ペニパニ論争
「ペニィッ!!!」
クッション製のハンマー片手に絶句する俺。目の前には雄々しい一本鎗が悠々と聳え立つ。
クソ! 何だこの展開!? いや、俺がちょっとフラグっぽいこと思っていたけれどコレはないだろ! 穴から出てきて良いナニではないだろ!!
「何してんのよ! 早くぶっ叩かないと時間切れになっちゃうじゃない!」
俺がただただ心の中で絶叫しか出来ない中、先程の完封負けでご立腹なアイニィが苛立ち交じりにそう言ってきた。
「いや、こんなモン叩ける訳ねぇだろ! ……悪いけど勝負は中止にさせてもらうからな!」
「何でよ! ただちょっと大きいだけのパニじゃない!」
「だからパニじゃないんだって! ペニなんだって! お前の目は節穴かッ!!」
「誰が節穴よッ!! ちゃんとした穴だしッ!! 馬鹿多田ッ!! 馬鹿穴ッ!!!」
「おい! 他人の名前で韻踏むんじゃねぇ!! あれはペニだッ!!」
「パニよッ! パニったらパニッ!! パーニーッ!!!」
俺の主張に全く耳を貸さず、低く唸り声をあげながら反抗してくるアイニィ。いや、どうみてもペニでしょ。例え子供は何処からやってくるの? という問いに幸せのコウノトリが運んでくるとか言う輩が見てもペニと答えるレベルでペニだから。後、言わなかったけどペニの話してる中でちゃんとした穴とか言うの止めろ馬鹿。
「ほらさっさと叩きなさいよ! 私が勝負事で手を抜かれるのが一番嫌いって分かってんでしょ!?」
「いや、そうは言われてもだなぁ……」
プリプリと怒るアイニィを尻目にプリプリな身体をくねらせるペニを見る。そんな文言は一度たりとも聞いた事は無いが、彼女の性格上本当に嫌いなのだろう。折角いつも通りの機嫌に戻ってきたところでまた拗ねられるのは避けたい。
だがしかし、だからと言ってペニを叩くのは俺の信条だとか、普通の人生を過ごす上でとか、そんなの関係無しに人として如何なものだろうか。
前門のアイニィ、そして後門のペニ……。アホと下品の化身に板挟みになってしまった俺はその場で何も出来ず、ただ茫然と時間だけが経過していった。
「…………おほほ、肛門にペニだなんて、随分イヤらしいコト考えてるじゃなあい?」
茫然と過ぎる時の中で、低くねっとりとした声が俺の鼓膜にこびりつく。振り返ればレースゲームの筐体に背を預け、得意げに腕を組んでいるアスモデウスが居た。
「別にそんなこと考えてませんし……。つか、これアンタの仕業だろ! アンタしかいねぇだろ!」
「あらぁ、スケベな濡れ衣を着させるのはベットの中だけにして欲しいわぁ。アタシはただレオタードを買いに来ただけよ。ここのお店は安いし、何よりフィット感が抜群なの。ほら見てぇ、凄い締まってるでしょお?」
そう言って徐に自分が着ているレオタードの股間部分を引っ張り上げその伸縮性を自慢するアスモデウス。そういうのは肩口とかでやるだろ。見えてんだよ、モロに。
「オカマさん! 丁度良いところに来たわね! さっきまでの話聞いてたんでしょ? ねぇ、アンタはどっちだと思う?」
先程までポケっとした顔でアスモデウスの話を聞いていたアイニィがそんな質問を繰り出してきた。意見が完全に真っ二つになった場合、第三者からの視点を加えるというのは間違いではない。定石で常套手段でもある。
しかし、聞く相手はアスモデウスなのだ。どうせ俺を巻き込んだ最低下品な下ネタを交えながらペニと答えるだろう。だってアスモデウスだし、自分のペニがモロに見えてたし。
「うーん、そうねぇ。アタシはパニだと思うわぁ」
「……あ?」
顎髭をジョリジョリと擦った後に出した答え。それに対して俺の口からは何とも言えない疑問符が漏れる。
「だってぇ、あれがペニだったら小さ過ぎて全然満足出来ないわぁ。 もっと太くてビキビキ血管が浮くくらい雄々しくないと、ね?」
「いや、ね? じゃないでしょ! 十分デカいわ! そこら辺の馬よりデカいわ!!」
俺の至極真っ当なツッコミに対して、不服そうに肩を透かすアスモデウス。チラリとペニの方を見てみるとガックリと頭を垂れて酷くショックを受けている様子だった。いや、大丈夫だから。お前は立派だから、自信持てよ。な?
「ふふん、アンタらの会話は良く分かんなかったけど、オカマさんもアレはパニに見えるって事よね? つまり二対一で私の勝ち! アレは正真正銘パニよッ!」
「そうよぉ、アレはパニよぉ。崇ちゃんのナニみたいにちっちゃくて可愛いパニなのよぉ」
アホとオカマ悪魔で結成されたクソコンビが怒涛の勢いで俺を畳み掛けてくる。クソ! 仲間が一人増えたからって調子に乗りやがって! 言っとくけどお前が味方につけたのアレだからな、チンコはみ出してるからな、クソ!!
