対峙した三人
妊婦アスモデウスを何とか上手いこと対処した俺はそこから電車とバスを乗り継ぎ、動物園まで辿り着くことが出来た。
「うわぁっ! やはり人が沢山いますね! それと動物さん達の鳴き声も凄いです……!」
ミカがキラキラと眩い笑顔を振りまいている隣で俺はこっそりと濁った息を漏らした。この溢れかえる群衆の中に必ずマスターが居て、俺のことを狙っているのだから。
だがしかし、ここまで着た以上引き下がる訳には行かない。今日一日ミカが笑顔で過ごせるために励まなくては……!
「じゃあ早速観に行くか。ミカはどの動物から見たい?」
俺は動物園のパンフレットを開き、ミカに訊ねる。ここの動物園は園内をぐるりと一周する構造になっており、右から行けばライオン、虎、豹などメジャーな動物達が並んでおり、左には鳥類や小動物と触れ合える施設なんかがある。
「そうですね、色々迷うところではありますがやはり最初はライオンさんがいいです」
「ライオンだな、分かった。それじゃあ行こっか」
「はい、お願いします……ふふっ楽しみですね、モフモフで大きな猫ちゃん」
マスターが何処かに潜んでいるにも関わらず行き成り猛獣の所へ行くのは軽率過ぎるだとか、ライオンは図体が大きくなっただけの猫じゃないだとか、そんな野暮は不安やツッコミはしない。ミカが楽しめればそれでいいのだ。
この標語を今日のテーマにした俺はまだ人間界の群集に不慣れな彼女が迷わないようしっかりと手を握ってやり、入り口から右へと歩みを進めた。
× × ×
百獣の王、ライオン……その異名の由来は諸説あるが一説によると十数頭の群れの頂点に君臨し、王者の風格が漂う鬣から付けられたらしい。
荒れたサバンナの大地の中、プライドと呼ばれる群れを引き連れ、鬣を靡かせる。その様は正しく王であり、古代の人間は強者の象徴として捉えていたという。
「あっ! 多田さん今あの子欠伸してましたよ! お口ってあんなに開くんですね、凄い……!」
檻の中、やる気が無さそうに地べたに寝転ぶ雄ライオン。それをミカが柵に掴まりながら興奮気味に実況していた。
百獣の王であり、強者の象徴であるライオンが名前負けもいい所の体たらくを見せている。先程ミカが大きな猫だと表現していたがそれも強ち間違ってはいないのかもしれないな。
そんな彼、彼女らを見て 世のナチュラル的思想をお持ちの方々は「こんな物は本来のライオンの姿ではない」だとか「これは野生、自然に対する多大な屈辱行為である」だとかキャンキャン吼えているのだが俺の意見としてはこれが本当の生き物の姿で理想の生き方だと思っている。
年中安定した気候で過すことができ、命を賭して食料を調達しなくてもいい。外敵から狙われる心配も無く、安心安全、平穏無事に生涯を終えることが出来るのだ。
客の視線によって多少のストレスは感じるかもしれないが、それを差し引いても十二分に釣りが返って来る。俺の理想の暮らしぶりをライオン達が今正に体現しているのだ。
「――全く、動物界の覇者ともあろう者が、なんて情けない格好をしているんだ。なぁ崇? 君もそう思うだろう?」
ミカとは間反対の所から、俺とは間逆の考えに同意を求めてくる声が聞こえてくる。この格好付けたフレーズと言い回しからして声の主はほぼ断定出来る。だからこそ俺は例の無視を貫く作戦を行なうことにした。
「……成る程、答えは沈黙、か。ふふっそうだね。僕達の間に最早言葉なんて文字の羅列は必要ない。お互い共鳴し合ってるんだからね、心臓の鼓動でさ。違うかい?」
「…………」
「あれ? おかしいな? 僕の声が届いていない……? ハッ!? まさか電波ジャックをして妨害工作を謀られている? こうしちゃあいられない! 崇! 僕達の出番が着たようだよ! 早く奴等を止めないと世界の終焉が――」
「――いい加減お前は世界観を統一しろよ、馬鹿泪」
つい、我慢しきれずツッコミを漏らしてしまう。それを受けた泪はモコモコとした尻尾と三角の獣耳をピクリと反応させた後で。
「やぁ、崇。こんな場所で再会するなんて偶然だね。いや、運命に翻弄されている僕らにとっては必然なのかも知れないね」
「回りくどい言い方するのは止めろ。お前もどうせ邪魔しに着たんだろ? つか、耳と尻尾くらいちゃんと隠せよ」
「ふふっ何も隠す必要はない。ここは動物園だからね、こんな奴が居てもおかしくはないのさ……それに邪魔をしに着た訳でもない、寧ろ僕達は救いに着たんだよ。天使という悪魔から君をね」
いつもの黒ジャケットのポケットに両手を突っ込み、決まったと言わんばかりのドヤ顔を披露する泪。幾ら動物園でもその尻尾と耳は目立つだろうが。後、変な体言止めは一切直さないのな、腹立つ。
俺は寄せすぎてミルフィーユ層が出来そうな眉間の皺を指で解しながら泪の言葉を一旦整理することにする。まず、天使という悪魔っていうフレーズはお前ら悪魔を悪く言ってるみたいなもんだからな? 分かってんのかこいつ?
