傲慢な一射
「多田さん? 急に黙ってしまってどうかなさいましたか?」
変なタイミングで言葉を区切り黙りこくってしまったせいで、ミカがまたもや不安そうに俺のことを覗き込んで来る。何だかとてつもなく居た堪れない気持ちにもなるが、それでも俺は黙り込むことしか出来ない。
くそッ! くそくそッ!! 何でこのタイミングでエロ本が空から降ってくるんだよ! 空気が読めないのも程々にしろってかエロ本が空から降ってくる自体おかしいだろうがッ!?
しかもこのモデル、ミカ似の和服少女ってかほぼミカだから!! 名前が『ミ●』って伏字な時点でほぼ確定してるじゃねぇかッ!!!
「先程から何を見ていらっしゃるのですか?…………おや? 窓の外に何か貼ってあるような」
心の中で一折りツッコミ倒していると、俺の視線が窓に向かっていることがミカにバレてしまったようだ。彼女はまん丸な瞳を細めてその卑猥過ぎる物の正体を確かめようとしている。
まずい、非常にまずい……! 幾ら温厚なミカとはいえ流石に自分がモデルのエロ本なんか見たら堪ったものじゃあないだろう。俺だったら絶対に発狂して観覧車の窓をぶち破りそのまま園内で暴れ回る自信がある。
とにかくここは何としてでもミカの視線を逸らさなくてはいけない。なので人の注目を集める手段の一つ、祭りの時にやった『例のアレ』をやらなくては……!
「…………これは去年の話なんだけど、ある日俺が馬鹿高いブランド時計を付けて大学に行ったんだ。その値段を聞いた友達が俺に向けてこう言ったんだよ。ただ、たか――」
「――多田 崇ぃいいいいいいいッ!!!!!!!!!」
『多田 崇』と『ただ、高し』が掛かった超絶面白い親父ギャグを言おうと思った時。大切なオチを大声で叫ぶ声が聞こえてくる。
それと同時にドンッ! っと重い衝撃が走り観覧車が大きく左右に揺れ、ミカが咄嗟に俺の胸に蹲る。お陰でエロ本は見られずに済んだのだが今度は一体何だ?
「多田 崇ぃいい……! 貴様ッ貴様ぁあああ!!!!」
一瞬緩んだ緊張感が再び引き締まった中。窓の外には卑猥百パーセントな本……ではなく、何処かで見たことのある金髪で長髪の男が憤怒で歪みに歪んだ形相で俺達を睨み付けていた。
「ウリエル? どうして貴方がここに?」
その人物とミカはどうやら知り合いだったようで、俺のシャツをキュっと掴みながら彼女は尋ねる。
「……ミカ様、まずはご無事で何よりです。そしてその様子だとまだあの本にも気がつかれていない様ですね」
「本……? 何を言っているのか全然分からないのだけれど……?」
「いいえ。分からなくて結構です……。そんなことよりミカ様、早くその人間から離れて下さい。貴方のお美しい姿を汚らわしい人間の返り血で染めることなんて出来ませんので」
そう言って長髪の男、ウリエルは観覧車のドアを両手で思い切りぶち破る。細身な癖に何て馬鹿力なんだこいつはだとか、そもそも空中にある観覧車のドアをどうやってぶち壊したのだとか、色々疑問が浮かぶ所だが、ウリエルの背中に生えている純白の翼を見て大体の事は察することが出来た。
しかしながら俺にはどうしても分からないことがあって。
「おいちょっと待てよ! 何で俺が殺されなくちゃいけないんだよ、おかしいだろ!?」
俺は間違っても命を持って償わなくてはならない様な罪を犯す人間ではないし、そんな殺意を抱かれるまで深く人間関係を築いたこともない。なのでこの天使が何故ここまで怒り狂っているのかが全く理解出来ないのだ。
「そんなもの決まっているだろう!! 貴様のようなゴミカス小僧がミカ様のことを膝の上に抱っこしているからだ!!!」
「あ?」
余りにも予想外の返答に俺の口からアホっぽい疑問符が漏れる。膝の上にいるミカも同じ感想を抱いたのかどうしようもなく困った顔をして俺を見つめていた。
「……誰よりも清く、何よりも正しく、そしてどんな物よりもお美しい。私にとってミカ様という存在は神に次いで崇拝すべき存在なのだ!! そんなミカ様が人間で、しかも寄りにも寄って悪魔と親交がある下種男なんぞに……ッ!!」
