君に似合う服選び
俺をただじっと見つめて涙ぐむアイニィ。そんな彼女にどう言葉を返せばよいのか分からず、少しの間沈黙が続く。
「…………つまんないって、何がだよ」
気まずい沈黙を破りたくて咄嗟に出てしまった言葉。それが気に食わなかったのか、眉間にしわを寄せながら彼女は無言で俺に近づいてくる。
「おい、何だよ急に。何でそんな怒ってんだよ」
「むぅ……!」
「いや、むぅ……! とかじゃ分かんねぇから! ちゃんとした言語で説明してくれよ!」
「むぅーっ!!」
「だから分かんねぇってソレ!! 後近いからッ! ちょっと離れろよ!」
ガッツリ蓄えたリス並みに頬を膨らませたアイニィが筆箱に入っている定規が挟まらない距離まで詰め寄ってきて俺を睨みつける。俺とアイニィの身長差は顔一つ分あるかないかぐらいなので、普段俺を見下ろし見下すマスターや、隣を歩くミカの顔なんかよりもずっと距離が近く、思わず反射的に顔を逸らしてしまった。
だが。
「ぐへっ!?」
逸らした顔をガっと両手で掴まれ、強制的に戻されてしまった。戻った視界に映るのは膨れっ面ながらも悪くない顔立ち。そして涙で潤んだ翡翠色の大きな瞳だった。
そして。
「一人で服選んでもつまんないッ! もうッ!! 何でこんなことも分かってくれないのッ!!!」
彼女の熱がこもった本当の言葉。俺はそれを受けて一瞬時間が止まったかのような錯覚を感じるほど呆気に取られてしまった。
アイニィの言う通りだ。例えば友人、家族、恋人なんかと休日にテーマパークに出掛けた際に、一人一人が違うアトラクションに乗ってたり、各々が違う場所で食事を済ませお土産を買って帰る。そんな一日が楽しい思い出に残るだろうか。
いいや、残らないだろう。誰かと一緒に行くのなら、何かを共に過ごした方が楽しいに決まっている。一般的に常識的に、それこそ普通に考えて当たり前だ。
では、何故俺は分からなかったのか。それは女の子は服選びが好きだとか、アイニィのことを理解しているつもり等と一方的に分かったつもりでいたから。そして急がば回れなんて都合の良い言葉を使ったり、疲れたとか何かと言い訳をして分かろうとしなかったのだ。
「…………ごめん。今回ばかりは俺が悪かった」
俺はアイニィから目を逸らさず、しっかりと考えたうえで謝った。
「……本当? 本当にそう思ってるの?」
「思ってるよ。お前の事ちゃんと考えてなかった俺が悪かったって。心の底からな」
心の底からだなんて少しオーバーな表現だったかもしれないがそれでも敢えて俺は言った。アイニィは本当の言葉で俺に訴えかけてきたのだから、俺も本当の言葉で返すべきだと。そう思ったからだ。
「……ふぅん、そう」
俺から手を離したアイニィは踵を返し腕を組んで黙り込む。再び訪れる沈黙の中、心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも俺はただ彼女の背中を見つめ続けた。
あ
「…………『今回ばかりは』ってところがちょーっと引っかるけど、まぁいいわ。今日は特別に許してあげる」
背を向けたままアイニィがそう言った。顔が見えないのでまだ怒っているのかは良く分からないが取り敢えず一件落着と言った所か。俺は彼女に悟られないよう小さく、ほんの小さく安堵の息を漏らす。
「けどこれで終わりってのも何か納得いかないし? だから多田にはこれからあるゲームに参加して貰うわ!」
「……ゲーム?」
「そう! 私に一番似合う部屋着を多田が探すの。私が満足する物を見つけられたら本当に許してあげる。どう? 勿論やるわよね?」
くるっとこちらにターンを決め、腰に手を当て声高々に彼女は言った。その表情は久しぶりに見たうざったらしい天真爛漫なドヤ顔である。
「まぁ別にそれくらいなら全然やってもいいけど」
「ふふん、多田にしては随分乗り気じゃない。いい? もし私が気に入らない物持ってきたら罰ゲームで晩御飯抜きだから。しっかり吟味して決めるのよ!」
ビシっと人差し指を突き付けそう宣告された所で、彼女の服選びゲームが始まる。折角彼女の機嫌が直ってきた所だ。晩飯抜きも辛いのでここは真剣に選ばなくてはならない。まぁ、晩飯用意するのは俺なんだけどな。
俺は早速店内を見渡し服を物色……ではなく、スマホを取り出し『部屋着 定番 レディース』なんかで検索をかけることにした。
自称普通な人間の俺であるが、残念なことながらファッションセンスに関しては全くもって才能がない。
中学まで親が買ってきた物を着ていたし、今流行りの着こなしの良さがこれっぽっちも理解出来ないし、今年のトレンドカラー何かについても、あれ? それ去年も同じ色推してましたよね? といったレベルで興味がないのである。
では私服のセンスが問われる大学生活で普通に過ごせているのか、それは文明の叡智であるインターネットの検索機能のおかげだ。
適当にそれっぽい言葉で検索をすれば沢山の情報を集めることが出来る今の世の中。俺は服を買う際『大学生 定番』だとか『冬服 普通』なんかで調べて一番無難な服、それでいて敢えて地味な物を選んでいる。
良くは目立たないが絶対に失敗しない服選び……。これが俺流ファッションの流儀だ。今の俺のコーディネートもそう、黒のダウンジャケットに青ジーンズ、いかにもザ・普通って感じだろう?