後は何だったか、救いに着たってのは結果的に邪魔しに着たと同義だからいいとして、それから……。
「多田さん? 目にゴミでも入ったんですか? でしたら目薬を持ってきたのでお使いになって……おや? 其方の方は何方でしょうか?」
「あ! いや、大丈夫直ぐ取れたし、全く知らない赤の他人だから気にしないで!」
ミカが俺を気遣い、声をかけてくれたがそれと同時に馬鹿狼の存在に気がついたらしい。俺は声と動作を過剰に大きくして気を逸らしつつ泪を俺の背中に隠す。くそっ! アスモデウスの時はパンフレットに夢中だったから良い物を……ライオンももっとやる気出せよ! こっちは金払ってるんだぞ!
「おいおいおい、その言い草は酷いんじゃあないかい? 僕達は一心同体、表裏一体の運命共同体じゃあないか」
行き当たりの無い苛立ちをライオンにぶつけていると、元凶である泪が背中からひょっこり顔を出し、俺を睨み上げる。
「やはり知り合いだったんですね……初めまして、お名前は何と言うのでしょうか?」
俺が他人だと誤魔化した事が不服だったらしく、今日一番低いトーンでミカが言った。
「お名前? ふふっ礼儀がなってない天使だなぁ。こういうのはまず自分から名乗るものじゃあないのかい?」
そう言って泪は学校の先生の揚げ足を取ったクソガキのように憎ったらしい決め顔した。おい、止めろ。これ以上機嫌を悪くさせるな。
「…………失礼しました。私はミカと申します。貴方の名前は?」
「成る程、憶えておくことにするよ。しかしミカ、残念ながら君の問いに僕は答えることが出来ない。これから死に行く君に名前を教えたところで意味がない、だろ?」
泪がジャケットに手を突っ込んだまま一歩前に出てミカと対峙する。それを受けたミカは畏まった態度ながらも冷徹で鋭い視線を突き刺す。
まずい……非常にまずい、変に勝気で考えなしの泪と普段は良い子なのに姉と同様煽り耐性ゼロのミカは相性が悪すぎる。
今日はミカがゆっくり楽しく羽を伸ばす日なのだ。俺が何をされようが無事に生きていればそれでいい。しかし彼女の気分が悪くなることだけは絶対に避けなくてはならない。
ここは間に入ってしっかり止めなくては、そして後でこのクソ馬鹿を思いっきり叱りつけてやろう。
「――ああ! やっと見つけた!」
止めに入ろうと思った瞬間、ふとそんな声が聞こえてくる。声の方向にあるのは群集の中でも一際目立つ金色のアホ毛だ。
「もう、あんたがさっきからウロチョロするせいで無駄に体力使っちゃったじゃない! 折角万全の状態で馬鹿多田と天使を迎え撃とうとって…………げぇっ」
フラフラと近づいてきたアホ毛の持ち主であるアイニィが俺と顔を合わせると、口をあんぐりと開けアホ毛以上のアホ面を晒し、間抜けな声を出す。
…………そんなリアクション取りたいのは俺の方だよ、馬鹿野郎っ!!!