改札前のヒロイン
小さなイベントは今のところ何もアクシデントに見舞われることなく、無事最寄の駅へと辿り通ことが出来た。
何も最寄の駅に行くだけなのに表現を誇張し過ぎていると思われるかもしれない。だがしかし、かれこれもう半年以上非日常的な事柄を体験してきた俺にとって何事も起きない事の方が非常になりかけているのだ。
道中でミカと他愛の無い会話をしていた中でも、その間に何か裏で壮大な陰謀が実行に移されていそうで気が気でなかった。まぁ流石のマスターでも妹の邪魔だけはしないと思うし、今日は自分の道を拓くと決意したミカの羽休みの日だ。俺が下手に気を張りすぎて迷惑をかけないようにしなくては。
「はい、ミカの分の切符」
心の内で静かにそう決心した俺は本日の舞台会場となる場所へ行く為のチケットを彼女に手渡す。
「わざわざ有難うございます、背が低いものですからボタンが届かなくて……」
券売機の前でプルプルと爪先立ちをし、腕を伸ばしても届かなかったことが恥ずかしかったのか受け取った切符をそそくさとポーチにしまい込もうとしている。
「あ、切符はこれから使うからそのまま持ってて」
俺がそう言うと彼女はハッとした表情をしてから唇を内側に巻き込み、しまい込もうとしていた切符を着物の柄にある紅葉のように小さな手で包み込む。
「……すいません、先程から落ち着きが無くて」
「いや、別に気にしなくていいよ。電車に乗るの初めてなんでしょ?」
俺の問いかけにミカはまた一段と恥ずかしそうにコクンと首を縦に振る。切符と共に持たれたポーチの持ち手がキュっと強く握られた。
「昨晩お布団の中で何度もシュミレーションしてきたのですが緊張してしまって……多田さんはもっと大人で余裕があって心の奥底が見えないような女性が好みでしょうに、これでは全然駄目ですよね」
そう言ったミカは肩をシュンと落としてしょんぼりと小さな息を漏らした。俺の好きな異性のタイプが限定的過ぎるってか名前伏せているだけでほぼ言ってるよな? その後に『金髪』か『幼女』がついたら確実にそうだよな?
「……俺の好みはどうでも良いとしてだな、ミカは少なくとも俺が知っている中では一番まともだし、大人だし、とにかく良い子だと思ってるよ」
俺は好みの話題にはこれ以上深く広げるのは避け、しょんぼりミカのフォローに徹することにした。まぁフォローと言ってもこれは彼女に対して思っていることを述べただけなのだが。
たま子、アホアイニィに馬鹿泪、そして妙な所で子供っぽいマスターより大人だし、ムウマに対してもまともと言う点では十二分に勝っている。俺がバイトを始め出会ってきた奴らの中でミカは一番良い子なのだ。因みにアスモデウスは論外、勿論悪い意味で。
「大人、良い子…………うん、そう評価して頂けているのなら良かったです」
俯き、表情こそは読み取れないが切り揃えられた白髪の隙間でほんのりと口角が緩んでいるのが見えたので俺は彼女に気づかれないよう他所を向き、ホッと胸を撫で下ろす。
そんな他所の方向には数台の改札機が並んでおり、ちらほらと行き交う人々の光景があった。そんな様子を眺めていると少し、ほんのちょっとだけ悪戯心という物が湧いてくる。
「んじゃ、時間も時間だしそろそろ移動するか……ミカ、次はあそこを通るんだけど通り方分かる? なんだったら手繋いであげようか?」
俺はそう言ってぶっきらぼうに彼女へと手を差し伸べた。ミカはその手を数秒見つめた後、何か言いたげなジト目で此方の顔を覗き込んできた。
まぁ、大人と言った手前子ども扱いされたのに納得がいかないのは分かる、けれど改札のドアが開閉を繰り返す度に不安そうな気持ちと、それでも大人として見られたい気持ちで葛藤しソワソワしているミカがいじらしいと言うか、嗜虐心がそそられると言うか……。ただ一つ言えることは、そんな事を考えている俺が心底気持ち悪いって事だ。相当悪魔に毒されてるな、俺。
「ごめん、やっぱさっきのは無かったことにして。通り方って言っても切符入れるだけだから行けば分かるから――」
