原罪と色欲
「た、多田さーんっ! 待って下さーい!!!」
最早小屋という概念すら崩れた場所から、ミカ様が慌てふためいた声を上げて飛び出していく。
「…………あらまぁ、全部嘘だったわりには随分酷い仕打ちじゃあない?」
部屋の死角でこっそりと息を潜め、一連の事柄を見ていた私達三人。そんな中Aがもっさりと姿を晒してベットで不機嫌そうに頬を膨らませるⅤに言った。
「当たり前だ。幾ら演技だったとはいえあんなクソ凡人男に断られたんだぞ。殺意の一つや二つ沸いて当然だろう」
「でも毎回崇ちゃんにだけ当たりが強い気がするけれど……本当に全部演技だったのかしらぁ?」
「ふむ、それは笑えん冗談だな。なんなら君も一緒に空に飛ばしてやろうか? 頭を冷やすには調度いい気温だと思うぞ?」
「おほほほほっ! あたし達が空を飛ぶだなんて、それこそ冗談みたいな話ね。飛ぶ資格なんて『当の昔』に無くなったのに…………そうでしょう、ベリルちゃん?」
Aが紫色の太い唇をグニャリと上に歪ませ、V、もといベリルがそれを鼻で笑い飛ばしながらシャツのボタンを留めていく。
長く滴る睫毛を俯かせて、一つ一つ丁寧に締められるボタン。それらが全て留まりきった後、ベリルは私とラグエルさんの方を向いてから。
「どうした? 揃いも揃って呆けた面などして。何か言いたいことでもあるのかね? ああ、先に言っておくと私はこれ以上ふざけた冗談は聞きたくないからな、発言には注意したまえよ」
あくまでも上から目線のベリル。私達を心底舐め腐った態度、発言が私のプライドと神経を逆撫でさせる。
「…………それはこっちの台詞だ! お前たちこそふざけるのも大概にしろ!」
私は神から授かりし聖なる光を用いて作る光の弓矢を構え、その矢尻を愚かで矮小な悪魔たちに向ける。
しかし、それでも依然として態度を改めようとはしない二匹。そんな様が、また一段と私に弓を引かせる。
「これまでの愚行は全てミカ様の為だと思い水に流してきた……しかしなんだ! あの茶番は!? そしてあろうことか自身をミカ様の姉だと! 『原罪のベリル』だと称するとは! 例えそれが嘘だと分かり切っていてもその罪、万死に値するぞ!」
世界を創世し今日に至る天界史において、数こそは少ないが神に反逆をし地獄に堕とされた愚か者の天使は存在する。
その中でも原罪のベリルは我々の間でも禁断な存在。若くして熾天使の座まで上り詰めたそいつは自らの才能と欲に溺れ、あろうことか神を殺めようと目論んだ天下の大罪人、最も愚かで原初的な罪を犯したのだ。
もっとも今は天使として生を受けた以上知らなくてはいけない事柄で、それを表立って話してはいけない。そんな伝承話として語られている存在に過ぎないのだが、それでも名乗っている以上は黙って見過ごすことは出来ん。
なにより、そんな史上最低最悪な堕天使がミカ様の姉を名乗っていること事態許されざる行為ではないのだ。
「あらあら、もうそんなに弓矢をビンビンに張っちゃって。最近の若い子ちゃん達は顔が良くても消極的って良く聞くけど、その獣みたいな目結構イケてるじゃあない」
「全くもってその通りだな。天使なんてのは所詮薄皮一枚捲ればここで従順に飼い慣らされている動物と同じだ。獣臭くて敵わんよ」
「黙れ! これ以上我々を愚弄するのなら本当に射殺すぞ!」
「ふん、私のことを散々嘘つき呼ばわりした奴の発言とは思えんな……だがまぁ良い機会だ。私が本物かどうか試すのに撃ってみるといい。もっともそれが立証される時、既に君は塵芥になって消し飛んでいるだろうが」
「このっ! クソ悪魔がっ!!!」
「――止めておきなさい、ウリエル」
悪を裁く断罪の一射、それを寸でのところで止めたのは他でもない、ラグエルさんだ。
「何故止めるのです!? こんな屑共生かしておく訳にはいかないのに!」
私はラグエルさんにそう言いながら、矢を持つ手首を掴み、制している彼女の手を振り払おうとする。
しかし何度も振り払おうとする度にググっと力が加えられ、それと同時に彼女の無機質な顔も険しくなっていた。
「彼女の言っていることは全部本当よ、だから、止めておきなさい」
ラグエルさんの真っ直ぐで、何処までも平坦な視線が私を突き刺し、諭すように彼女は言う。
私は光の弓矢を解き、一先ずは言うとおり止めて置く。しかし、ここで黙っている訳には無論いかない。
「…………説明して下さい。これはどういうことなのか、一から十全てを!」
先程私を突き刺した視線を全て投げ返すように、私は冷たい眼差しを彼女に浴びせる。
何故ラグエルさんは彼女らが悪魔だと知っているのか、それを何故私に隠し、『殺し屋』として紹介し、あろうことかミカ様をお救いするこの作戦に協力させようとしたのか。
もし仮にラグエルさんが悪魔と密かに交流があり、神に反旗を翻そうとしているのなら、多田 崇ではなくミカ様を殺めようとしているのなら私はここで命を賭してでも食い止めなくてはいけない。
私の問いにラグエルさんは酷く神妙は趣きで黙り込む。沈黙という一つの風船の中に、緊張感が充満していき、どんどんと大きく、張り詰めていく。
そんな中、ラグエルさんはその風船にそっと針を射すように、一度小さく息を吐いた。
そして。
「ごめんなさい、貴方を騙してまで巻き込んでしまったことは本当に謝るわ」
そう言ってラグエルさんは深々と頭を下げる。しかし、彼女の平坦な声音とあっさり頭を下げるその態度には気持ちが篭っていないような印象を受ける。
いや、篭っていないというよりかは何か別の物に意識を集中している方がニュアンス的には正しいのかもしれない。
「……頭を上げてください。今私は謝罪より説明を要求しているんですよ」
しかし今はそんなことどうでも良い。私がするべき行いは彼女が正義かどうかを見極め、それに伴い行動をすることだからだ。
「簡単に言えば『多田 崇暗殺計画』なんてのは全部嘘、本当のターゲットを釣るための餌だったってこと」
シレっと頭を上げ淡々と重大な事を話したラグエルさん。本当に簡単にそう言った後、私から顔を逸らし眼前でほくそ笑む二匹の悪魔を捉えた。
「本当のターゲット、やはり原罪のことですか?」
「…………原罪よりもっと愚かで、浅ましくて、それでいて馬鹿は人のことよ」
ラグエルさんの切先のように研ぎ澄まされた視線が矢尻を向けているその先には断罪のベリル…………ではなく、何故か隣にいる隠語悪魔ことAが居た。
Aは毎度のように連発していた卑猥な表現を使うでもなく、それでいて何か動きを見せるのでもなく、ただただパックリと割れた顎を摩りながら醜悪な紫色の分厚い唇をより一層醜く歪ませるだけだった。