歯をギシリと食いしばり、ウリエルは弓矢を構えるような仕草を取り始める。
すると辺りに不思議な光が発生し、彼の手の中に収束。それが弓と矢の形へと変貌していき、光の鏃はしっかりと俺を捉えていた。
光の弓と矢、そして長髪の天使。俺の脳内では『あの時』の一件がフラッシュバックするかのように蘇り、あの時の天使がウリエルだったということを悟る。
あの時もウリエルは終始俺に殺意を抱いていた。その積もりに積もった怨念という奴が今日爆発したのだろう。
だが、しかし。
「ミカが誰と仲良くしたってお前には関係ないだろ? 別に」
「関係ないだと……? 何を知った風に物言っているんだ!?」
「いや、お前とミカの関係とか全く持って知らないんだけどさ。そんなもん知らない俺でも分かるよ。お前が間違ったこと言ってるってな」
そう、この天使が怒っている理由を端的にまとめると自分が愛して止まないミカが、俺みたいな人間と仲良くしていることに腹を立てているのだ。
天使という存在は神を絶対とし、その神に仕えている自分達がこの世の勝者、その他生物は弱者でありドブ以下の存在だと生まれながらにして思い込んでいる。
そんなドブ以下で、しかも一番敵対し蔑んでいる悪魔と交流のある俺に、先程からベラベラ喋り倒す程敬愛しているミカが膝の上に乗っかっていたり、もっと言えば今日一日デートなんてしていたらそりゃ殺意くらい湧くのも理解は出来る。
でも、だからそれは間違っている。
結局こいつは自分が気に食わないから癇癪を起こしているだけ、そこにはミカの事なんて何一つ考えられてない。
本当にミカの為に行動する奴ならば、ミカの事を愛して止まないのであれば、『神に次いで崇拝すべき存在』だなんて理想像は全部捨てて、今目の前にいる『小さな頑張り屋さんの天使』を受け入れるべきなのではないだろうか?
とまぁ、ここまでもっともらしい事を言ってきたがそれ以上にあれだ。好きな子が自分が嫌いな子と遊んでるからそいつの事を苛めようとしている小学生みたいな、そんなクソみたいな理由で俺が殺されなくちゃいけないのが一番納得がいかねぇ……!
「ふざけるなッ! 天使であるこの私が貴様なんぞに見透かされる程容易い過ちを犯す筈がないだろう!?」
そんな俺の指摘に、当然の事ながらウリエルは吼える。まぁ俺が何を言っても無駄なのは分かりきっていることだ。
「いや、だから間違えてるんだって……ほら、その証拠にお前ちょっとミカの顔見てみろよ」
「…………ミカ様のお顔を?」
俺の言葉には耳を貸さないウリエルも、ミカと言う単語には反応をせざるを得ず。俺と奴の瞳に映るミカは困惑しつつも、何処か悲しい表情を浮かべていた。
周知の仲であるウリエルが全く訳の分からないことで俺を殺そうとしている。ミカの心情に寄り添って考えれば誰でもそんな顔くらいするわな。
しかし、それこそがこの状況を打破することが出来る唯一の手段なのだ。俺の言葉なんかでは奴の考えを改めさせることなど不可能。だが愛すべき存在であるミカが、こんなに悲しい顔をしているのだから悪魔なんかよりよっぽど聡明だろう天使ならきっと理解出来る筈であり――。
「――なんだ。平素通りお可愛らしい顔立ちでいらっしゃるだけじゃあないか」
「はぁ!? お前、何言ってんだよ! 目ん玉腐ってるんじゃねぇのか!?」
「ええい、うるさい! 腐っているのはお前の性根の方だ!! ミカ様をダシに使って私を騙そうとするなどクソ畜生にも程があるぞ!!!」
俺の思惑はまるで外れて、ウリエルは怒り任せに弓を思い切り引く。くそっ! こいつナチュラルに馬鹿だろ! そこら辺の悪魔と肩並べるくらい立派なクソ馬鹿じゃねぇか!!
「もう貴様に弁解の余地は無い……。今まで散々犯してきた罪の数々、貴様の命で償ってもらおうッ!!!」
話を一切聞こうとせず、敬愛している彼女の悲痛に苦しむ顔にも見向きせず。全く持って傲慢でエゴイストなウリエル。
そんな彼が放った傲慢な一射が風を切り裂き、俺の眉間を射抜くべく文字通り光の速さで迫ってきた。