『スウィートベリー』な光に包まれて
『満身創痍』……これは身体中傷だらけで瀕死状態のことを示したり、精神的に追い詰められ今にも心が砕け散りそうになっている時に使われる。
僕私漢字得意ですよアピールする際によく出題される四字熟語だが、今俺が思い浮かべたのはそんな陳腐なことをする為ではなく、俺の現状が正しくその通りだからだ。
俺は一通り全裸亀甲縛りで拘束されていたデブおっさんこと、この動物園の園長を撫で回し触れ合うことに成功した。
こんな最低最悪なミッションを俺はやり遂げたんだ。英雄の凱旋とまではいかないが何か一つ労いの言葉くらいかけてくれてもいいじゃあないか。
それなのに。
「ふむ、やっと終わったか。では次の動物の所まで案内しよう」
「いやちょっと待って下さい! 俺に何か言うことくらいあるでしょ!?」
「言うこと? ……次からはもっと時間をかけずに触れ合うように…………それとあんなに薄汚い物を触ったんだ。そのクソ汚らしい手で私に一切触れるなよ? 以上だ」
そう吐き捨てたマスターは再び案内役を務めるため先頭を歩き始めた。マスターを追いかけるようにミカが俺とは顔を合わせずついて行って、残された俺は両手に生温い屈辱感を払拭しきれないまま二人の幼女の背中を見つめながら進んだ。
その後も全身棘だらけの毛虫のような奴だったり、癒し枠と称してケルベロスの赤ちゃんの三つ首同時に噛まれたり。それと普通にドラゴン的な奴にボコボコにされたりと、触れ合い体験の筈が一方的に酷い目に遭い続けた。
そのお陰で全身擦り傷だらけ、服もズタボロにされ今日のジーパンもダメージ八割り増しジーンズへと変貌し捨てるしか無くなってしまった。
正しく満身創痍であるこの状況。そして俺は身体のみならず、自分でも分かるほど心が磨り減っている。
マスターの俺に対する扱いは耐性が付いているのでそこまで辛くはないのだが、ミカに無視され続けるのが何よりもキツい。
ミカは種族的にも内面的にも正しく天使である。頭が切れて、何事にも才能があり、それでいて時折見せる純粋でおっちょこちょいな一面も彼女の魅力の一つと言える。
今日一日ずっと隣にいて、一緒に手を繋いで、色んな表情を見せてくれたミカ…………そんな彼女は俺と一切目線を合わせないガン無視スタイルを決め込んでいるのだ。流石の俺でもこの仕打ちは心が痛くなる。
俺の変わりにキモデブ園長に触れそうになった時、彼女は涙を浮かべてこう言った。『多田さんが許してくれるのであれば……もう一度優しく手を握っていくれても良いですかね?』っと。
そんな台詞を吐いたのに言葉一つかけてこないミカに腹が立つ。だが、普通に、常識的に考えれば汚いおっさんを弄くり倒した手を女の子が握りたくないし、そんな男の隣に居たくは無い気持ちも重々理解出来る。俺がミカの立場だったらガン無視どころか速攻家に帰った後そいつの連絡先を消すしそいつのSNSもブロックする。
そんな矛盾染みた二つの気持ちがお互いを擦り合い、その間に挟まれた心、そして決意を込めて言った『宣言』が徐々に火花と粉塵を巻き上げ磨り減っているのだ。このまま消耗し続けていけばきっとそのうちぽっきりと折れるか削り尽くされ形が無くなってしまうだろう。
このままではいけない、何か手段を考えなくては。と先程から頭を捻らせているのだが生憎普通の感性しか持ち合わせていないのでこれといった革新的なアイデアは思いつかない。
思いついた物と言えば触れ合いコーナーで可愛い動物と触れ合い、癒しを獲ることのみ。しかし現状それは不可能だ。ドラゴンなんて性癖をこじらせまくった本当に一部の人間しか癒されないし、おっさんは論外。一番マシなケルベロスの赤ちゃんも触った瞬間腕に三つの噛み跡が残った。
心にゆとりが持てるよう、何か癒しが……満たされなくても擦り減った分を少しでも補えるような癒しが欲しい……。
そんなことを考えながら歩いていると先頭を歩く幼女姉妹が足を止めていた。止めたその先にあるのは木造の小さなプレハブ小屋だ。
