悪魔的エンターテイメント
「……へ? えぇーッ!! なんですってーッ!!!」
彼女の絶叫が店内に響き渡る。BARの玄関口に備えられている小さなベルが、ソレに反響して僅かに音を鳴らした。
「そ、そんなぁ……。私がまさか人間になっちゃったなんてぇ……。」
アホ毛が枯れたヒマワリのように垂れ下がっていき、今にも泣き出しそうなアイニィ。そんな彼女を見ていると、不思議と何故か額に脂汗が染み出てきた。
いや、幾ら幼女だからといっても乗っかられ続けてると重いんだよ。運動部の連中が雨降ってグラウンドが使えないときによく廊下で寝そべっているアレとか、昼の生活情報系番組でやってる『誰でも簡単! スキマ時間にちょこっとエクササイズ!』なんかよりもキツイからな、絶対。
「ぐふッ!?」
そんな事を思っていると、マスターが俺の背中を踵で踏み躙り、さぞ文句ありげな表情で俺から降りた。容姿相応の女児アニメがプリントされてる靴じゃなく、ガチガチの大人が履いているローファーでグリグリやられたものだから背中が物凄く痛い。ついでに言うと心も痛い。
「うぅ……。何で私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ。私何にも悪くないのに。全部多田が悪いのにィ……!」
そんな俺に対し、アイニィは萎れたアホ毛を逆立たせ、目に涙を溜めながら睨みつけてくる。
「だから俺が何したってんだよ! ちゃんと俺に伝わるようしっかり口で説明しろよ!」
俺も溜まらず立ち上がり、少し語尾を強めてそう言ってやった。まず第一に変な実を食べたのはこのクソアホ自身だし、これまでこんなに恨みを買うような事をした覚えもない。今日だってマスターに踏み台にされただけだしな。
「あーもうっ! 怒った! そんなに知りたいんだったらね、直接身体に叩き込んでやるわよッ!! 覚悟しなさい、馬鹿多田ァッ!!!」
勢いよくカウンターから身を乗り出し、彼女は俺の事をボコスカと殴り始める。一心不乱に、そして本当に何かを伝えたいがために、必死な形相で俺の事を殴り続ける。
俺は喧嘩なんて大安売りバーゲンセールがやっていても絶対に買わないし、女性に手を出すような短絡的で心に余裕の無い輩でもない。なのでここはサンドバッグとなり、彼女が拳で伝えたい真意を身をもって汲み取ろう。そう思った。
まぁ、思っただけで無理なんだけどな。
「…………全然効いてない? ウソ、そんなぁ……!」
殴り続けて数十秒後。大きく肩で息を切らし、傷一つ付いていない俺に落胆の声を上げる。
「多田如きボコボコに出来ないだなんて……! 私、本当に人間になっちゃったんだぁーッ!!!」
遂に涙腺が限界に達してしまったアイニィは、その場で膝から崩れ落ち、ギャンブルで全ての財産を失ったどうしようもない中年男性の様に泣き喚めいてしまった。
周知の通り、アイニィの腕っ節は幼稚園児と3ラウンド戦ってギリギリ判定負けするくらい弱い。なので多田如きをボコボコに出来ないのは当たり前で、それが人間になってしまったという証明にはならない。
そもそもの話、こいつは本当に人間になったのか? 相変わらず弱いし、アホだし、泣き虫だし、実を食べる前と比べても何も変わっていない。後、アホ毛も動いてるしな、うん。
それにマスターが言ってた説明とか妙に胡散臭いというか、厨二臭いというか……。もっと言ってしまえばあの法螺吹きクソ馬鹿泪が得意げに話してそうな内容だったし。
そんな疑問を抱えながらマスターの方を向いてみると、先程の迫真の表情から一転。ドッキリ企画でまんまと嵌ってしまった芸人をモニター越しでニヤニヤと眺めるディレクターのような、嫌味ったらしい笑みを浮かべながら俺達を見ていた。
「……あの、デビルズ・フルーツでしたっけ? それって本当に悪魔の能力を失くす効果があるんですか? なんか信じられないんですけど」
大号泣しているアイニィがうるさかったため、俺はマスターにこっそりとそう耳打ちした。
「ああ、勿論嘘だぞ。そんな都合の良い実がこの世に存在する筈無いだろ」
何も悪びれる様子も無く、平然とケロっと答えるマスター。ほんと、良い性格してますよねこの幼女。
「アレは地獄で流通してる一般的な果物で悪魔が口にしても何も問題はない。ただ人間が食べると頭がトチ狂って死ぬまで裸踊りを続けるらしいぞ。面白そうなので後で多田君に剥いてやろうと思っていたのだがな……」
いや、怖いわ! 良くそんな恐ろしい物カウンターに置いてたなアンタ! 良い性格とかじゃあ済まされんわ! ふざけんなクソ幼女!!