と、威勢よく毒づくがこの状況は非常に厄介である。先程まで俺とアイニィのみだったペニパニ論争にアスモデウスが加わったことより、俺はこの論争では少数派になってしまったのだ。
例えば小学校の授業、先生が二択の問題を出し、正しいと思った方に手を挙げるという物があったとしよう。問いの答えは後者だと自分は確信している。しかしクラスメイトは皆前者に手を挙げたのだ。
恐らく想定外のことに一瞬頭が混乱するだろう。そんな中自分は気が付くのだ。他のクラスメイト達の訝しむ視線を。まるで異物扱いされているような視線に頭は更に混乱し、確固たる確信は揺らぎに揺らぎ音を立てて崩れる。そして最後には恐る恐るゆっくりと不正解に手を挙げるのだ。
このように多数派というのは時として正解をも捻じ曲げる悪しき権化へと成り果て、民主主義という多数派が作った世の中では少数派は淘汰される。こんな過酷な状況下で生き残るには自らの信念を捨て、多数派の靴でもベロベロ舐めるのが正解であろう。
しかしこれはペニパニ論争である。多数派のあんなクソバカ共の仲間になんて絶対になる訳にはいかない。考えてみろ、俺があいつらの仲間になったら終わりだぞ、世の中。
この状況を打破する選択肢は主に二つ。一つは俺が革命的なスピーチを披露し、あいつらを納得させることだが、そんなことはキング牧師にもネルソンマンデラにも不可能なことである。となればもう一つの選択肢、新たなペニ派がここにやってくることである。
これもまた不可能に近いのは重々承知だ。こんな不毛な議論に首を突っ込んでくるような奴が現れる確率なんてアイニィが自動車免許を取得するくらい難しい……いや、これだと不可能にも程があるってか、無理じゃん。不可能じゃん。おいどうすんだよこれ、俺完全に詰んだじゃん。
頼む! 誰か、誰か来てくれ! 具体的に言えば悪魔じゃなくて凄げぇ頼りがあって清く正しい心を持った聖人君主のような誰か来てくれッ!!!
「――やれやれ、僕は祷りを捧げられる存在じゃあないんだけどね」
心の中で思い切り叫んだ祈り。それに答えるように突如として何処からともなく声が聞こえてくる。その声色から色々察することができ、既に気分が最底辺に落ち込んでしまったが、一応念のため声の主の方へと顔を移した。
「だがしかし、僕の大切な相棒のピンチだ。偽りでも演じ切ってみせるさ。地獄の黒狼『マルコシアス・泪・アセンシオが、君をこの状況から救い出す救世主ってやつを、ね」
件のオカマと同じくレースゲームの筐体に背を預け、決まったといわんばかりに鼻を鳴らす泪。俺は聖人君主をお願いしたのに全然クソカスな奴が来てしまった。
「……あの、悪いけど全くお呼びじゃないんだけど」
「いやいや皆まで言わなくていいよ。僕はただ魔力の補給アイテムを買いにきただけさ。君も一つ食べるかい? この特級呪物『邪王真紅眼』を」
俺をことを一切無視して話始める泪。彼女が取り出したのは先程店内に売っていた目玉グミで、それを手で宙に放り投げ上手いこと口でキャッチし、ドヤ顔で咀嚼し始める。そのグミの伏線お前のためだったのかよとか、その食い方本当に格好良いのかよとか、特級呪物という以下にも和風なアイテムに変な横文字のルビ振るなよとか色々ツッコみたいけど……まぁいいよな、別に。
「さて、魔力も十分満ちてきた所だし、そろそろ始めようじゃないか。ペニパニ論争だったかな? この僕がきっちりと終焉を付けてやるよ」
冬仕様のファー付きコートのポケットに手を突っ込み、臨戦態勢に入った泪。しかし、俺はもう完全に白け切っており、アスモデウスに至っては泪の言ってる言葉が理解できておらずキョトンと小首を傾げていた。いや、何で首傾げてんだよ、お前も大概だろ、クソ。
「ふふっ言葉が出ないとは正にこの事を言うんだろうね。まぁ無理もないか、君達の眼前に居るのはこの僕、孤高の論破王なんだからねぇ! そうだろう? アホ小娘」
誰も相手をしてくれない中、得意げにペラペラと喋り出す泪。名指しされたアホ小娘ことアイニィといえば孤高の論破王の言葉に耳もくれず、ペニが聳える筐体を見つめている。
「ほぅ、答えは沈黙、か。それもまた良し。ならば僕の方から魅せつけるとしようじゃあないか。論理の理、本物の論破というものを……」
そう言ってポケットから徐に手を取り出し、影で犬を作る様な感じの良く分からないポーズを取り始めた。
そして。
「受けてみろ! これが必殺必中の最終奥義! 持論展開『弐趾邨比呂之』」
「あーもうッ! 多田ッ! アンタちょっとこっち来なさいよ!!」