彼女らと離れていた俺がそこに辿り着く。そこで一瞬ミカと目があったが、彼女は「あっ」と短い言葉を漏らした後、すぐ逸らしてしまった。俺はそれを見なかったことにする代わりにため息を一つ吐いた。
「さて多田君。ここが本日の『地獄の動物触れ合い体験ツアー』最終地点だ……今までのツアーを振り返ってどうだ? 楽しめたかね?」
俺が疲弊しきっているのを知っている癖にマスターは敢えてそんなことを言ってくる。本当に嫌味とか皮肉が好きだな、アンタは。
俺は何も言うことなく、ただ彼女の幼い顔を見つめることにした。これは無言を貫くだとか固い意志があっての行為ではなく答えるのが面倒くさいからだ。
「ふむ、成る程。中々良い返答だな、存分に楽しんでいただいているようで私は嬉しいぞ。企画した甲斐があったというものだな」
「…………そんな皮肉マシマシで返して来ないで下さいよ」
「別に皮肉もジョークも言っていない、素直に嬉しいと思っているんだ。そして喜べ多田君、この小屋の中にいる動物と触れ合えば君が欲している全てを手に入れることが出来るぞ」
「え? 全て?」
全てというのはどこまでの範囲を指しているのだろうか。今求めているのは磨り減った心に対しての癒しである、それが手に入るのか、はたまた俺が宣言した『普通に幸せな人生』のことを意味しているのだろうか。
僅かながら興味と好奇心を含んだ疑問符が俺の口から零れ、それを見逃さなかったマスターが。
「まぁ何が手に入るのかは実際に触れ合ってのお楽しみだな。では早速中に入ろうではないか……ああ、悪いがミカはここで待機してくれ。私と多田君二人だけで行ってくる」
マスターがプレハブ小屋のドアノブに手をかけた所でふと後ろを振り向き、そうミカに告げた。
彼女は一瞬紅の瞳を大きく見開くが、それでも首をコクリと縦に頷き、俺達から三歩後ろに下がった所でお行儀よくお辞儀をする。まるで自分が置いていかれることを最初から分かっていたような素振り、そして異論一つ唱えず素直に応じてしまう様を見て、矛盾からなる摩擦が更に力を強めたような気がした。
もうこれ以上ミカを見てしまうと本当に心が折れてしまいそうになるので、彼女を視界に捉えるのをやめ、そのままマスターと供に暗いプレハブ小屋へと足を踏み入れた。
× × ×
プレハブ小屋へ入るとまだ昼間だというのに辺りは本当に真っ暗で何も見えない。何時だったか俺は暗闇を絶望と形容したことを思い出し、弱りきった俺の心に更に不安を煽らせる。
「マスター? 何処にいるんですか?」
そんなものだから幼児が親の名前を呼ぶような、柄にもない不安そうな声が俺からついうっかり漏れてしまった。
そんな中。
――私はここだ。
暗闇から聞こえてくるマスターの声。そしてパチンと指のスナップ音が聞こえたかと思うと小屋全体には淡い紫色の光が薄っすらと妖艶に満ちていく。
俺の斜め前方には大きくてフカフカなダブルベット。そこに腰掛けているマスターは身に着けていた帽子と上着を脱ぎ捨て、カッターシャツ一枚の姿になっていた。
あまりにも突然すぎる展開に俺は唖然とし、きっとマスター目線からすればどこぞの大間抜けのように口をあんぐりと開いているだろう。
そんなアホ面をぶら下げている俺の頭の中である一つのワードが新聞の大見出し並みのサイズで浮かび上がっていた。
『スウィートベリー』…………それはあの園長が考案したであろうこの触れ合いコーナーの名称だ。
「…………本当はあのドラゴンを最後に出す予定だったんだ。でもそれだと流石の多田君でも堪えるものがあるだろ? だから急遽予定を変更した」
そう言いながらマスターはカッターシャツのボタンを上から一つ、二つと丁寧に両手で外していく。一度触れてしまえば他では満足することが出来なくなりそうな程スベスベな肌が露出され、見えそうで見えない『絶対領域』ってやつが妖艶な光に照らされ俺の視線を釘付けにしては引き剥がそうとはしない。
そんなマスターは俺を迎え入れてくれるかのようにフワリと両腕を広げてから。
「今回触れ合える最後の動物…………それは『原罪の悪魔』、つまりこの私だ」