アイニィという存在
「おい! なんだよコレ! 何なんだよイチャイチャカップルモードって!!」
画面上に映っている女の子達を指差し、俺はアイニィに問う。
「わわ私だって知らないわよ! 多田が変な気起こしてやったんでしょ!?」
「誰がそんな気起こすか馬鹿! 大体、プリクラの設定弄ってたのお前だろ! アホ! スーパーアホ!」
「ちょっとー! それは流石に言い過ぎじゃないの!? この! 馬鹿! ば、バカバカ多田ッ!!!」
今からイチャイチャカップルモードなる撮影をする二人だとは到底思えない罵り合いが始まり、圧倒的ボキャ貧により言い返せなくなったアイニィが俺のことを睨みつけてくる。なので俺も歯を食いしばり思い切りアイニィを睨み返す……ような振りをした。
ご存じだと思うが、プリクラとは言い換えると無人撮影機な訳だ。例え撮影途中に罵り合おうが、喧嘩をしようが、ペニが出たり引っ込んだりしようが撮影者である機械は一切止めようとはしない。
それを踏まえて俺が立てた作戦は、このまま不毛過ぎる言い争いを延々と繰り広げ、撮影時間が終わるまで逃げ切るというもの。ついでにアホアイニィをギャン泣きさせてプリクラの加工では誤魔化せない程の泣きっ面にしてやろうとも思っている……。え? 実は振りじゃなくて本当は怒ってるんだろうって? いやいや、怒ってないよ? 本当に怒ってないからな?
「大体お前なぁ、俺が家泊めてやった時も『変な事』するなとか言ってたけどなぁ……」
「……今から撮影が始まるよー! さん、に、いち」
俺がお前に『変な事』とか『変な気』起こすなんてありえないだろとか、俺が『変な気』起こすだなんて、マスターが俺に優しく微笑みかけてくれる事と同様全く持ってあり得ないことだからな、とか色々言おうと思っている所で撮影の合図が聞こえてくる。
アイニィが可愛いか可愛くないかをこの勝負で見極めてやるか。なんてどこぞの金髪悪魔幼女ばりに上から目線で勝負に挑んだ手前、俺の作戦や行動は傍から見れば逃げだと思われるだろう。
しかし、逃げるという行為は自然界の動物にとってごく普通で当たり前、尚且つ最も初歩的で重要な生存戦略であり、その戦略は我々人間のDNAにもしっかり刻み込まれているのだ。
従って普通人間の俺が逃げるのは至極当然であり、何かが起こる『兆し』から『逃げ』るのではなく、ソレをしっかりこの手で掴むために『挑む』んだ等と金八先生やゴルゴ松本に触発された馬鹿がベラベラ喋り腐っているのであれば俺は――。
「――あ?」
我ながら酷い言い訳を心の中で並べている時、アイニィが俺の腰に腕を回して、自身の方へグイっと引き寄せる。完全に油断していた俺はアイニィと密着する形で撮影カメラに収まる。
そのタイミングで眩い撮影フラッシュが筐体を包み込む。画面に表示された写真には中学男子の家族写真のような、機嫌の悪さと恥ずかしさが入り混じっている何とも言えない表情で片手ハートを作るアイニィと、呆気に取られ彼女ばりのアホ面になっている俺だった。
「おい、お前! 何すんだよいきなり!」
我に返った俺はアイニィを引き剥がすべく、彼女の肩に手をかける。
「だって仕方ないじゃん……! こういうポーズで写真取れって言われたんだもん!」
「いや、言われたからってこんな恥ずかしいことやらないだろ普通! いいから取り敢えず離れろって!」
グイグイと彼女の肩を押し引き剥がしにかかる。だが、本来の貧弱設定は何処へやら、爪を立てた猫の様にアイニィは俺から離れようとしない。
くそ! 普段はポンコツで弱々な癖にどうなってんだ!? なんなの? 猫型ロボットが未来に帰るからって、普段陰キャな眼鏡君がイジメっ子に立ち向かう時のアレなの? 『後世に残したい不朽のアニメ名シーンランキング』とかいう昔を懐かしむ中年層と『そんな古いアニメより今の方が面白いし心のに残るシーン沢山あるのに』とか思いながらも食い気味で観てるキショいオタク学生が観る番組でよく出るアレなの?
