話しなく足を動かす俺。
「おいっ!これ頼んだ酒と違うじゃねーかっ!」
「兄ちゃん俺の酒がまだ来てねぇぞ」
「ビール下さいビール下さいっ!」
「ああもう五月蝿いなぁっ!……いえ、すいません。すぐお持ちいたしますので」
一瞬本音が九割方出かけたがそこはグッと堪え、俺は仕事にとりかかる。
ええっとビールにウイスキー水割りと、後なんだっけ?ジントニック?スクリュードライバー?
もう訳が分からん、頭がこんがりそうだ。
取り合えずまず、ビールから作っていこう。そう考えビールサーバーのレバーに手をかけたが。
「あれ?動かない?」
レバーを下げようとするもビクとも動かない。
故障か?こんな忙しい時に勘弁してくれよ。
俺は力任せにレバーを下ろしてみると。
「どわっ!」
急に軽くなったレバーが下がり、勢いよく飛び出るビール。
受け皿に落ち、それが飛び散って俺にかかる。
顔も制服もビールで汚れてしまった。顔がビールくせぇ。
ビールで濡れ、テンションが完全にガタ落ちした俺に対して尚も飛び交う注文の嵐とクレーム。
そして極めつけなのが。
「うわぁっ!こいつゲロ吐きやがったっ!店員、早く掃除してくれっ!」
客の誰かがゲロを吐いたようでゲロの臭いと阿鼻叫喚が店に響き渡る。
……もうやだこのバイト。
心が折れ、その場に膝をつく。
そうだ、このままバックれよう。今はマスターも居ないことだし、これは逃げるチャンスだ。
俺は元々こんなバイト嫌だったんだ。これが辞めるチャンスじゃないか?
辞めよう、こんな場所。そうしよう。
立ち上がり、カウンターから出てそのまま帰ろうとする。
その時だった。
「たのもーっ!加勢しにきたわよっ!馬鹿多田っ!」
店のドアが開けられ、そこに立っていたのは仁王立ちをするアイニィ。そして右にバレエの決めポーズのように腕を広げるアスモデウス、左には気恥ずかしそうに佇むムウマ。
某有名漫画なら『ドオオーン』と効果音がつきそうな登場で三人が来た。