「…………それはどうでも良いんですけど、じゃあ何でアイニィに嘘つくんですか? 可哀想でしょ色々と」
デビルズ・フルーツに関して言いたいことが山程あるが、それを言ってしまうと裸踊りで死ぬまえに普通に殺されてしまうので俺は本題について聞くことにした。
「何故って、面白いからに決まっているだろう? それ以外で愛弟子に嘘をつく理由があるのかね?」
「あるのかねって聞かれても……。面白いからって何しても良い訳ないでしょ、普通」
そう至極真っ当なことを言ってみると、それがお気に召さなかったのか、マスターは不服そうにため息を零す。
「やれやれ、君は本当に何も分かっていないようだな。私は悪魔だぞ? 例え愛弟子が泣き喚こうが、君がトチ狂って死のうが関係ない。私が腹を抱えて笑えればそれだけで十分なんだよ」
相変わらずな唯我独尊っぷりを見せるマスターは、視線をアイニィに向ける。涙が滝のように流れ落ちる様子を眺めながら、幼女面に似合わない不敵な笑みを浮かべた。
「まぁ、幾ら口で説明しても君の頭は猿以下だからな……。どれ、ここは一つ、悪魔的エンターテイメントというやつを実際に体験してもらおうじゃあないか」
「いや、ちょっと待って下さいよ! 俺は別にそんなの……!」
俺の言葉は彼女には届かず、小さな悪魔は泣きじゃくるアイニィの前に片膝をつく。そっと彼女に手を差し伸べる様はまるで天使のようだが、浮かべている笑みは悪魔そのものだった。
「すまない……。私の軽率なミスで愛弟子をこんな目に遭わせてしまって……」
「い、いえ! お師匠は全然悪くなくて……! 悪いのは全部多田でぇ……!!」
「まぁ、確かに多田君の不注意のせいだ。元はといえばあの駄犬が全て悪い。だが、それも飼い主である私の責任であることに違いない……。アイニィ君、一週間ほど時間をくれないか? それまでに治す方法を見つけて君を悪魔に戻してみせる、必ず!」
「お師匠……! ぐすっ……お師匠ーッ!!」
マスターの強い決意の言葉に涙は枯れ失せ、二人は師弟愛溢れる温かい抱擁を交わす。俺を悪人に仕立て上げて深める師弟愛は美しいなぁ、ホント。
「承諾してくれてありがとう。私を信頼してくれたことに感謝するよ……。ところで、君はこの一週間をどう過ごす? 私が面倒を見るのが筋だろうが、生憎BAR『DEVIL』は悪魔の巣窟。人間の女になってしまった君には危険過ぎる」
「え? でも私、明日地獄に帰る分のお金しか持ってなくて……。でも、人間だから地獄に帰れないし。ど、どうしよう……」
希望的なムードから一転、現実的問題が二人に重く圧し掛かり、アイニィの目には枯れた筈の涙が再び滲み始める。
マスターは腕を組み、頬杖をついて、この問題を解決するべく思考を研ぎ澄ませる……様な演技をし始めた。
俺はマスターに二度地獄送りにされた人間である。そして、この世の罪で最も重い『原罪』が営むBARで悪事を働く悪魔だなんて存在しない。
なのでもちもち頬っぺたに頬杖をついているこの仕草は演技、彼女がペラペラ話した内容は全て、私が面白いからつく嘘である。
俺はこんな茶番を見たところで何の面白みも感じられない。これが悪魔からすれば大爆笑エンターテイメントだとすれば、親父ギャグしか言えない俺でも悪魔界お笑い三巨頭になれるかもしれない。
しかし、当然ながらそうではない事くらい分かる。頬杖を付く彼女の青い瞳が、『今からお前に地獄を見せてやる、覚悟したまえ』と言わんばかりに、怪しく不気味に光っているのだから。
「ふむ、こうなっては仕方がないな。私としてはとても不本意なのだが……。どうだろう? アイニィ君。治療法が見つかるまでの一週間、多田君の家で過ごすというのは」