『ナイスポーズ! じゃあ次は愛情たっぷり込めて、思い切り抱き締めあっちゃおう!』
アイニィのあまりのしぶとさに手を焼いていると、今度はハグだなんてことを要求してくるプリクラ機。こいつもこいつで何なんだよ! 俺が精神的に幼稚で倫理観に欠けてる馬鹿大学生だったら思い切り蹴飛ばしてるからな! くそ!
「……いいか? 言われたことを素直にこなすのは別に悪いことじゃない。けどな? 自分がやって嫌なことは無理しないでちゃんと断るってのが――」
離れないアイニィと進行されていく撮影に焦った俺は、押して駄目なら引いてみるに習い押して駄目なら悟らせてみるというクソアホには全く意味を成しえない作戦に出てしまった。案の定この作戦は全く持って無意味であり、彼女はそのまま俺の腰に両手を回し始める。
そして彼女と向き合う格好となり、二枚目の撮影が終了。俺を強く抱き寄せ、胸元に顔を埋めるアイニィと、行き場を失った両腕が何とも間抜けな俺が画面に映し出された。
「……確かに今すっごい恥ずかしいわよ。でも、勝負なんだから絶対やらないといけないでしょ?」
顔を埋めたままアイニィがそう言った。言葉を発するたびに胸元に感じる熱気や彼女の体温、そして忙しなく動く鼓動の音。様々な彼女の生が伝わってくる。
「いや、幾ら勝負って言ってもだな……」
そんな彼女に完全に狼狽えた俺はしどろもどろにそう言った。当然納得される筈が無く、彼女は顔を上げて何とも不服そうな視線を俺にぶつける。
「もうっ! またグチグチ言って勝負から逃げるつもりね! こうなったら意地でも私のこと『可愛い』って言わせてやるんだからっ!」
「おい、ちょっと待て! お前勝負の内容変わってるじゃねぇか!」
『二人ともお似合いだよー! じゃあ最後は恋人の証としてキスしちゃおう!』
俺達の会話に割って入りこんだプリクラ機。ここまで勢いよく来ていたアイニィであったが、最後に通達されたお題には流石に表情を曇らせた。
全く一体どうなってるんだこのプリクラ機は? 風営法に引っかかるんじゃないの? とか色々思ったりはするのだがそんなツッコミが出来るような状況ではなく、俺は視線を落とし頬を染める彼女を見つめる。
「……なぁ、この辺で本当に止めにしよう。嫌だろ、俺とキスだなんて」
俺は再度彼女の肩に手を置きそう訴えかけた。
本来キスするだなんてのはお互いに心を許し愛し恋される存在が行う行為の筈だ。俺はアイニィに気は許しても心までは許しているつもりはない。
そしてトキめいたりだとかは幾度かあったが、過去、クソバイトで起こった出来事諸々踏まえて察するに俺、多田 崇というのは自分が思っている以上に周りの雰囲気に流されやすい人物なのだ。あの時この時のトキメキやキラメキなんかも恐らくその時の雰囲気に流され生じた脳の錯覚なのだろう。
以上の事から俺はこいつとキスは出来ない。それに彼女だって勝負に拘り過ぎて我を失っているだけで、本当はキスなどしたくない筈なのだ。
アイニィ視点で多田 崇という人物像を想像してみると、自分の慕っているマスターの元で働く人間で、事あるごとに悪口や否定的な意見を言ってくる生意気な存在、けれども最終的には一緒に遊んでくれるし別に嫌いではない程度の人物だろう。
アイニィは恐らくそう思っている筈で、俺とアイニィ両者の考えをまとめた結果、俺達の間柄を差す言葉は妥協して『友達』といったところだろう。種族も性別も違う友達とキスだなんて、普通の価値観で考えてもしたくないだろう? 更に自分の感情を素直に言えない彼女が、愛の証明であるキスなんて絶対出来る筈がないのである。
そんな考えがあるから俺は先程の言葉を放ったのだ。無理しなくていい、嫌ならやらなければいい。俺の普通に幸せな人生の中で、お前はずっと友達のままでいいんだ。また何時も通り『BAR DEVIL』で馬鹿やってる関係でいいんだ。
俺にとってアイニィは、アイニィは――。
「――別に、その、嫌じゃないって言ったらどーする?」
