普通の俺は普通にバイトを始める
例えばもし街中を歩いている中見知らぬ人に『貴方は普通の人ですね』と声をかけられたら、そいつはどんな反応をするのだろうか。
きっと世の大半の人間は声をかけられた事自体に最初は困惑するも次第に機嫌を損ねるだろう。何故なら『普通』と言うのは決して褒め言葉ではないからだ。
普通の容姿、普通の性格、普通の選手に普通の曲……どれも言われた側にとってはあまり喜ばしいものではないだろう。人間誰しも他人より優れていたいと思うものだし個性や能力なんかで周りと差別化、要は『自分』という存在を作り出そうと必死こいて頑張っている。
その思想自体地球上で何処の誰もが思っているありふれたアイデンティティの欠片も無い平凡でごく普通の考え方だというのにも関わらずだ。
俺はそんな大衆の輩とは違う。
ここでの違うとは何もハンドパワーやスプーン曲げ等の超能力に目覚めていたり、青春時代を美女に囲まれながら謳歌していたり運動神経抜群で何処の部活、サークルに引っ張りだこなんかでは無く普通という事に喜びを感じ、至って平凡で無難な人生を過ごしたいと思っていることだ。
ロックスターや俳優に憧れ極貧生活を過ごしながら叶わない夢に向かって頑張りたくも無いし、恋愛特有の悩みや恋人間の喧嘩もしたくない。ただ普通に学生生活を過ごし、普通の企業に入社に普通の給料の中普通に生活したいのだ。
こんなことを他人に言ったとすれば何ともつまらない価値観だと思われるだろう。しかしものは考えようで、一瞬の喜びのために人生の大半をボロクソな経験をして過ごすよりは普通に無難な生活を送り、少ない幸せであるが後悔のない人生を過ごす方が総合的に有意義な人生なのではないだろうか?
そういう訳で俺は平穏無事な人生を過ごそうと思ったその日からとにかく普通に過ごした。
中学に上がり異性を意識し始めて髪型を整髪料でベトベトにし、自己主張するかの様なカラフルなシャツをズボンからだしてだらしなく着飾ったり、お前ミニチュアダックスフンドかよと心の中でツッコまざるを得ない程の腰パンをしていた同学年の男共にも腹を立てることなく接してきた。
高校もそうだ。
下ネタ=面白いと勘違いした奴の周りが冷めているにも関わらずベラベラと唾を飛ばしながらしゃべり倒す馬鹿の声を四六時中我慢してきた。
大学デビュー(笑)で金髪にしたりピアスを開け始める輩の中、俺は黒髪、勿論ピアスなどは開けていない。
親から貰った大事な身体だからな、そんな安易に穴を開ける必要ないし、それがお洒落とか自己主張だとか思っている奴らで勝手にやってくれって感じだ。
そんな普通の俺だが、今少しピンチに陥っている。
と言うのも生活費が少々心もとないのだ。
親から仕送りも貰っているのだが普通らしく友人付き合いで食事や飲みが連日続いてお金が足りない。
そこで、バイトを始めようと思い立った訳だが。
「ここか……」
俺は面接をする為にバイト希望先まで来ている。そこは街中の所謂飲み屋街にあるビルの一室、店先には赤い看板に黒い文字で『BAR DEVIL』と筆記体で書かれていた。
そう、今回面接を志望したのはBAR。普通の奴がバイトをするのならコンビニの店員だろうと思われるがそれは違う。
レジ打ちを初め品出し、在庫確認補充から掃除という雑務全てをこなしながらお客様は神様なのでやりたい放題していいと考えているクソ若造、会計を済まさずに代金だけ置いてとっとと出て行くクソジジイや挙動不審でエロ本を買いにくるキモイ輩を相手にするのは人生を平穏に過ごしたい俺にとってストレスだけが溜まる仕事なのだ。
その点BARは居酒屋やその他酒屋と比べて何処か高級というイメージがあり、金無し能無しの学生や生き急ぎジジイなんかは滅多にこない。そしてここ『BAR DEVIL』の立地条件もあまり目立たない所謂隠れ家的な場所にあり、きっとここのマスターは初老の心穏やかな男性で来店するお客様も皆心もお金も余裕のなる知的な方ばかりだと思ったのだ。
俺はドアの前で深く息を吐き、呼吸を整えた。
バイトだからと言っても、面接だからな、そりゃあ緊張の1つくらいはする。
面接で大切なのは第一印象、スマートフォンのカメラ機能を使い、笑顔の練習をする。何時も通り、話の内容がクソカスの連中に振りまく愛想笑いを作る、うん、完璧なまでに普通の愛想笑いだ。
俺は待っているであろう初老ダンディ店主を頭の中で想像し、少しばかりの緊張を深呼吸で和らげてからこれから暫くは通うであろうBARの扉を開いた。
「こんにちは、今日面接に来た多田 崇と申しますが……」
店内に入り挨拶を済ませて想像していたマスターを探すがそれらしき人物は何処にもいない。その変わりに右前方向にあるいかにもBARらしいカウンター越しから金色の何かが揺れ動いた。
そして。
「よくきたな。君が多田君か……まぁ空いている席にかけたまえ、話を聞こうじゃないか」
そんなカウンターから現れたのは初老のダンディ店主でも、何処に居そうな普通のおっさんでもなく、まだ酒の味なんて到底知る余地が無い十歳程の金髪幼女だった。