秋晴れの空の下で
夏の暑さは当に消え去り、うぇいぇいと緑色に勢い良く生い茂っていた草木たちの色彩が色褪せ、大人しい色になるこの季節、俺は何時ものように洗面台で顔を洗う。
俺は四季の中で秋が一番好きだ。夏みたく突っ立ているだけで汗だくにならないし、冬のように凍える思いをして外に出なくてもいい。そして春特有の新生活と出会いに浮ついた連中の空気を吸うこともない。静かに、ひっそりと時間を過ごせる俺にぴったりな季節だ。
顔を洗い終え、タオルで拭う。ひんやりとした外気が俺の顔を覆うこの感覚は正直好きだ。
ひとしきりこの感覚を味わってから髪型をある程度整え、ジーパン、白黒ボーダーのインナーそして青いジップ付きのパーカーといかにも複数人の大学生グループで一人はいそうな格好をチョイスする。こうすることで俺は街の風景の一部となり、特に目立つことなく外を歩けるのだ。
ネットで『大学生 定番』なんかで検索をかけ一番目に表示されたどこぞのブランド腕時計で時間を確認してみると八時五十八分を示しており、もう少しで予定していた時刻を迎えようとしている。
秋のもう一つ良いところは特に大きなイベントが無い所である。海、花火大会、夏祭り等、日常にはない特別な日という理由から浮かれ、羽目を外し常軌を逸した輩に遭遇することも無く、またそれらの輩を狙ったぼったくり悪徳商売から金を巻き上げられることもない。幼い頃、少ない小銭を全て掻っ攫っていった射的屋とクジ屋のクソ親父を俺は未だに許してないからな。
そんな散々で苦い経験を過ごす夏に比べ秋にはこれと言った物がないのだ。因みにハロウィンは俺の中ではイベントには含まれていない。毎夜コスプレ衣装より気持ち悪くて渋谷を徘徊する輩より頭の悪い馬鹿悪魔を相手しているんだからな、くそ。
特に何事も無く、時間だけが過ぎていく秋。しかし、その中には小さな、本当にちょっとしたイベントなんて物もあるのだ。
『――ごめんくださーい』
そんな事を考えていると部屋のインターホンが一度鳴らされ、その後に透明感があるがまだあどけなさの残る女の子の声が聞こえてきた。再び時計に目をやると九時丁度、指定してきた時間ぴったりに来るなんて律儀過ぎるがそれが彼女らしくて、思わず笑ってしまった。
「お、おはようございます多田さん。今日は宜しくお願いします」
ドアを開け視線を斜め下に向けると、俺と同じ方向に目線をやっているミカがたどたどしく挨拶をしてきた。
本日の小さなイベント内容、それはミカとの一日限定デートだ。何でも件の肝試しの際、俺が記憶を失っている間にそういう約束が交わされていたらしい。何で、どうしてそんな事になったのかは誰も話してくれないので分からないが一度約束をした以上断ることは出来ない。まぁ相手が大学の奴らだったりアホのアイニィだったりすれば適当な理由を付けて行かないけど。
「おはよう、ミカ。悪いね、わざわざ迎えに来てもらって」
「いえいえ、私からお迎えに行くと約束したので気にしなくていいですよ……それよりこの格好はどうですか? お洒落には疎くて良く分からないのですが」
オロオロと戸惑いながら体を左右に軽く揺らし、そう訊ねてくるミカ。
今日のミカコーデは何時もの白地ベースに小さな手のひらサイズの紅葉が幾つか散りばめられており、紺色の羽織を重ねている。
「うーん、俺もその辺は良く分からないけど、似合ってると思うよ? 普通に」
正直な話、あまり目立ちたくない俺にとって着物を着ている銀髪幼女と一緒に歩くのはよろしくはないのだが、デート初っ端から相手の気分を下げるような事は絶対に避けるべきだと思い、ここは無難な感じで褒めることにした。
が、それを受けたミカは俺から顔を逸らし、再び目線を斜め下に向けてしまった……参ったな、普通と言うのは俺にとって最大級の褒め言葉のつもりだったが少し考えてみればあまり嬉しくはないだろう。女の子なんてのは特にそうだ。
「……『普通』に似合っている、ですか。そう、それなら良かったです」
完全に軽率だった発言を取り消すべく、謝りの言葉を発しようと思った時、俯いたままの彼女から薄っすらと小声でそんな言葉が聞こえてきた。なので一旦その言葉を飲み込み、この状況にふさましい一言をチョイスすることにする。
「それじゃあそろそろ行こっか。今日一日、楽しもうな」
× × ×
「ぐぬぬ……多田 崇ィ!」
可もなく不可もなく、平々凡々なアパートの二階から降りてきたのは我々の麗しき天使ミカ様と彼女に取り付く矮小な虫けらのような人間、多田 崇だ。私とラグエルさんはその様子を壁に身を隠しながら観察していた。
「ウリエル、ちょっと黙って。声が入るから」
内面からこみ上げてくる怒りの声が漏れていたようで、二人が道路に向かう様子をスマートフォンで撮影していたラグエルさんに注意を受けてしまった。何故撮影しているのかは分からないが例によって鼻血を垂らし、潜伏用と言って着用しているトレンチコートを汚しているので詳しくは聞かないことにする。
くっ! ミカ様が昨晩あれだけ悩みに悩み抜いて服を選んでいたにも関わらず、なんだあのやる気のない服装は!? 今からでも直ぐにあいつの服をラグエルさん以上に血で染めてやりたい所ではあるのだがミカ様の目の前でそんな血生臭い事は出来ない。
そしてそもそもの話になるが私はラグエルさんから詳しい暗殺計画の内容を話してもらってない。殺意と言う感情が高ぶり過ぎてしまい、聞きそびれた私に落ち度があるのだが果たしてどうやって殺すつもりなのだろうか、それを聞こうと思ったのだが依然として鼻血を垂れ流し続けている彼女に話しかける気は起きないのだが――。
「……ふむ、天使ともあろう者が影でコソコソと。全く情けない奴らだな」
「――ッ! 誰だ!?」
ラグエルさんに話しかけるか否かで迷っていた最中、背後から聞こえてきた癪に障る声に私はすぐさま反応し、神のご加護から生成される光の粒子で弓矢を作り出し、構える。矢尻の先にいるのは全身黒服に身を包んだ二人組み、一人は大柄で体格が良いが何か異質な雰囲気を醸し出している男。そしてもう一人はミカ様より僅かに身長が高い金髪の幼女だ。
「あらぁ、出会って即矢尻を向けてくるなんて中々イキの良い男がいるじゃない」
男の方が短い青髭を人差し指でジョリジョリと摩り、私の全身を舐めまわすような視線を送りながらそう言ってきた。
「私は誰だと訊ねたんだ。答えろ、さもなくばここで射抜く!」
そんな気味の悪い視線を払拭する為に、強く脅しをかけて再度問う。しかし、通じていないのか、それとも余程の自信と余裕があるのかは分からないが二人組みは顔を見合わせ私を小馬鹿にするように鼻で笑った。
そして。
「まぁ安心したまえ、別に君達に危害を加えるつもりはない。寧ろ逆……同じ目的と標的を持ち、そして君達よりよっぽど腕が立つ協力者、とでも言っておこうか」
そう言って金髪幼女は口角を上げ、余裕綽々な不敵な笑みを顔に浮かべる。彼女の透き通った青い瞳が爽やかな秋晴れの日差しに照らされ不気味な程鮮明に光り輝いた。