膨らむ頬
一旦事態の収拾と三人を落ち着かせるためにやってきたのは園内にあるレストランだ。
わざわざ室内、それに何を仕出かすか分からない輩を引き連れるのは些か軽率なのではと思ったかもしれない。勿論それは俺も重々承知だ。
しかし今日は悪魔でもミカとのデート。外で泪とアイニィにギャーギャー騒がれてしまうと他のお客様に迷惑がかかるだとか、動物にストレスがかかる等の理由で追い出されてしまう可能性がある。それだけは絶対に阻止すべきことなのだ。
クソ馬鹿悪魔二人を上手く対処し、ミカとのデートを楽しく継続させる……それに今の時刻は十二時を少し過ぎたことを踏まえればレストランは最適な場所と言えよう。
落ち着いた雰囲気の場所で、軽食を挟みながらゆっくり休みさえすれば知能指数がそこ等の動物より低い馬鹿共も満足して帰ってくれるだろう。
「うぇッ!!!」
…………俺の思惑を早速ぶち壊すかのように斜め前に座った泪が注文したブラックコーヒーを吐き出す。落ち着いた雰囲気のレストランには汚らしい声と飛沫音が一瞬反響した。
「ふざけんなよこの馬鹿、顔に飛び散っただろうが」
「すまない、これは完全に僕のミスだよ。崇と同じく大人びようとして背伸びしたのが過ちだった」
口からダラダラとコーヒーを垂れ流しながら悟るように言う泪。俺は好きだから飲んでるの、お前みたく格好付けて飲んでる訳じゃねえからな?
ったく、これだから年頃のクソガキは嫌なんだ。大体大人ぶりたいという理由でブラック頼むだなんて発想してる時点でガキなんだよ。こういう奴は学校に香水付けてくる輩と同じタイプだから。んで周りからの苦情と教師からの説教喰らってガチヘコみするタイプな。
そんな安直野郎のせいで服まで汚れがついてしまった。今日着てきたのが青いパーカーだったから汚れは目立たないものの、白とかだったらこいつの首筋から思い切りコーヒーを注いでやる所だった…………ん? 白色?
「げぇ……」
嫌な予感がして横目で隣を見ると、佇んでいるミカの純白シルクドレスのように綺麗な白髪が真正面から飛び散った泥色に汚されていた。
「み、ミカさん? 大丈夫でしょうか?」
ずっと黙って下を向いているミカに怖気づき、つい敬語で話してしまう。
「え? ええ。問題ないですよ、突然の出来事に少しビックリしちゃっただけですから」
「いや、大丈夫じゃないよな? 大丈夫って聞いた俺も悪いんだけどさ…………ちょっと待ってよ、今拭くもの用意するから」
呆けた面で天井に備え付けてあるシーリングファンを眺めている泪を一瞥してから俺はポケットに手を突っ込む。ええっとハンカチは何処だ……?
「ぐっぐぬぬ…………」
汚れが染みになる前に急いでハンカチを渡そうとポケットを漁っていると今度は俺の正面に座っているアイニィが探していたハンカチを指に包めながら目の前に聳え立つモンブランパフェを見据えていた。
くそっ! そうだ、あいつにハンカチ貸してたのをすっかり忘れていた! つか何時まで止血してるんだよ、もういいだろ、指腐るぞ。
「ごめん、何か代わりの物用意するから待ってて」
「いいえ、お気持ちだけで結構ですよ。拭くものでしたらこちらにおしぼりがありますし」
見栄をはり、全額奢ろうとしたが手持ちが少なく、逆に奢る事になったカップルの女のような笑顔でミカはそう断り、おしぼりで顔と髪を拭う。
開幕から早々やってしまった、あろうことか天使であるミカに居酒屋のおっさんがやっているような真似をさせるなんて俺としたことが何たる失態だ。
折角二人きりのデートを邪魔され、コーヒーまで掛けられるとなればテンションが下がってしまうに決まっている。挙句俺の不甲斐なさまで露呈してしまう始末。
見ろ、あの心ここにあらずな顔を。あれは一日試しに付き合って上げたけど予想以上に面白くないからそろそろ適当な理由付けて帰ろうとしている女の顔だ。
「うぅ……」
完全にしくじってしまった俺の気持ちなどつゆ知らず、今回のミスの直接的な原因となったアイニィが眉毛をへにゃりと下げながら情けない声を上げる。
「何してんだよ、早く食べればいいだろ」
「でもこのままじゃスプーン持てないし、持とうとしたら血が……」
普段より一段と汐らしい彼女に俺は行き場の無い苛立ちを覚え、荒いため息と共にそれが排出される。
いい加減ハンカチ取れよ、とか何でスプーンが持てないのにパフェ頼んだの? スイーツに目がない乙女なの? とか言うツッコミは野暮で彼女のポンコツ理論を覆すことは不可能だ。
なので、ここは面倒くさい相手に対する対処法における対処法の一つ、見なかったことにする。を選択することにした。
今回の主役は紛れも無くミカであり、俺は彼女に尽くし楽しませる必要がある。何時ものようにアイニィに世話を焼いでばかりいれば俺は義務を果たせないのだ。
それなら、今も飲めないコーヒーのマグカップを片手に黄昏ている馬鹿同様敢えて視界に入れず、見なかったことにすればいい。
しかし、真っ白な用紙に一つの黒点、砂漠の中一輪だけ咲く花、身だしなみを完璧に整えたサラリーマンの鼻から飛び出る一本の鼻毛のように視界に写ってしまえば目が離せない物というのが世の中には数多く存在する。
目の前の彼女もその一つ、まるでお預けを喰らった子犬のように唸り声をあげ目の前のパフェをそわそわと見つめる。涎が口から少し垂れるのと同じタイミングでパフェの最上部に君臨するモンブランムースの先端も頭を垂れた。
くそっほんとにこいつは毎度毎度面倒くさい奴だな…………!
