緊張感に縛られる
静かに、けれどもしっかりと口にした『宣言』を合図に、『地獄の動物触れ合い体験ツアー』が始まった。
先頭を歩くマスター、その後ろをついて歩く俺、そして隣のミカ。誰一人として言葉を発することなく、それぞれがそれぞれの思いを胸のうちに秘めながら歩みを進めている。
そんな無言の緊張感が漂う中でも、俺にはどうしても言わなくてはいけないことがあって。
「ごめんな、ミカ。折角のデートだったのにこんなことに巻き込んじゃって」
俺は背の小さいミカに首を傾けながら謝った。
今日はミカとのデート、日常生活におけるほんのちょっとしたイベントの日だったのにも関わらず、俺の人生を賭ける勝負事に彼女を巻き込んでしまった。
他人の私情に巻き込まれる面倒臭さは俺が一番理解している筈なのに、彼女のことよりも自分のことを優先してしまったことが本当に申し訳ないと思ったからだ。
そんな俺に対してミカは「いいえ」と首を横に振ってから。
「謝ることなんて何一つありませんよ、寧ろ多田さんの大切な場面に一緒にいることが出来て嬉しいです……」
そう言った後、ミカは最早彼女の定位置となっている俺の真隣まで距離を縮める。
「それに、デートはまだ終わってませんからね、最後までエスコートお願いしますよ?」
俺の強張った右手に彼女の小さな左手がキュッと握られ、容姿相応の屈託のない笑顔が此方に向けられる。俺の緊張を緩和させる為にやっているのか、それとも意外とマイペースな面が出ているのかは分からないが、どちらにせよ彼女の行動と言葉が俺に勇気を与えてくれていることには代わりない。
「ありがとなミカ、それで聞きたいことがあるんだけど…………地獄の動物ってどんなのか知ってる?」
ミカに支えられ少し余裕が生まれた俺はそんな質問を彼女に聞いてみることにした。『地獄の動物触れ合い体験ツアー』と銘打っているだけあって恐らくこれから俺は化け物じみた動物達を相手にしなくてはいけないのだろう。それなら天使であるミカなら何か動物の種類くらい知っているのではないかと思ったからだ。
「うーん、残念ながら私も動物の種類までは分かりません、そう言った類の情報は天使にとって不必要な物ですので」
「ああ、天使って他種族に興味関心がなかったもんな。そりゃそうか」
ミカが良い子過ぎるせいですっかり忘れていたが本来天使という種族はそういう連中だった。
「それは少し偏見がありますよ? 私のように人間界の動物が好きな天使だっていますし天界にはマルコシアスという小さなわんちゃんがいて、仕事疲れの癒しになっているんです」
「…………そうか、何かごめん」
どうやら俺の認識を改めなくてはいけないようだ。天使の中にも動物好きがいること、そしてあのクソ馬鹿泪の言うことを二度と信じないということ。くそ! あのクソガキがっ!
さて、天使について雑学程度の知識がついたところで再び地獄の動物について考える。
実は俺自身、地獄の動物は何度か目にしたことがある。それこそミカとマスターがプライドをぶつけ合った『全国うまいもんグランプリ』の売り物であったゲテモノ魚達や地獄の海でバイトをした時に見た滅茶苦茶大きい鮫、それを捕まえて飛び去っていったプテラノドンの様な翼竜など等。
そんな動物に今から触れ合わなければいけない。しかもあのマスターがわざわざ用意した文字通り化け物とだ。
ミカが緩和してくれた筈の緊張がまた息を吹き返し、俺の心臓のポンプに圧力をかける。鼓動のリズムが速くなるにつれて歩いているだけなのに呼吸も早くなってきた。
落ち着け、大丈夫だ。何時も通り、普通に考えて行動すれば何も問題はない。この緊張だって大したことも無い。適度に緊張をしていた方が身体のパフォーマンス的には良いと以前スポーツバラエティ番組でやっていたじゃあないか。それと同じだ。
心の中でそう唱えた後、前方をただ無言で歩くマスターが足を止める。普段のローファーとは違い歩きやすそうなスニーカーでクルリと踵を返し、両手を腰に当てる。
「さて多田君、これから当ツアー最初の動物と触れ合ってもらうぞ、覚悟はいいかね?」
「ええ、覚悟は出来てるんですけど、動物ってのは一体何処にいるんですか?」
辺りを見回しても先ほど上げたプテラノドンの様な大きい生き物もいないし、それこそ本来の目的であった小動物の姿もない。ただ一つだけ明らかに他の雑草とは背丈が違う草がまるで何かを隠すかのように生い茂ってはいるのだが。
「まぁ、君のことだから予想はついているのだろうがそこの茂みに潜んでいるんだよ、耳を済ませてみたまえ。鳴き声が聞こえてくるぞ?」
そう言ってマスターは吐き捨てるように鼻で笑った。その様子とか、段々とニヤついてきたのが嫌な予感を誘発させるのだが、ここはマスターの言うように耳を済ませることにする。
すると。
――ゥーン!!! ウーン!!!
俺の耳に届いたそれは言葉になっておらず、それこそ獣の鳴き声に聞こえる。
しかし、なんだろうか、何か強烈な違和感を感じるのだ。獣にしては何処か人間くさい声というか…………例えるならそう、テロリストや強盗に捕まり、人質になった人間が口にタオルを巻かれながらも必死で助けを求めている。それくらいピンポイントな例えが浮かぶ程、この違和感は強烈なのだ。つか絶対そうだろ。
「ほら、早速近づいて触ってみたまえ。それとも何か? 噛まれる心配でもしているのか?」
この違和感で顔を顰めていたであろう俺に対して、大変愉快そうな笑顔を浮かべているマスターがそう言った。
「いや、そういう問題じゃなくて……色々と大丈夫なんですか? これ」
「なぁに心配することはない。しっかりと私自ら調教を済ませているからな、安心して触っていいぞ……それとも急に弱腰にでもなったか?」
尚も笑顔なマスターは腰に回していた両手を組み、片方の手を顎に添えて言った。
安心を保証した上で、俺を煽るような発言をする。俺は先程前に進むと宣言してしまった以上やるしかない。ここで断ってでもすれば彼女の言うとおり腰抜けの凡人になってしまうからだ。
ったく! 分かったよ! やってやるよ!
俺は自分に発破をかけるように短く息を漏らし、ニヤニヤが止まらないマスターを一瞥した後で違和感マックスの茂みへと歩く。
例えどんな物がそこに潜んでいようが関係ない。俺は俺の為に、普通に幸せな人生を過ごすために、何があっても絶対に触ってみせるんだ!!!
そして。
「…………あの、マスターこれは?」
「…………園長だ」
「………………園長ってのは、つまりその、この動物園の園長さんってことですか?」
「そうだ。触れ合いコーナーを借りる為に挨拶にいった時調度良い豚野郎がいたものでな、調教して連れて着たんだ」
マスターの奇想天外な言葉に、俺の信念だとか、宣言なんかはぶち壊され、俺はその場でがっくりと両膝をつける。
目の前にいた動物、それは純白ブリーフ一丁、全身亀甲縛りで縛られている小太りの中年男性だった。
――くそっ! くそくそくそっ!!!!!