と言う訳で検索したワードの写真を眺めながら俺の流儀に基づいて色々探してみるが、フリフリだったりモコモコだったり一緒に暮らす上でちょっと恥ずかしいなっていう物だったり、外国人モデルのランジェリー姿だったりが出てきて中々ピンとくる物が見つからない。
ここは検索ワードを変えてだな、『ルームウェア 定番』とか『スウェット 女子』とかで………。
「あーもうっ! 何やってんのよ馬鹿多田ッ!!」
俺が必死に検索しているところで何処からともなく飛んできた罵声。ランジェリー外国人の画像が実はウイルスサイトで変な警告音が鳴ったのではない。アイニィがまた怒っていたのだ。
「何って、服探してるだけだろ。お前に似合う奴をネットで色々見つけてる最中なんだよ」
「ネット何か頼っちゃ駄目! こんなもん没収よ!!」
「あっ! ちょっおい!」
俺からスマホを取り上げたアイニィはソレをポケットにしまい込み、少し前かがみになって俺を睨みつける。
「ちゃんと自分で選ばなきゃ駄目なの! アンタ、本当に反省してるわけ?」
「いや、反省はしてるよ。だから俺なりのやり方で服を探そうとだな……」
「そんなやり方やだ! そんなので選んでもらっても嬉しくない!」
「…………分かったよ。頑張って探してみる」
三度泣きそうになっているアイニィを尻目に、俺は服選びを再開する。まぁ逆の立場になって考えればスマホで適当に検索してそれっぽい服渡されても嬉しくはないわな。
ただ彼女に言った通り、俺のやり方はソレな訳で。頼りのスマホを取り上げると何も出来ないミスター現代っ子多田 崇に一番似合う服なんて選べるわけがないのだ。
しかし、俺は今日これまで、いや、現在進行形でアイニィに嫌な思いをさせてしまっている。ここは俺の贔屓目にみて中の下程しかないファッションセンスをフルで発動させ、少しでも合格点が貰えるような物を探したい。
汚名返上なんて自分本位の気持ちではなく、アイニィに喜んでほしい。そんな思いで俺は服を探した。
「…………で、アンタが選んできたのがコレなわけ?」
スマホを没収されたので時間が分からないが、俺の体感で三十分程探し抜いた服をみてアイニィが言った。
「……はい、そうです」
慣れない事をやった疲労感とあまりの自信の無さからアイニィ相手に敬語を使ってしまった俺。彼女が怪訝そうに持っているのは上下薄ピンクのスウェットで、パーカーにはデフォルメされた熊のイラストがプリントされている。
いや、ダサいってのは分かってるさ。百も承知だ。しかしこの薄いピンクってのと熊のイラストが絶妙にアホっぽい顔をしてるところが何となく彼女らしいと思ったのだ。
「本当にコレが私に似合うと思ったわけ?」
「……思ったから選んだんだよ。何か文句あるか?」
俺の問いかけにアイニィは応じず、ジーっとスウェットを眺め続ける。これで今晩の晩飯抜きは確定したわけだが俺としては悔いはない。自分で服を選ぶとマトモな物も選べないと一つ学べたのだ。これからは絶対自分で選ばないし、こんな変なのしか置いてない店には二度と来ない。失格判定が下る直前、そう固く誓った。
「……まぁ、折角アンタが選んできてくれたんだし。いいわ。合格にしてあげる」
腕に薄ピンクスウェットをぶら下げ、ぶっきらぼうにそう言った。敗色濃厚からの大逆転劇、奇跡は死んではいなく、俺の努力は報われたのである。
「……え? いいのか? マジで?」
「何で選んだアンタがビックリしてんのよ! 言っとくけど、この熊が何か気に入っただけだから! それ以外は全然なんだからね!」
再びビシっと突き付けられ何かごちゃごちゃ言われたが正直あまり耳には入って来なかった。今まで乗れなかった自転車に初めて乗れた時の高揚感、その際に親から褒めて貰った時の嬉しさ。そんな感覚がじんわりと芽吹いてきてそれどころではなかった。
「……けど、ちゃんと選んでくれたのは嬉しかったし。その、ありがと、多田」
しかしそれでもやはり彼女の小さく呟いた声というのはしっかりと耳に伝わってくる。本音だからしっかりと届くのだ。
「……俺も、ありがとうな」
だから俺も敢えて感謝の言葉を述べた。許してくれて、気に入ってくれて……。そして喜んでくれて、そんな意味が含んだ本音だった。
「何で私がお礼言われるのよ……って、このやり取り前もあったわよね?」
「……さぁな、何かの漫画のセリフと勘違いしてんじゃねぇの? お前アホだし」
「はぁ? 誰がアホですって!? 人が折角褒めてあげたのに何よ馬鹿多田ッ!」
「…………うるせぇよ、アホアイニィ」
プンスカ怒りながらも大事そうにスウェットを抱える彼女。そんな彼女を尻目に俺は会計へと足を運ぶ。
最近は感じなかった何処か懐かしい雰囲気。例えるのが難しい『何か』を噛み締めながら、一歩一歩前へ進むのであった。