常識を重んじる俺としてはあまり適切な言動ではないのですぐさま取り消そうとしたのも束の間、小さな紅葉がふと俺の手のひらに舞い落ち、葉の先端先々を俺の指に絡ませた。
「――子ども扱いされるのは多少不服ですが、ここは多田さんの言葉に少しだけ甘えちゃうことにします……こんな私は駄目な子ですかね?」
「……ほんっとーに、素直で良い子だな、ミカは」
苦し紛れに言い放った皮肉にミカは手を口に添えてクスリと笑い、好奇心を含んだ視線を差し向けてくる。俺は敗北を認めるようにため息を一つ吐いてから、手の中にある紅葉を優しく包み込み、今尚開閉を続けている改札へと足を運ぶことにした。
× × ×
主演の演技が拙い映画ほど、つまらない物はない。メインキャスト、監督、脚本家等、周りに超一流な人材が揃っていてもスポンサーや大手事務所の権力でキャスティングされた演技力ゴミカスの俳優、アイドルが主演を飾ってしまえば総じてゴミカスになってしまうのだ。もっと分かりやすい例を挙げると高級料理に誰が穿り出したのかも分からない鼻くそを盛り付けられればその料理は鼻くそになる、と言うことだ。
「くっ! くぅーっ! 憎らしい、多田 崇ぃっ!」
ミカ様の激レアデレ台詞を聴き、手まで繋いで頂いているゴミカス鼻くそ人間多田と、易々二人を通してしまった改札機が非常に憎たらしく、私は貧乏臭く歯軋りをしてしまう。
全く何なんだあいつは? 良くもまぁ公衆の面前で『なんだったら手を繋いであげようか?』何て気色の悪い事が言えたもんだな? 心が寛大で慈愛に満ち溢れているミカ様でなければその場で別れを告げられるレベルだぞ?
「ウリエル、そんなに歯を食いしばっていては身体に毒よ。ガムでも噛んで落ち着いて」
「こんな時にガムなんていりませんよ! と言うより何でそんな物持って来てるんですか!? 遠足ではないんですよ!」
切符でも配るかの様な軽いノリでガムを手渡してくるラグエルさんに流石の私も堪らず注意を促す。しかし、反省の色が伺えない彼女は親指を立て後ろを示すと殺し屋AVコンビの片割れであるVがさぞつまらなさそうに口をモゴモゴと動かしている姿があった。いや、貰い物だとかそう言うのは別に関係ないんですがねぇ……。
「私が言いたいのはもっと緊張感を持ちましょうっという事ですよ! ラグエルさんはミカ様が多田に寄り添うお姿を見てなんとも思わないのですか!?」
「…………ミカ様の謙虚ながら大胆な所が垣間見れてとても良かったわ。つい、下腹部がキュンっと疼くような感覚が」
「貴方の下半身事情は聞いてないんですよ! ああもう、全く!」
車道の真ん中を原付きで走る並にマイペース過ぎるラグエルさんに私は心底呆れ果てる事しか出来ない。天使の癖に欲望に忠実過ぎませんかねこの人。
「君達、茶番はその辺にしておきたまえ。多田君を見失う前に私達も電車に乗るぞ」
私が大きなため息をついた直後、パチンとガムで出来た風船が割れ、尚もつまらなそうな表情でVが言った。仰るとおりこんな性癖を拗らせた女の相手などしている暇はない、早く後を追わなくては。
「ちょっとぉ、あたしの事は触れないで何処の男のケツを追いかけるつもりなのかしらぁ?」
多田を追うべく改札へと向かおうとした私。そんな中私の肩には一枚の美しい紅葉、ではなく一匹の毛蟹が重くのしかかる。
「い、いやなんといいますか、格好も格好ですので、目も当てられないといいますか……」
「おほほっ心配しなさんなって。これで、たかしちゃんの事をぶちのめしちゃうわよぉ」
「は、はぁ。そうですか……」
格好がアレな為、Aの事を直視することが出来ない私は生返事を一つして視線を外す。
その先には程よい肉付きの太股を内側にやり、表情は崩さないままそわそわしているラグエルさん、そして二個目のガムを口に放り込み、悪態を付きながら咀嚼を続けるVの姿があって、精神的な疲れがブロックを積み重ねるようにどんどんと蓄積されていく。
本能的に癒しを求め始めた私はゴミカス映画の主演を私に置き換え、ミカ様と手を繋ぎながら改札を抜けていくシーンをイメージしながら甘ったるそうな色をしているガムを口にした。