恥じらいを持ちながらもどこまでも真直ぐな目で、アイニィはそう言った。その言葉が鼓膜に侵入してきた途端、俺の心臓は人生で一番の高鳴りをみせ、蒸発してしまいそうな程の熱さが全身を駆け巡る。彼女の肩を持つ両手が小刻みに震え始め、狭い筐体の中に鼓動が轟く。
彼女は俺の返答を待つ代わりに、唇を差し出し瞳を閉じた。薄い桃色に染まった顔、けれども整った容姿に滴る黄金のまつ毛、俺のことを待っている健康的な艶がある唇は、シンプルに普通に美しかった。
そんな彼女に吸い込まれるかのように、俺の顔は段々と彼女に近づいていく。鳴り止まない鼓動の音を感じながら、彼女の生の温かさを感じながら。
『友情』とも『劣情』とも違う、また新しい『何か』を感じながら、ゆっくり、ゆっくりと――。
「――ほい、コレ、お前の分な」
無事撮影が終わった俺達は、その後顔修正モードだったり、落書きモードだったりを終わらせて、出来上がった写真を切り取り彼女に渡した。
「むぅ、折角写真撮ったのに、何よこの『アホ』って! 台無しじゃない!」
「いや、お前が先に『馬鹿』って書いてきたんだろうが、お互い様だろ」
何時も通りアイニィが俺に難癖をつけてきたので軽く一蹴してやる。言い返せなくなった彼女は唇を尖らせながら写真を見つめていたので、俺も出来上がった写真を眺める。
写真にはキスを待っている緊張した顔のアイニィと、同じく緊張で顔が支配されている俺が移っており、お互いの顔の上にそれぞれ『馬鹿』と『アホ』という文字が描かれていた。
そう、結局俺達はキスなど出来なかったのだ。理由は簡単、俺が緊張し過ぎて時間をかけ過ぎたからだった。
「ま、別に良い思い出になったから良いけど…………。それで、どうなのよ? 勝負の結果は?」
大切そうに写真をポケットに入れたアイニィがそんな事を尋ねてきた。俺は即座に答えを出さず、写真を眺めながら考える。
俺は周りの雰囲気に流されやすい人物である。例えば、アイニィの為にオリジナルカクテルを振舞ったあの日、クソオタク幽霊に本気で怒ったあの日、泪と共に脱獄したり、自分の正義を証明するため、普通のドラゴンに勝負を挑んだ時等々、例を上げればキリがない。
恐らくだが、キスしかけたあの瞬間だって雰囲気に流されたのだ。女の子と密室で二人きり、お互いに身を寄せ合っていれば、世の男性なら誰だってキスしてしまうに違いないだろう。
しかし、刹那的時間『今』という新しい価値観が俺にはある。
あの日あの時の俺は正真正銘本気だった。『BAR DEVIL』で働き始めてからの思い出アルバムなる物が存在していたとして、始めから終わりまでざっと見返したとする。その全ての写真に写っている俺というのは普通の人生を歩むため必死こいて本気で生きている俺に違いないのだ。
なら、俺の手元にある写真に写っている俺はどうだろうか? あの瞬間、俺はアイニィの事をどう思っていたのだろうか?
果たして。
「…………まぁ、その、なんだ? 今回ばかりは俺の『負け』だよ。完敗だ」
直接言葉にするのが恥ずかしかったので、俺は敢えて誤魔化すようにそう言った。
「ふぅん、そう、アンタの負けなのね。へぇー……」
それでも彼女にはしっかりと伝わったようで、ニヤニヤと勝利の笑みを浮かべ始める。そして手を後ろに組みつつ身体を揺らしながら、何故だか全く理解出来ないが俺の方に近づいてきた。
「おい何だよ、色々あって恥ずかしいんだから近寄ってくんなって――」
――近寄ってくんなよ。そう言い切る前に、俺の唇は『何か』で封じられてしまった。
一瞬の出来事で何が起こったのか分からなかったが、俺の唇には柔らかく温かい確かな感触があった。
「えっへへ、コレで私の『勝ち』」
頭が真っ白な状態から我に返ると、そこには悪戯っぽくも何処か爽やかな笑みを浮かべるアイニィがいた。
何か悪口でも言って泣かせてやろうと思ったが、高ぶる鼓動を抑えるのに必死でそれどころではなく、何も言い返せず彼女から顔を逸らす。
「……くそ、何やってんだよ、このアホ」
けれどもやはり何も言わないのも癪なので、懸命に言葉を紡いで俺は言う。言の葉を紡いだ俺の唇には今も尚、優しい温もりと感触が残っていたのだ。