何か凄そうな技が展開されそうな瞬間、プンスコ怒ったアイニィが俺の腕を無理やり引っ張り、筐体の方へと向かわせる。
「おい、何だよ急に。あいつのことが痛すぎてもう関わりたくないのは分かるけども」
「ちーがーうッ! あんなのはどうだっていいの! それより見なさいよコレ!」
渾身の技をフルシカトされ呆然と立ち尽くす泪を尻目に彼女が指差す方に視線を向ける。そこにあったのはゲームの残り時間が表示されている画面で、残りの秒数は三十秒に迫っていた。
「もう! アンタがチンタラやってるから時間が無くなっちゃったじゃない! ほら! 早く叩いて! 不戦勝だなんて絶対ヤダ!!」
「いやだから俺はこんなペニなんて叩けないって。まずはペニかパニかをハッキリさせないと。その為にわざわざ二人来たんだし」
俺は残りの秒数をしっかりと確認した上で、あえてそう返答した。残り三十秒を切った今、二人に話題を向けることで片方、あるいは両方が馬鹿ふざけた発言をし、俺かアイニィがツッコミを入れて丁度時間切れを狙う作戦だ。
アイニィには少し気の毒な事をしているとは思う。だが叩けないものは叩けないのだ。何でもかんでも言うことを聞いてあげるのが健全で良好な関係だとは思わない。互いの意見を尊重し、時には自分が折れるというのが普通的価値観の円満な手段と言えよう。
俺は確かにそう思っているのだが、この意見には誰からも支持や批判の声は上がらない。先程の賑やかな雰囲気から一遍、辺りは無言の静寂に包まれてしまった。アスモデウスと泪はただ黙って待っている。肩を小刻みに振るわせて、今にも爆発しそうなアイニィの言葉を待っていたのだ。
「ペニとかパニとか二人のこととか……そんなの関係無いじゃない!! これは、これはアンタと私の大事な“勝負”でしょッ!!!」
カツーンっと顎をハンマーで殴られたような、そんな衝撃が走った。
健康で良好な関係、普通的価値観の円満な手段、そんなのはお互いを深く知り尽くした間柄に発生する出来事であり、今の俺は彼女のことを深くは理解していない。つまりこれらの言葉はただの言い訳であり、先程痛感した独りよがりの視点というやつだったのだ。同じ過ちを繰り返すという俺が求める普通に幸せな人生においてもっとも恥ずべき過ちを、俺は再び犯してしまったのだ。
「……あらぁ、そうねぇ。そうよねぇ。アタシったら今回ばかりは余計なお世話をしちゃったみたい。泪ちゃん、帰りましょっか」
「帰る……だと? それは承諾出来ないね。こんな出番で退場だなんてまるで僕が賑やかし要因のモブキャラみたいじゃあないか……きゃっ!」
泪が何かゴチャゴチャ言っているのを遮るように、アスモデウスはその豪腕で彼女を軽々持ち上げ肩に担いで背を向ける。
「い、嫌だ! こんな退場だなんて! この後は僕が頬を赤らめながらペニが『おちんちん』だと認める僕推し大歓喜の展開が待ってるんだ! こんな捌け方なんてヤダー!!」
「ごめんなさいねぇ泪ちゃん。今日はアタシ達必要なかったみたいだわ。だって今日はアイニィちゃんにとって大切な“勝負”の日なんだから」
そう言い残し、淫魔と狼はゲーセンを後にする。残されたのは俺とアイニィ。そして依然として聳え立つペニかパニか分からないナニか。
結局こいつの正体は何なのか分からない。アスモデウスの意味深な最後も、アイニィの真意も分からずじまいだ。
しかし、俺が今やるべきことくらいは分かる。
「…………先に言っておくけど、この勝負に負けても泣くなよ」
俺はハンマーを強く握りしめ、眼前のナニかと対峙する。今の俺がやるべきことはただ一つ、彼女との“勝負”に対して真摯に本気で立ち向かうことだったのだ。
「ふん、誰が泣くもんですか。アンタこそ泣いて目がボンボンに腫れても知らないんだからねッ!」
腰に手を当てビシっと俺に指を差すアイニィ。いつも通りの強気な言葉が、今は何故か激励の言葉のように感じ取れる。
そんな言葉を受け取った後、俺はハンマーも大きく上に振り上げる。残りは十秒、一発食らわせば俺の勝利。
この一撃に全てを懸ける……!
「このッ! クソチンポコ野郎がぁあああ!!!」
「ペニィイイイイイイイッ!!!」
俺の雄叫び、ペニの絶叫、そしてゲーム終了を告げるブザー音が鳴り渡る。不思議と生じる息切れや、筐体からだらりと垂れ下がるペニのことなど気にも留めず。俺はただゲームのスコアボードだけを注視する。
果たして、結果は……!?
『しょんぼり、ざんねーん! -百万点!』
いや! なんでだよ!! ふざけんなくそッ!!!!!