「おいアイニィ、口開けろ」
俺は彼女の目の前にあるスプーンを掠め取り、クリームをすくってから言った。
「なに? もしかして食べさせてくれるわけ? そんな赤ちゃんみたいな真似お断りよ!」
「うるさい黙って俺の要求を飲め。さもないとこの『期間限定リス君の頬も蕩けるデラックスモンブランパフェ』は俺が平らげる」
「何で脅してまで食べさせようとするのよ! ……けどそんなことをしたって私の口は絶対に開かないわよ、馬鹿多田に食べさせて貰うなんてほんと無理だし」
「あっそ、じゃあ交渉決裂だな」
そう言って俺はスプーンを此方の口元まで運び、ワザとらしく大袈裟に口を開く。すると絶対に開かないと豪語していた彼女の口は「あっ」と短い声が上がった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「何だよ、折角注文したのに食べないんだろ? だったら俺が代わりに食べてやるよ」
「…………分かったわ。アンタの言う事聞いてあげる。言っておくけど今回だけ特別だからね、今後一切そういうことしないんだからっ」
さぞ悔しげにそう答えたアイニィは目をつむり歯医者の患者のように大きく口を開ける。形だけは一丁前の小生意気な八重歯がチラ見えしていた。
「ったく、初めから素直に言うこと聞けよな」
面倒ごとを一つ解消した俺、何故だが少し勝ち誇ったような気持ちになるが、別に勝ち負けの話ではないしこのアホに勝ったとして何も得られるものはない。その気持ちを払い去るように首を少し揺らしてからあんぐりと開き阿呆面を晒している彼女へとスプーンを近づけ、咥えさせた。
「どうだ? 美味いか?」
「そりゃあ美味しいけど……なんて言うか、その…………」
俺の問いかけにぶっきら棒に答え、その後の言葉は食べさせたモンブランと共にモゾモゾと咀嚼されてしまった。
聞き取れはしなかったが、俺としては満足だ。こう普段小うるさい奴が照れていたり、照れさすってのは征服感というか、悦に浸れるというか……まぁ、取りあえず悪い気分ではないことは確かで、そしてそれが――。
「――ふぅ、やれやれ。君という男は本当に罪深いなぁ、崇?」
そんな俺の思考を遮るのは泪で、コーヒーに角砂糖を五つほど投入しながら意味が深いのか全く無いのか分からない言葉を俺に投げかけてくる。どうしたの急に? コーヒーの苦さに頭おかしくなったの? ほら、証拠に馬鹿みたいに砂糖使ってるし。
こっちの方がやれやれな気持ちなのだが、俺はそれを抑えながら二度目の餌付けを始める為に再びスプーンでパフェをすくおうと思い手を伸ばす。
が、俺の手は寸での所で動かなくなってしまった。誰かが俺の袖を引っ張り、進行を妨げているのだ。
そこで俺は泪が発した言葉の真意を理解し、理解したと同時にそれまで浸かっていた優越感が風呂の栓を引き抜かれたように、急速に無くなっていく。
残った物は何も無くなった浴槽とその中で間抜けに裸姿を晒している俺。完全にやってしまったという後悔を頭の中に巡らせながらゆっくりと隣を確認してみると。
「………………多田さんのお馬鹿っ」
隣の席のミカさんはそんなことを言ってからリスが頬袋を溜め込んだくらいに頬を膨らませた。
や、やっべぇ…………!